昨夜(1/28)、BSプレミアムにて放送された『クリエーターたちのDNA〜ニッポンアニメ100年史〜』。今年100周年を迎える日本のアニメを記念したNHKの連続企画「ニッポンアニメ100」の一環だ。


コンパクトに日本のアニメ100年の歴史を振り返りつつ、それぞれの年代のエポックになる作品については、その作品に影響を受けたトップクリエーターたちが登場して語るという構成だった。

クリエーターたちの豪華な顔ぶれや、民放の「なつかしアニメ」番組とは違う地に足のついた構成に、視聴者からも「わかりやすい」「永久保存モノ」「地上波で再放送お願い」などの声が相次いだ。クリエーターたちの言葉を軸に番組を振り返ってみたい。

日本アニメの勃興期


『くもとちゅうりっぷ』(43年)
政岡憲三による国産初のセルアニメ。童話が原作。

『桃太郎の海鷲』(43年)
政岡の弟子・瀬尾光世が制作した国威発揚アニメ。制作を依頼したのは海軍省。

小田部羊一 『アルプスの少女ハイジ』(74年)、『フランダースの犬』(75年)、『母をたずねて三千里』(76年)キャラクターデザイン・作画監督
『桃太郎の海鷲』を見てアニメを志した。「航空母艦の上にいたウサギのキャラクターにとても惹かれた。あったかくて、柔らかくて、生きていそうな。そういうものを表現したくなる」

いきなりレジェンド登場。戦前のことを詳しく語り、視聴者は「本当に60分で収まるのか?」と不安に。戦争を経て、“ディズニーを目指した男”東映社長の大川博が1956年に東映動画を設立。ディズニーを模して、大規模なアニメ制作システムを構築した。

杉井ギサブロー 『タッチ』(85年)、『銀河鉄道の夜』(85年)監督
草創期の東映動画に入社。「日本でアニメーションができるとは思わなかったので、東映動画ができたときは驚いた」

『白蛇伝』(58年)
日本初のカラーで作られた長編アニメーション映画。業界を目指す若者たちに大きな影響を与えた。

杉井ギサブロー
「東映動画の特徴は、ディズニーリアリズムと言われたような動きに対する考え方。絵なんだけれど、本物のように動かす。重量感や質感がある」

『鉄腕アトム』から始まった「テレビアニメの時代」


『鉄腕アトム』(63年)
国産テレビアニメ第1号。最高視聴率40%を超える大ヒット。『くもとちゅうりっぷ』などの影響を受けた漫画の神様、手塚治虫が1961年に虫プロダクションを設立。アニメ制作に乗り出し、自らの手で『アトム』をアニメ化した。

笹川ひろし 『タイムボカン』(75年)、『ヤッターマン』(77年)監督
手塚治虫専属マンガアシスタント第1号。「手塚先生はアニメが大好き。絵描きって自分の描いたキャラクターが動いたり、音楽がついたりすると気分がいいんですよ」

杉井ギサブロー
東映動画から虫プロダクションに移籍。虫プロの制作手法に驚く。「アニメなのに絵が動かない。ほとんど絵を動かさなくても、子どもたちは物語が面白ければ見てくれますという絶対的な自信が(手塚治虫には)あったと思う」

富野由悠季 『無敵超人ザンボット3』(77年)、『機動戦士ガンダム』(79年)、『伝説巨神イデオン』(80年)監督
『アトム』の現場でアニメの世界に。「リミテッドアニメ(作画する枚数を減らしたアニメ作品)はよく発明したもの。映画的に考えると許しがたい発想だった。しかし、週1ペースでまんが映画を作るにはこれしかないと本能的にわかった」

寺本幸代 『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』(07年)、『怪盗ジョーカー』(14年)監督
「静岡に住んでいた高校生の頃、深夜の再放送で『忍風カムイ外伝』(69年)を見た。第1話の冒頭シーンで演出の面白さを意識して、興味を持つようになった」

余談だが、90年代の静岡には深夜に古いアニメを放送する「むにゃむにゃアニメランド」という枠があった。静岡の大学生だった筆者もよく見ていた。

『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68年)
長編アニメの傑作。監督は高畑勲、作画監督は大塚康生、場面設計・原画に宮崎駿が参加していた。

