安定したお給料を得ながらも、「本当にやりたいことは他にある気がする」と悶々としている人、結構いるのでは?

コスモポリタン フィリピン版では、意を決して仕事を辞め、夢を実現した女性たちにインタビュー! 彼女たちの言葉を読み進めるうちに、自分の本当の気持ちが見えてくるかもしれません。

名前:モリエル・デ・ディオス・リム

年齢:29歳

前職:救急救命室の看護師

現職:プロのフリーランス・メイクアップ・アーティスト

(彼女の作品はFacebookとInstagramでチェック!)

――いつ頃からメイクアップ・アーティストになりたかったのですか?

メイクへの興味が芽生えたのは、当時政府機関の病院で看護師として安定した職業に就きながらも、何か新しいキャリアを始めたいと思い、2010年にプロのメイクアップ・アーティスト・コースに通い始めてからです。

――なぜメイクの仕事をもっと早く始めなかったのですか?

私のメイクとの出会いは偶然のものでした。まさか自分がその分野に情熱を抱くとは、最初は思いもしませんでしたから。ただ、病院の外にも自分らしくいられる場所やチャンスがあるような気がしていて…。もちろん、病院で患者さんのケアをすることは大好きでしたけど、当時は、自分の魂がもっと生き生きできる場所を模索していたんです。

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――前職を辞めて、メイクアップ・アーティストとしてのキャリアを追い求めようと決めたきっかけは何ですか?

2013年に、当時の彼氏(今の夫)にプロポーズされたんです。その瞬間、一番はじめに頭に浮かんで来たのが『今こそ思い切って看護師の仕事を辞めて、自分が本当になりたいプロのメイクアップ・アーティストとしての仕事に集中しなきゃ! チャンスは今しかない!』ってことでした。

当時、看護師の仕事を辞めることに対して、両親にも友人たちにも反対されていて、なかなか踏み出せずにいました。『新卒で給料のいい政府機関の病院での仕事が与えられたなんて、本当にラッキーよ。その仕事を失うリスクを背負ってまで、どうして成功できるかも分からないメイクアップ・アーティストに転向しようなんて考えるの?』『経験年数もあるんだから、やろうと思えばカナダでも世界のどこででも(看護師として)働けるのに!』と言われていました。

彼らは正しかったです。私とフィアンセは結婚資金を貯めなければならなかったし、私はメイク業界に自分の入る隙などあるのかどうかも分かっていませんでした。本当にクライアントに雇ってもらえて、メイクをさせてもらえるくらい信頼を得られるのかなど、不安だらけでした。それでも、私は退職し、自分をメイクアップ・アーティストとして売っていく覚悟を決めました。はじめは無料でメイクをし、ネットワークを広げ、より多くの業界人と出会うために、あらゆる現場に出向きました。

――前職での通常の1日の過ごし方と、現職での1日の過ごし方を教えてください。

前職での1日は基本的にかなりバタバタしていました。医師、医療技術者、放射線科医など、多くの医療関係者と1日の中で関わりました。患者さんにおいても、人生の様々なステージにいる人たちのケアをし、要求に応えなければなりません。みなさんもご存知のように、救急救命室は病院の中でもっとも忙しい部門です。妊婦さんや脳卒中患者、心臓発作を起こした人や交通事故に遭った人、傷害事件に巻き込まれた人など、12時間のシフト中、あらゆる処置に対応しました。

現職での1日は、疲れることも多いですが、とっても充実しています! クライアントが新婦さんであるときは、早朝出勤になります。イベントの際は、写真家、映像作家、コーディネーターなど、多くのプロの方たちと関わります。芸能人のメイクをする際は、他のメイクアップ・アーティストやタレントのマネージャーさんなど、エンターテインメント業界の方々と出会う機会もあります。

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――転身の際、どのようなチャレンジ(試練)がありましたか?

一番大変だったのは、やはり前職を辞めてからしばらくして貯金が底を突いたときでした。現場に向かうためのタクシー代や、メイク道具を補充するためのお金もないのに、新人だからといって無料でメイクをして欲しいという依頼ばかり来ていました。

――それでもこの道に留まろうと思った理由は?

前職を辞めたときから、自分が進もうとしている道のりは決して楽ではないと覚悟していました。だから、特に辛い時期は、ひたすら自分自身に『努力は必ず報われる』と何度も何度も言い聞かせました。

今でも日々自分に言い聞かせています。努力、はっきりとしたビジョン、そして信仰心が、自分をなりたい自分へと導いてくれるって。まだそこに到達したとは言えませんが、たゆまず、諦めずに情熱を傾け続けることにより、昨日よりも今日、今日よりも明日と、一歩ずつ夢へと近づいていると確信しています。

――夢を追い求めようと決めてから、学んだことは?

「神への信仰、不屈の精神、根気強さ、挫折しても立ち上がる力、そして謙虚さが、どこへいっても最強の武器となることを学びました」

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名前:マーティー・ダトゥ

年齢:35歳

前職:銀行員

現職:画家(ビジュアル・アーティスト)

(作品はHPやInstagramでチェック!)

――いつ頃から画家になりたかったのですか?

画家になりたいという気持ちに気づく前から、画家になることを夢見ていたように感じます。母は私が3歳の頃から美術に興味を持っていることに気づき、それからは彼女が画について知っていることはすべて教えてくれました。スケッチブックや絵の具、パステル、デッサン用の鉛筆なども買ってくれたんです。そのおかげで私はさらに美術が好きになり、母の古い写真を題材に暇さえあればスケッチをしていました。

――なぜ画家の仕事をもっと早く始めなかったのですか?

