今夜4話「おんな城主直虎」そのお手つきというのはきつくか? 痛くされたのか?

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NHK 大河ドラマ「おんな城主 直虎」(作:森下佳子/毎週日曜 総合テレビ午後8時 BSプレミアム 午後6時)
1月15日放送 第2回「崖っぷちの姫」 演出:渡辺一貴  視聴率15.5%(ビデオリサーチ調べ 関東地区)
1月22日放送 第3回「おとわ危機一髪」 演出:渡辺一貴  視聴率14.3%(ビデオリサーチ調べ 関東地区)


1、2、3話と来て、徐々に視聴率は下がっているものの、主人公・おとわ(のちの直虎/新井美羽)が感情表現豊かに生き生きとしているし、幼なじみの亀之丞(藤本哉汰)と鶴丸(小林颯)もナイーブな美少年たちで楽しめる。
1月29日放送の4話ではいよいよ柴咲コウが登場するので、盛り返す可能性もある。その前の少女編をふりかえっておきたい。

亀之丞の父の謀反により、今川義元(春風亭昇太)の逆鱗に触れた井伊家は、お家存続のためにおとわと鶴丸を結婚させようとする。許婚の亀之丞に操を立てるおとわは、出家して逃げきろうとする(2話)が、事態はそれほど簡単ではなく、おとわは駿府の今川家へ人質として連れて行かれる。
おとわはそこで、義元の嫡男・龍王丸(中川翼)と蹴鞠勝負をして勝ち、井伊家に戻してもらう。彼女を助けようとする南渓(小林薫)の策はことごとく失敗し、結局、おとわは自分の手で道を切り開いていく(3話)。
今川家軍師・雪斎禅師(佐野史郎)と義元の母・寿桂院(浅丘ルリ子)など大器を感じる人物たちが話を引き締めた。

まず小ネタ的なところチェック


1話では、主人公が水に落ちる朝ドラ名物の通過儀礼のようなことが行なわれ、ついでにいえば、3話でとわの父・直盛(杉本哲太)も水にじゃぶじゃぶ入った。
3話では、大河ドラマの女主人公の伝統ともいえる「高いところに登る」が登場。
「篤姫」(08年)、「八重の桜」(13年)で主人公は木に登り、「江〜姫たちの戦国」(11年)では馬に乗って疾走る(それほど高いものではないけれど)。「花燃ゆ」(15年)に至っては、宣伝美術で早々に屋根に登っていた。そして、「直虎」のおとわは屋根の上にのぼって握り飯を食べながら、親たちがお家の今後に頭を悩ます話に聞き耳を立てる。
そのとき、おとわは頭に手ぬぐいをまいている。第2話の最後で、髪をじょりじょり刈ってしまい、なぜか左右非対称なままでいるのだ。

「お手つき」に関する勘違いに泣き笑い


「(亀之丞が)帰ってきて、鶴丸と夫婦になっていたら、亀がかわいそうではないか」と父母に訴えるおとわ。
極めてまともな考えではあるが、この時代はそんなことは通用しない。お家存続のために人間がいかようにも動かされる。
逃げたおとわが、出会った男(ムロツヨシ)が、「流れ者で村に養ってもらっている」「村と村との争いのとき、これで勘弁してと出される」役割なのだと説明すると、おとわは「かような商いがあるのか」と世間知らずな反応をする。自分も同じ身の上だとも知らず。(2話)

幼いゆえ、事情が何もわからないおとわを表して面白かったのは、第3話。
今川家に人質になっている、直平(前田吟)の娘・佐名(花總まり)について、乳母たけ(梅沢昌代)が「佐名様は太子様のお手つきとなったのです」と言うと、
おとわは鬼ごっこを思い浮かべる。そこからの会話が出色の出来だ。

おとわ「そのお手つきというのはきつくか? 痛くされたのか?」
たけ「(具体的に聞かれて動揺のあまり咳払い」そこまでは存じ上げませんが、なんどもなんども、それはもう数えきれぬほど)
おとわ「数え切れぬほど!」(つかまえた、つかまえた、と何度も鬼ごっこで捕まえられる妄想)
たけ「その挙句、飽きたら雑巾のように捨ておかれたのでございます。そうなることを半ばわかっていながら井伊は佐名さまを差し出した。佐名さまに井伊を恨むなというのは難しうございましょう」
おとわ「当たり前じゃ。お手つきなど一度でよい。鬼はそれで交代じゃ」

なんか凄い。本来、ここまで無邪気さと酷さに飛距離があると、どっちも強烈な印象を残すことを知った。森下佳子、「大河ドラマ」といって臆してない感じで頼もしい。

乳母たけ役の梅沢昌代はかつて舞台「ロミオとジュリエット」(04年)でジュリエットの乳母を演じたことがある。おてんばのお嬢さんを追いかけ回すたけを観ていると、ロミジュリの乳母の演技を思い出す。ジュリエットの乳母はけっこうあけすけにシモネタをお嬢さん相手にし、子供と大人があっけらかんとシモネタ話している成熟度みたいなものが感じられるが、「直虎」のおとわはまだ成熟の途上だ。

答えはひとつとは限らない


かわいそうな佐名、自分をこんな目に合わせた井伊家を恨んでいると思われていたが、結果的におとわの危機を助け、兄の南渓(小林薫)に感謝される。切ない。彼女と、今後、井伊家のために女を捨てていくことになるおとわとが重なる。

南渓はおとわにいろいろ示唆を与える役割。2話で、おとわは南渓に、竜宮小僧の真実について訊ねると
「みな正解じゃ。
こたえはひとつとは限らぬからのう
まだまだあるかもしれんぞ ふふふ」と意味深に笑うのだ。

それを受けたおとわは、井伊家存続のために、おとわと鶴丸を結婚させるしかないと考える父母(杉本哲太、財前直見)に和尚はこう言ってた↑と反論し、「なにも考えつかぬ阿呆なのでございますか」と挑発した結果、
剃髪する。
いい考えはないか精神集中するため鼓をポンポンと叩いてポーンで閃くのは、まさに「一休さん」だった。

道も一本とは限らない


結局、この剃髪もうまくいかずに、和尚に文句を言うと、
「それはおとわの出した答えがお粗末だったからでは」とさらりと返され、おとわはわああと泣いてしまう。
やっぱり子供。
南渓「昔あるところにのう」
おとわ「われは明日の話をしておるのじゃ」
南渓「諸行無常じゃ。明日は何が起こるかわからぬ」
さすが年の功、いいように幼子を手玉にとっている。

南渓と雪斎禅師こと佐野史郎が対峙する場面では、おお、状況劇場出身同士! とわくわく。

さて「諸行無常」といえば、「祇園精舎の鐘の声」・・・「平家物語」を思い出す。続くは、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」で、「直虎」に出てくる龍潭寺にも沙羅双樹の木がある。のちに井伊家の菩提寺となる彦根の龍潭寺では樹齢400年を超える沙羅双樹の花が観光の目玉になっている。
「万物は流転するものであり、永久に変わらないというものは世の中にひとつもない」とのが「諸行無常」。
おとわ(直虎)はこうして、定説を変えていく。これからが楽しみ。
「直虎」のテーマ曲を演奏するラン・ランは、大ヒットして映画化もされたドラマ「のだめカンタービレ」で上野樹里演じるのだめの演奏吹き替えをやっていた音楽家。のだめの無限に広がる明るい演奏を体現した才能が、「直虎」がこれから開いていく可能性を期待させる助けになっている。
(木俣冬)