佐藤順一 『美少女戦士セーラームーン』(92年)、『ケロロ軍曹』(04年)監督
大学生の頃、『ホルス』を見て多くを学んだ。「最初に覚えたアニメスタッフの名前は大塚康生。そこから高畑勲、宮崎駿の名前を覚えて知識が広がっていった」「ホルスがロープをつたって崖を登るシーンでカメラがホルスを追っていくと、崖の上で悪役がロープの端を持っていてハッとする。観客の心を後押ししたり、焦らしたりすることが単純なカメラワークでできることを学んだ」

『鉄腕アトム』以降、「テレビアニメの時代」が始まった。限られた予算と時間の中、知恵を使って作ることになる。それが現代のテレビアニメの原型となった。

リアル路線の竜の子プロと『宇宙戦艦ヤマト』



『科学忍者隊ガッチャマン』(72年)
激しいアクション、シリアスなストーリーが人気を呼んだ。制作したのは吉田竜夫率いる竜の子プロダクション(タツノコプロ)。

笹川ひろし
62年に竜の子プロダクションに入社。「まんが映画じゃなく、ドラマとしてもアクション映画としても見られる作品を竜の子が頑張って作った。現在のリアルなアニメのルーツは竜の子に根付いている」

押井守 『うる星やつら』(81年)、『機動警察パトレイバー』(88年)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95年)監督
竜の子プロダクションからキャリアをスタート。「『ガッチャマン』監督の鳥海永行さんから影響を受けたのは、監督としての振る舞い。一言で言えばワガママ。自分勝手。でも、作品は面白かったし、すごく愛されていた。そう思わせることが監督の必要条件」

『宇宙戦艦ヤマト』(74年)
日本アニメの金字塔。視聴率不振で打ち切りになるが、アニメファンの間で人気が沸騰する。劇場版が大ヒットし、一大アニメブームが巻き起こる。

庵野秀明 『トップをねらえ!』(88年)、『ふしぎの海のナディア』(90年)、『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)監督
「僕の好きなものの集合体が『宇宙戦艦ヤマト』。戦記ものが好き、戦艦が好き、SFも好き、新撰組のような集団ドラマも好きだった」

庵野、押井がリスペクトする監督・出崎統


出崎統
『あしたのジョー』(70年)、『エースをねらえ!』(73年)、『ガンバの冒険』(75年)、『宝島』(78年)などを監督。当時のアニメブームを牽引した。独自の表現“出崎演出”が後世に大きな影響を与えた。

いしづかあつこ 青い文学シリーズ『蜘蛛の糸』『地獄変』(09年)、『ノーゲーム・ノーライフ』監督
「出崎監督がアニメ演出の土台を築いたおかげで、その後の演出家たちがお手本にできるようになった」

『劇場版 エースをねらえ!』(79年)
出崎監督の最高傑作の一つあり、出崎演出の集大成。

庵野秀明
「アニメーションを技術でとらえたときの表現の集大成」「冒頭の主人公の岡ひろみが猫のゴエモンを蹴飛ばすシーン。高坂(真琴)さんの『雨の夜はゴエモン蹴飛ばす』という言い回しがものすごくいい。直後にポンとタイトルが始まる気持ち良さ。『ああ、映画だなぁ』と思う。すばらしいです」

押井守
「アニメーションをいかにしたら映画になるかは、当時は切実なテーマだった。これがわかんない限り監督になれないと思った。そのとき『劇場版 エースをねらえ!』を見て驚いた。映画としての格を感じた」「何回見たか覚えていないほど繰り返し見た。一つ分かったのは、流れている時間が違う。異なる時間と空間を自在に操ることで、作品固有の時間が流れはじめる。それがとてつもない快感を生み出す。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84年)はそれだけを目指して作った」

筆者が編集と執筆を担当した『アニメーション監督・出崎統の世界』(河出書房新社)では、出崎演出と押井監督がいかに出崎演出を自分のものにしていったかに関する詳細な解説を藤津氏に執筆していただいた。興味のある方はぜひ……と思ったらAmazon品切れ! 文庫化か電子化希望。