夢見てはいましたが、現実的に本当になれるとは思っていませんでした。私の父は投資銀行で働いていて、彼はその仕事に生き甲斐を感じていました。それを見て育った私も、美術ではなく金融の道を選び、デ・ラ・サール大学の経済学部で経営学の学位を取得しました。それもあって、自分の中で美術はただの趣味だと考えるようになりました。

でも、その決断の結果、シンガポールのある多国籍銀行で働く機会が与えられ、そこで愛すべき美術との再会を果たすことになったんです。

私は週末の空いた時間を見つけては、クリエイティブなものに触れるよう努めました。そして、ロンドンで教育とトレーニングを受け、シンガポールのラ・サール芸術大学で8年間教授を務めたディパ・エイン・シアク氏というシンガポール人画家のスタジオを探し当て、通い始めました。先生は私の才能を見出し、諦めずに芸術を探求し続けるよう励ましてくれました。それからの2年間は、シンガポールで銀行員と画家という二足のわらじを履く生活が続きました。

――前職を辞めて、画家としてのキャリアを追い求めようと決めたきっかけは何ですか?

家族や友人と離れた海外での生活を通して、ゆっくりと立ち止まって振り返る時間が取れました。その中で、組織に残って成功していきたいという意思が中途半端で、義務感ばかりが募り、熱意に欠けていることに気づいたんです。私は周りに決められたレールに沿って、ただ歩いているだけでした。

それに気づいたことと、後の父の死は、マニラに帰国するという選択肢を再度検討するきっかけとなりました。実は当時、あるイギリスの多国籍保険会社から、シンガポール国内でのフィリピン市場開拓プロジェクトのオファーをもらっていました。目の前にある確約された高給、安定、地位、名声。しかしそれらも、私の心を変えるには至りませんでした。強い決心のもと、私は銀行員としてのキャリアに終止符を打ち、家族の暮らすマニラに帰国し、美術へと心を傾け、喜びに満ちた生活を送ることを選択しました。

――前職での通常の1日の過ごし方と、現職での1日の過ごし方を教えてください。

前職の1日は、朝早く出社し、デスクで朝食を済ませ、マーケティング会議に出席し、前日の取引を確認し、クライアントの電話対応をし、午前の取引を遂行し、レポートを作成し、時間があれば昼食をとり、書類を提出し、午後の取引を遂行し、クライアントの電話対応を再びして…と、退社時間までそれらをひたすら繰り返しました。

今の仕事の1日は、まず早朝に目覚め、聖書を読んで日記をつけ、瞑想する時間を設けます。それから母と一緒にしっかりとした朝食をとり、一緒に1時間ほどかけて最近の出来事や恋愛や人生について色々と語り合います。その後スタジオへと出かけ、1日の活動内容を決めます。午前中は主に作品のプロファイリングやメールの返信、SNSサイトのチェックなど事務関連の業務をこなします。そして午後は5〜6時間ほどスタジオ内で画を描きます。

――転身の際、どのようなチャレンジ(試練)がありましたか?

絵画がそうであるように、この仕事を始めた私の頭の中も、答えの見えない質問だらけでした。どこから始めればいいのか? 果たして自分の画は売れるのか? どこへ行けば同じビジョンを持つ仲間に出会えるのか? 作品制作のみに集中して活動する多くの画家と違い、私はクリエイティブ面とビジネス面を自分で一手に引き受けようとしていました。自分ですべてを体験しておきたかったからです。だからこそ、もう…大変なんてものじゃなかったですね。自分が立ち向かっている壁の大きさを知らないまま突進し続けることは、怖いし、落胆させられるときも少なくありませんでした。

また、自分の作品を世に出すこと自体が私にとっては大きなチャレンジでした。なぜなら、私の画はとても個人的で個性的であり、批判を受けやすい対象となり得るからです。かつ、私は芸術分野の学位を持っていませんし、画家として立派な履歴や経歴も掲げられませんでした。私は、ただただ"ものを創りたい"という一心で、このキャリアに手をつけました。となると、弱みも多く、なかなか大変なものがあるのです。作品も見ずにまず学歴を求める人もいれば、予想外のことをしようとする私を蹴落とそうとする人もいます。また、『画家なんていうのは"本物の仕事"じゃないから、以前の金融業界のキャリアに戻った方が安定していい』と言う人もいました。

――それでもこの道に留まろうと思った理由は?

人は自分の本当の志に従い、神に定められた生き方をまっとうしようとすれば、自ずと道は開けて来ると信じています。シンガポールから帰国してすぐに、自分の作品を展示してくれる場所がないか方々探し歩きました。ある日、とある画廊に入って、勇気を振り絞って自分の作品を見せたところ、その場で私の画をショーケースする機会を与えてもらいました。そして33歳の誕生日を迎えた日が、初めての個展のオープニング日となりました。部屋は人でいっぱいで、家族や友人や見知らぬサポーターの皆様からの愛と励ましに満ちていました。

画家に転職して3年を先日祝いましたが、本当にジェットコースターのような道のりでした。以前の銀行の仕事とはまったく違いますが、心から自信を持って、今の仕事が大好きで、自分は今幸せだと言えます。

――夢を追い求めようと決めてから、学んだことは?

"生計を立てる"ことではなく"人生を築く"ということを学びました。朝起きたくなるような、ワクワクして鼓動が自然と高鳴るような、そんな生き方を見出すことを恐れないでください。人は大好きなことをやっているだけで、多くの人たちの心を動かすことができるんですから。みんながそうやって生きれば、世界だって変えられると、私は本気で思っています。

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: 名和友梨香

COSMOPOLITAN PH