ドナルド・トランプ大統領(以下トランプ)が就任してから、連日様々な話題が取り上げられているが、重要な話題が抜け落ちている。

 米国が「覇権を放棄する」というテーマである。影に隠れた話題であるだけに、テレビも新聞もほとんど報じない。

 覇権――。

 大国(米国)が地球上の地域や特定国に対し、外交的、軍事的、経済的な優位性を誇って支配的な影響力を及ぼすことだ。第2次世界大戦後、米国は長い間覇権国家として世界で大きな力を誇ってきた。

覇権放棄を宣言した就任演説

 覇権の是非については賛否両論あるが、米国と、日本を含めた西側外国は、これまで主従関係のような間柄だった。現実の世界は米国の覇権によって動かされてきたと言っても過言ではない。 

 だがトランプは選挙期間中から覇権を放棄すると述べてきた。他国や外交に気を配るより、まず米国を優先すべきとの主張だ。当初は、選挙中だけの言い分で、強い米国(覇権)を継続していくかにも思われた。

 しかし就任演説で、トランプは覇権国家を放棄することを明確に示した。「覇権」という言葉こそ使わなかったが、文面を読めば明らかである。

 「過去何十年間も、米国は自国産業を犠牲にして外国産業を興隆させてきました。他国の軍隊を支援してもきました。それは悲しくも米軍を消耗させることになったのです。(中略)今日から、我々は祖国だけを統治するという新しいビジョンに立ちます。それが『アメリカ・ファースト』なのです」

 『アメリカ・ファースト』は単に米国製品を買い、米国人を雇うということだけではない。覇権の考え方を放棄して自国に力を注ぐという真の意味が隠されている。

 首都ワシントンにあるシンクタンク「ケイトー研究所」のクリストファー・プレブル副所長は覇権の放棄について述べている。

 「トランプのスローガンは『米国を再び偉大な国にする』であり、『米国の覇権を再び大きくする』ではありません。多くの方はこれがどういう意味かを理解されているでしょう。トランプは、米国の帝国(覇権)という役割を降りようとしているのです」

 戦後72年目にして、米国の将来に新しい路線が敷かれるということである。冷戦時代は米ソの2大覇権国が力を持っていたが、ソ連崩壊後は米国が唯一のスーパーパワーとして君臨してきた。そこに幕が降ろされようとしている。

 だがトランプはそれに代わる確固とした政治思想や将来への明確なビジョンを示していない。相変わらず140文字のツイッターで、その日の思いをつぶやくだけであり、世界観が伝わってこない。

世界の手本をやめる米国

 コロンビア大学アダム・トゥーズ教授も「米国の世紀は終わった」とはっきり述べる。トランプの米国ファーストは世界の国々の手本となってきた米国の良質な政治的、経済的な資質を消し去ることになるという。

 なりふり構わず政敵を口撃し、結果さえ良ければ何が起きても構わない姿勢はモラルの低下だけでなく、米国の伝統的な価値を失墜させもすると説く。

 その一方で、教授はトランプ政権になっても米国の国力が衰退するわけではないとつけ加える。

 「トランプの登場は何も米国の国力の終焉を意味しません。ペンタゴンの国防費は逆に増えて、米軍の軍事力はさらに強大になるはずです。シリコンバレーではIT技術の革新が続き、世界をつなぐSNSの統合がさらに進化するでしょう。ウォールストリートは相変わらず世界の金融界の中心で、連邦準備制度理事会(FED)も金融政策を主導するはずです」 

 米国が多岐に渡る分野で強さを発揮し、これからもリーダーであることに違いはないが、トランプの資質には大きな疑問符がつく。

 トランプが覇権を放棄するようになった理由がある。ワシントンでは3つの痛打として語られている。

 1点目は米国が貿易赤字を増やし続けている現状である。

 自由貿易交渉によって安価な物品が米国市場に流入し、国内製造業が痛打を受けた。特にトランプが槍玉に挙げているのが対メキシコの貿易赤字で、600億ドル(約6兆9100億円)。米国全体の赤字額の12%にいなる。

 しかし過去20年、米国製造業界の雇用が減った主因は企業側の効率化と自動化である。国外に流れた雇用は全体の10数%に過ぎない。

「世界を手助けし過ぎた」

 2点目が不法移民や難民の受け入れによって米社会が痛打を受けたことだ。

 約1100万と言われる不法移民たちに、雇用市場のいわゆるエントリー・レベルの仕事を奪われた。さらに銃撃事件をはじめとする犯罪の多くが、不法移民によって引き起こされているとトランプは考える。

 3点目は「米国が世界を手助けし過ぎた」という考え方である。

 選挙キャンペーン中の2015年、トランプは「米国が世界に与えたすべての物を取り戻したい」と真顔で言った。

 軍事介入や経済支援で米国は巨額の予算を費やした。それによって米国は疲弊し、衰退したと考えている。こうしたことでトランプは覇権から降りることにしたのだ。

 トランプの口からほとんど出てこないのが、米国が歴史的に価値を見出してきた信念や信条である。

 人権の尊重や民主主義の重要性、法律の遵守、世界経済の繁栄といった、一見建て前のフレーズと思われる領域に分け入ってこない。覇権の放棄だけでなく、こうした信条も捨てたと思えるくらいである。

 一方、トランプが目の敵にしている中国は、トランプ政権を、変わらず覇権国家と認めている。

尖閣、南シナ海でトラブルも

 南京大学中国南海研究協同創新センターの朱鋒教授は、トランプの外交政策は「前政権と変わらない。東アジア政策に大きな変化はこれまで通り継続されるだろう」と推測する。

 と言うのも、トランプ政権は軍事力を増強するため、中国にとっては依然として脅威としか映らないのだ。しかも、米国はアジアでの覇権を握り続けるというコンセンサスが北京だけでなく識者にも見てとれる。

 南京大学中国南海研究協同創新センターが最近発表した報告書には「中国は米国と交戦する準備はできていない」「米国と中国の軍拡競争を回避したい」と記されている。中国はトランプに対し、すでに腰が引けているのかもしれない。

 それでもトランプは早晩、中国に試される日が来ると思われる。尖閣と南シナ海で、トランプの東アジア政策を試すため、ちょっかいを出してくる可能性がある。

 中国と対峙して、トランプは日本を守るつもりがあるのか。覇権を放棄した今、日本に対して「自国の防衛は自分で面倒みろ」と言ってくるのか、2月初旬のジェームズ・マティス国防長官の来日で、新しい世界秩序の姿が少しだけ見えるかもしれない。

筆者:堀田 佳男