『ガンダム』『カリ城』の演出技法を受け継ぐ


『機動戦士ガンダム』(79年)
勧善懲悪のストーリーから脱却。若者が共感する青春群像劇だった。

長井龍雪 『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(11年)、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(15年)
「ぜんぜん子どもに優しくない作り方が、子ども心にカッコ良く見えた。違う価値観をガンガンぶつけられる感じが気持ち良かった」

荒木哲郎 『進撃の巨人』(13年)、『甲鉄城のカバネリ』(16年)
「メカアクションものである以上に、人間としての真実に迫ろうとしている富野さんの一連の作品に惹かれた」。その後、荒木監督は富野監督の『Gのレコンギスタ』(14年)に参加。「モビルスーツが森で戦っている場面で、芝居の邪魔になる木を避けていた。富野さんに『お前演出の都合で木引っこ抜いたろ』と見透かされた。芝居に邪魔な木をよけたり、くぐったりすることで何かが生まれると思わない? と。本当にその通りだった。『甲鉄城のカバネリ』の甲鉄城は芝居に不便な設定だが、芝居に幅が生れて、明らかに面白くなった」

富野由悠季
「巨大ロボットと人物をワンショットで捉えるのはとても面倒くさい。物語に一体感を持たせるため、人物の行動様式と乗り物(兵器)の関係性をどう作っていくかが制作の肝になる」「(基礎が確立しているので)今の若い人たちは、そこを考えていない。正直うらやましいし、ラクしてるよね、と思う」

『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)
宮崎駿監督の映画初監督作品。

鶴巻和哉 『フリクリ』(04年)、『エヴァンゲリヲン新劇場版:破』(09年)監督
創作の原点の一つは『カリオストロの城』。「地下水路のシーンが好き。水の描き方がすごい。水のように見えるのにアニメとして動かしやすい。自分が水を描くとき、あらためてすごさがわかった」

大友、宮崎、庵野……スーパークリエーターの時代



1980年代は個性的な作品が生まれ、アニメ監督が注目されるようになる。

大友克洋 『AKIRA』(88年)、『スチームボーイ』(04年)監督
「マンガもアニメも非常に数が多い。成功する作品が1本あれば、あとは自由なことができる。自由なところから生まれる作品が面白い」

寺本幸代
「『AKIRA』の世界観に衝撃を受けた。鉄雄が肉塊になるシーンとかに感動した。とにかく描写が正確で緻密。自分もなるべく調べてリアルに描こうと思っている」

『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)
庵野秀明監督作品。斬新な設定と人間の内面描写が人気を呼び、社会現象になった。

長井龍雪
「サラリーマンをやめたきっかけが『エヴァ』。『エヴァンゲリオン』だったら好きと言っても恥ずかしくない。価値観の変わり方が衝撃的だった」

荒木哲郎
「通り一遍ではない人間の姿を描こうとした作品。でも、アニメを作るようになってからは、『娯楽性がありつつの』がポイントだと思うようになった」

『もののけ姫』(97年)
宮崎駿監督作品。邦画興行収入の最高記録を塗り替えた。

米林宏昌 『借りぐらしのアリエッティ』(10年)、『思い出のマーニー』(14年)
96年にスタジオジブリ入社。「宮崎駿監督のすごさを目の当たりにした。飛行機の飛ばし方や浮遊感の出し方を怒られながら教えてくれた。それが一番の財産。作品を作る姿勢も影響を受けた」「『アニメーションは子どものために』が高畑・宮崎両監督の考え。新作『メアリと魔女の花』もそう。子どもに何を見せるか、ものすごく責任を負っている」

と駆け足で紹介しても、この長さになる濃密さ。萌えアニメブームなど、90年代以降が豪快にすっとばされていた感があるが、60分では仕方なし。本編ではここに書ききれなかったアニメ評論家・藤津亮太さんの解説もすばらしいので、ぜひ再放送&長尺版を求む。
(大山くまお)