金正恩氏

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昨年7月に韓国に亡命したテ・ヨンホ元駐英北朝鮮公使が、25日に行われた英BBCとのインタビューで、次のように語っている。

「(北朝鮮に残してきた)私の兄弟姉妹、家族たちが今頃、人里はなれた山間へき地や政治犯収容所(Prison camp)に送られたことは確実であり、あまりに胸の痛いことです」

究極の選択

北朝鮮当局は外交官たちを海外に駐在させる際、亡命を阻むための人質として、子どもを国内に残させるのが普通だ。しかしテ氏は2人の息子と妻とともに亡命しており、「たいへんな幸運だった」とされている。

とはいえ、故郷にいる親兄弟を全員連れて出ることはできないし、その人々が当局から圧迫を受けることは避けられないだろう。

テ氏が昨年7月に亡命に踏み切った詳細な経緯やきっかけは、なお明らかにされていない。ただ、彼の息子たちはロンドン在住が10年に及ぶ中で、すっかり自由世界の文化に馴染んでいたとされる。北朝鮮に帰っても、順応するのは難しかったろう。こうした諸々の状況の中で、テ氏は「究極の選択」を迫られたと考えられる。

幼い子供まで

言い方を逆にすれば、家族が政治犯収容所――正式名称は「管理所」――に送られる恐怖こそが、多くの北朝鮮の外交官たちの思考と行動を縛っているということだ。

1980年代と90年代に政治犯収容所の警備隊員として勤務し、脱北後にその凄惨な実態を告発してきた安明哲氏は、次のように語っている。

「そもそも『政治犯』という言葉は、体制に逆らう危険人物を指す意味で使われていて、体制側がその範囲を自由に決められます。北朝鮮でも同様で、独裁者の権威に逆らうものはすべて政治犯になる可能性があります。 そして、北朝鮮の人々を最も恐れさせているのが『連座制』です。自分だけ処罰されるのではなく、幼い子どもまで含めた家族親類全員が管理所に連れていかれることは、誰もが避けたいでしょう。当局としては、反抗の芽を完全に摘むためにも、一族郎党を全員処罰するんです。例えば、1993年に発覚した『フルンゼ軍事大学留学組』によるクーデター未遂や、1995年に起きた6軍団のクーデター未遂などの事件が起きた際には、数千人が一度に管理所に送られてきました」

北朝鮮の収容施設内での残忍な行いについてはつとに知られているが、強調したいのは、この問題が核・ミサイル問題とも無縁でないということだ。北朝鮮の人々とて、体制に対しては強い不満を持っている。しかし恐怖政治に抑えつけられ、自由に発言できないだけなのだ。

(参考記事:北朝鮮、拘禁施設の過酷な実態…「女性収監者は裸で調査」「性暴行」「強制堕胎」も

北朝鮮はすでに核武装を実現してしまった。そして国際社会は、それを速やかに除去するための決定的なカードを持っていない。時間が経つほどに、北朝鮮国内での変化を待たざるを得ない状況になってきているのだ。

北東アジアの安全保障にとって、北朝鮮の政治犯収容所の問題は、重大さを増すことはあっても減じることはないだろう。