鍼灸アロママッサージ院「天使のたまご」を銀座、横浜、自由が丘、札幌と展開し、やり手の女性経営者として注目されている藤原亜季(ふじわら・あき)さん。前回世界旅行を経てようやくやりたいことを見つけるまでのお話を聞きました。

ところが、「やりたいこと」が見つかってからも、順風満帆にはいかなかったそう。

「うまくいかない時は、“何か意味があるはずだ”って考える」と語る藤原さん。後編となる今回は、「天使のたまご」の開業をめぐるエピソードを軸に、「逆境の中で前進する方法」について聞きました。

【藤原さんが「夢を実現」させるまで】

京都でアロマセラピーを勉強(22歳〜24歳)
東京医療専門学校へ進学(24歳)
妊娠・出産(26歳)
鍼灸マッサージ師(国家資格)を取得(27歳)
天使のたまご銀座本院オープン(28歳)

朝10時から夜11時まで勉強と技術を磨く日々

ようやくやりたいことのヒントを見つけたものの模索する日々は続きました。マッサージ、カウンセリング、エステ……。そして閃いたのがアロマセラピーでした。

「これならお客さんに直接関われる。美容や癒しにも関われる」。ついにこれだというものを見つけた藤原さんはひと月イギリスに留学してアロマセラピーの基礎を学びます。

今でこそどこでも受けられる印象のあるアロマセラピーですが、藤原さんが興味を持った2000年は日本ではまだなじみのないものでした。

「学ぶにも学校やサロンが少なかった。探し出した関西のスクールで学ぶかたわら、京都でサロンワークをしました。『アルバイトは募集していない』と言われても、『報酬はいりません、掃除でも何でもします』と言って入れてもらいました。ホテルのスパでも働いていたので、朝10時から夜11時ぐらいまで、とにかく技術を身に付けたい一心で過ごしました」

もやもやを抱えたままでは前進できない

しかし、サロンワークの中で、藤原さんはあることに気づきます。それは、腰が痛い、肩こりがひどい……とマイナートラブルを抱えてくるお客さんに対してアロマトリートメントは“治療”できないということ。

「アロマセラピーは、リラクゼーションの域を出てはいけないと法律で決められているんです。お客さんのニーズに応えてあげられないもどかしさを感じました。性格的にも正攻法でいきたいタイプなので、グレーゾーンのアロマテラピーでは起業できないという結論に至りました」

そして、鍼灸マッサージ師の資格を取得しようと考えるも、3年間学校に通わなければいけません。キャリアのスタートが3年遅れる。結婚や出産も後回しになる。そんな不安もあったそう。

「日本で起業するなら、国家資格を持っている方がいい。10年、20年、もやもやを抱えながら働くのはイヤだから、覚悟を決めました」

在学中の妊娠「神様が意地悪するはずがない」

「一念発起してやるなら、東京で」と上京を決意した藤原さん。専門学校に通いながら、京都のサロンでしていたように、鍼灸院のドアを叩きます。

「京都で使った“何でもやります”作戦を使って、週に1度ずつ3ヵ月間と期間を決めていろいろな鍼灸院に通いました。同時に海外のスパもあちこち見に行って、こんなサービスがあったらいいなとイメージを固めていきました」

ところが、卒業まであと1年という時に妊娠が発覚します。

「どうしてこんな時期に、と思いました。でも、こんなに頑張ってきた私に神様が意地悪するはずない、何か意味があるはず……」。とにかくやれるところまでやろうと藤原さんは決心します。そしてこの妊娠が「天使のたまご」誕生につながるのです。

苦しい妊娠中に見つけたミッション

勉強を続ける中、つわりや腰痛など妊婦特有の症状が藤原さんの身にのしかかってきます。しかし、体を楽にしてもらおうとマッサージ店に行っても“妊婦お断り”と門前払いされるばかり――。

「産婦人科の健診は赤ちゃんが順調に育っているかどうかを診るもの。私自身のマイナートラブルには“仕方がない”と対応してもらえないことがありました。でも体はつらい。そんな時に、鍼灸校の友人や先生方に鍼や灸、マッサージをしてもらうと、体も心もラクになったんです」

妊娠中や産後はママと赤ちゃんにとって大切な時間。妊婦をいたわる場所を作るのが自分のミッションだと閃きます。そこからは、国家試験に向けての受験勉強をしながら、物件探しや開院の準備に奔走。11月の出産の後、翌年2月に国家試験。5月に会社を設立して7月に天使のたまご銀座院をオープンします。

「今考えるとすごい勢い(笑)。21歳で自分探しを始めて、27歳で卒業して、28歳で起業して……。順調に夢を叶えたって思われがちだけど、実際はそこからがスタートでした」

心が荒んでも、自分で描いた地図を信じる

夢と希望にあふれて開院するも、閑古鳥が鳴く日々。2年間は完全に赤字で、心が荒むような苦しい生活が続きました。「一家心中」という言葉が浮かんだ日もあったそう。しかし、諦めずに続ける中で、口コミや紹介でお客さんが増え、6年目にしてようやく黒字に転じます。

「一つでも笑顔を増やすのが私のミッションだと思ってやってきた。どんな時でも、自分ならば絶対できるはずという根拠のない自信があったんです」

自分の意思決定に自信を持てない人も多いけれど、「自分の思い描くゴールと地図があれば進むしかない」と藤原さん。

「頑張っている人を見て焦る気持ちもわかりますが、実はその人たちも焦っているかもしれません。焦りから解放されるには、自分の地図を持つこと。俯瞰してゴールを目指せばただ前を向いて走るだけです」

「もしまだ自分の地図が作れていないという人は、穴の中でじっと自分と向き合う時間を持っていいんです。ピョンと飛び出て、走りだせる日は必ず来ますから」


藤原さんが最後にかけてくださったその言葉に、胸が温かくなる取材となりました。

(安次富陽子)