37歳となった羽生だが、攻守両面でのエネルギッシュなプレーは健在。千葉を復活へと導けるか。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 ジェフ千葉に、羽生直剛が帰ってきた。じつに10年ぶりだ。
 
 2002年に筑波大から加入し、1年目から23試合に出場。翌年、イビチャ・オシム監督が指揮官に就任してチームが上昇曲線を描くと、それに呼応するように自身のパフォーマンスもみるみる向上させた。05年、06年にはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇に貢献。06年7月に千葉を支えた名将が日本代表監督に就任すると、今度は日の丸を背負う機会を得た。

 千葉がもっとも輝いた時期を象徴する主軸のひとりとして、順風満帆のサッカー人生を歩んだ羽生。08年からは活躍の場をFC東京に移し、さらなる飛躍を期した。
 
 その一方で千葉は、凋落の一途をたどった。羽生が移籍した翌年の09年にJ2へ降格すると、以降は下のカテゴリーでもがき苦しんでいる。羽生にとって古巣の低迷は、さぞや歯がゆかっただろう。復帰を決める際の相談相手で、千葉時代の羽生をよく知る佐藤勇人は、「(羽生は)ジェフのゲームをずっと見ていてくれて、チームの現状を理解していた」と明かした。背番号22は、つねにクラブの動向を追っていたのだ。
 
 やがて迎えた16年のオフ。「楽をして終わるよりはなにかにチャレンジし、環境を変えてまでもなにか掴むほうが僕らしい。1年が終わったときに千葉へ恩返しができているようにしたい」。羽生はこの切なる想いを胸に、ふたたび千葉の一員となる決断を下した。
 
 久々に帰ってきた古巣。練習場は当時使っていた姉崎サッカー場ではなく、ユナイテッドパークに変わっていた。とはいえ、背番号22のひたむきな姿勢は10年前と同じだ。当時を知る岡本昌弘も「10年前と変わらない。羽生さんが帰ってきたことはプラス以外の何物でもない。本当の意味でプロフェッショナルのトップの人が帰ってきてくれた。ジェフのことを良くしたいと、真剣に考えてくれている」と、大ベテランの姿勢と取り組みに賛辞を送る。
 積み重ねてきた経験値は尋常ではない。キャリアを通して数多くの指揮官と接し、チームの浮き沈みを様々な角度から肌で感じてきた。

 今季から千葉は、ファン・エスナイデル新監督の下でリスタートを切った。土壌作りが急務のチームにあって、羽生の存在がもたらす効果は計り知れなく大きい。自身も自らに託された役割を理解しており、「選手が意見しやすい空気を作りたいし、選手は監督に付いていくものだという姿勢も伝えたい。そこは一番年上である自分が力になりたい」と語り、こう続けた。
 
「とにかくチームが良くなるようにと思っている。本当に自分は試合に出ても出なくても、クラブが昇格できるようにという想いでやっている。一日一日を無駄にせず、しっかりコミュニケーションを取って良いチームにしていきたい」
 
 沖縄一次キャンプ中のニューイヤーカップ沖縄ラウンドで、チームは最下位に沈んだ。1月22日の初戦でFC琉球に完敗を喫し、25日に行なわれたコンサドーレ札幌戦はスコアレスドロー。エスナイデル監督が志向するのは、前線でボールを奪い、最終ラインを高い位置に保つスタイルだが、いまひとつ噛み合わなかった。28日に琉球と練習試合で再度戦い、スコアこそ3-0で勝利を飾ったものの、やはり内容は物足りなかった。
 
 ここで動いたのが、コミュニケーションの重要性を説いていた羽生だ。チームメイトとそこかしこで言葉を交わし、意見交換を繰り返した。当たり前の作業かもしれない。だが、この積み重ねの重要性を、背番号22は誰よりも理解している。佐藤勇が「自分の意見を持っているし、自分の意見をしゃべって行動を起こせる選手。いままではそういう存在が少なかったから、自分としては助かるし、チームにとってもプラスになる」と称えた。今後は羽生の一挙一動が、新チームの礎になっていくだろう。
 
 やり続けなければ、変わるものも変わらない。37歳のベテランは最後のチャレンジの場に、古巣を選んだ。自身のサッカー人生、そのすべてを捧げる覚悟だ。
 
 
取材・文:松尾祐希(サッカーライター)