「宮内庁HP」より

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 要するに、天皇陛下のお気持ちやそれに共鳴する国民の思いを抑え込もうとしている首相官邸が、有識者会議という提灯を掲げて、議論を一定方向に誘導しようとしているのではないか--。

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がまとめた「論点整理」なる書面を読んで、改めてその思いを強くした。

●「とりあえず負担を軽減してさしあげればいい」のか?

 この書面では、退位に関するプラス面マイナス面を列挙してあるが、特に、皇室典範を改正して将来の天皇も対象とする制度改正にすることついては、消極的な意見が数多く、そして長々と並べられている。政府は、今の陛下一代に限って退位を認める特例法を検討していると伝えられているが、有識者会議がそれを後押ししている格好だ。

 会議のメンバーは政府が選んだ。有識者会議で意見を披瀝(ひれき)した専門家たちも、事務局、すなわち政府の側が選定。しかも、こうした書面の原案は、事務局、つまり政府の側が作る。となれば、このような方向になるのは、目に見えていた。しかし、これでは天皇陛下のお気持ちのみならず、国民の多くが陛下のおことばを聞いて感じたところからも乖離しているのではないか。

 そもそも、天皇陛下が提起され、多くの国民が共鳴した問題は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。「論点整理」を読んでも、そこには「象徴天皇のあり方」をめぐる議論の痕跡はない。議事録に代わる「議事概要」に目を通しても、ほとんど話題になっていない。

 それどころか、誰かはわからないが、委員からはこんな発言もあった。

「恐らく国民はとりあえず負担を軽減してさしあげればいいと思っている」(第7回)

 果たしてそうか。

 昨年8月に天皇陛下がビデオメッセージを公表された後、さまざまな世論調査で、9割を超える人々が「退位を認めてよい」と答えたのは、ひとつに「陛下はもう十分にお務めになった」「もう重荷を解放してあげたい」という思いもあるだろう。けれど、決して負担軽減だけに人々の関心があるわけではないはずだ。陛下の思いに共鳴したからこそ、6、7割の人たちが将来にわたる制度設計を期待したのではないか。

●“忘れられた被災地”に心を寄せ続けた両陛下

 そもそも陛下は、「年を取ってくたびれたから、もう天皇をやめて休みたい」と言われたわけではない。陛下がビデオメッセージで国民に直接語られたおことばのテーマは、「象徴天皇のあり方」だった。

 その前半には、こんな文章があった。

<即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。>

 そして、具体的には「国民の安寧と幸せを祈る」だけでなく、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切」にし、「自らのありように深く心し」「常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」努力を続けられた。

 国民は、これまでの陛下の行動を伝える報道の場面を思い出しながら、陛下がどのような思いでおられたのかを知り、深く心を打たれたのではなかったか。私も、宮内庁のホームページに掲載されている映像を何度も再生し、おことばを繰り返し聞き返しながら、被災地でのお見舞いや戦没者の慰霊の旅などでのお姿が次々に心に思い浮かんだ。

 国民と苦楽をともにすると言うが、今上陛下の場合、国民の中でも今、最も困難な状況にいる人たちに心を寄せる、ということを、ずっと意識されていたように思う。

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故の後の、陛下のビデオメッセージや被災者への相次ぐお見舞いは、多くの人がよく覚えていると思う。それと共に、私が忘れられないのは、長野県栄村へのご訪問だ。

 栄村は、東日本大震災の翌日、震度6強の大地震に見舞われた。村内の200戸が全半壊した。人口2000人足らずの村で、一時は1700人が避難。地震そのものでの死者はなかったが、避難生活中に3人が亡くなった。

 しかし、当時の私の関心は、死者・行方不明者が2万人近くに上った東北地方の状況や、原発事故の影響にほぼ100%向けられていて、この村の被害に思いを致す余裕はなかった。マスメディアでの報道も圧倒的に少なく、栄村は忘れられた被災地であった。

 その栄村を、天皇皇后両陛下が訪れられたのは、翌年7月だった。陛下は、本当はもっと早く、前年秋に訪問をされるおつもりだった。しかし陛下ご自身が体調を崩され、気管支肺炎で入院されたため、この時期になったのだ。

 両陛下は、32度の炎天下に、仮設住宅で生活している一人ひとりに「大変だったでしょう。もう少し早く伺いたかった」などと声をかけ、励まされた。

 メディアの関心の外にあり、私を含めた人々の関心の外にあったこの村の災害を、両陛下はずっと気にかけておられたのだ。そして、ご自分たちが訪問なさることで、メディアが報じ、国民の目がこの地に向けられ、ここが「忘れられた被災地」ではなくなることを、意識されていたのだろう。

●垣間見える首相官邸の意向

 両陛下は、皇太子同妃時代から46年かけて、全国14カ所あるハンセン病の療養施設すべてを訪問されている。強制隔離政策による人権侵害を受けた元患者らを励ますだけでなく、自ら手を取って語り合う姿を見せることで、差別・偏見をなくしたいという思いがあったに違いない。

 こんなふうに、ご自身が困難な人たちに寄り添うだけでなく、そういう人々と多くの国民をつなぐ絆としての役割を、両陛下は果たしてこられた。

 国民は、両陛下のそうした地道な活動を受け入れ、支持し、感謝や共感、敬愛の念をもって応えた。こうして「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という抽象的な憲法の文言は、具体的なイメージを形作っていったのである。現在の象徴天皇のありようは、この両陛下と国民との間の相互作用の結果と言えよう。

 現憲法下の象徴天皇のあり方は、今後の天皇によって少しずつ変わるかもしれないが、はるか昔のように、御簾の内に隠れ、国民の目に見えない存在に逆戻りすることは考えられない。今上陛下が大事にされた「国民と共にある象徴天皇」像に、今後の天皇の個性が色づけされていくのだろう。

 陛下は、昨夏のメッセージを次のような言葉で締めくくられている。

<これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています>

 ここに込められているのは、自分一代ではなく、次代、次次代、さらにその先も、天皇が国民と共にあり、象徴としての役割を果たしていってほしいという思いだろう。

 この永続性への願いこそが陛下のおことばのキモであり、そこを漠然と感じ取ったからこそ、国民の多くが、将来にもわたる制度設計を求めたように思う。

 陛下と国民の間とは、このように一定の意思疎通ができているのに、政府と有識者会議はそれとは別の方向を向いているのではないか。

 今年に入って、「2019年の元日に皇太子殿下が即位する」という報道がずいぶんと出回った。政府関係者が情報をメディアに情報提供し、報道を通じて既成事実化させようという意図があったのだろう。

 それに対して、宮内庁の西村泰彦次長が記者会見で、元日にはさまざまな儀式・行事があって、この日に譲位、即位を行うのは難しいという見解を述べた。聞けばなるほど、もっともな話だ。官邸側は、そういう事情すら聞かないまま、ずんずんと官邸側の意向でコトを進めようとしているのではないか。

 西村次長は、天皇陛下のおことば表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、当時の長官を事実上更迭し、次長を昇格させる人事を行った際に、後任次長として送り込まれた人物だ。そんな西村次長ですら「寝耳に水」とこぼすほど、官邸は宮内庁との意思疎通を欠いたまま、“我が道”を行こうとしているように見える。

 本当に心配だ。

 安倍首相は、この「論点整理」を衆参正副議長に渡し、国会での議論を促した、という。その議論が、単に官邸の意向にお墨付きを与えるだけのものにならないよう、願ってやまない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)