新体制発表を行った湘南ベルマーレ。MF齊藤未月(前列の一番右)とDF石原広教(齊藤の左)は幼稚園時代から一緒のチームでプレーしている【写真:藤江直人】

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「幼稚園からプロまでずっと一緒」

 J2からの捲土重来を期す今シーズンの湘南ベルマーレ。菊池大介は浦和レッズ、三竿雄斗は鹿島アントラーズへと旅立ったが、希望の二文字も紡がれている。資金難に直面しても死守してきた普及・育成部門でジュニアからベルマーレひと筋で育ち、クラブのアイデンティティーを託されたMF齊藤未月とDF石原広教。同じチームでプレーすること、実に14年目を迎える東京オリンピック世代のホープを通して、ベルマーレの「これまで」と「いま」、そして「これから」を見ることができる。(取材・文・藤江直人)

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 遠くに富士山を眺める相模川沿いの馬入ふれあい公園サッカー場での練習を終え、シャワーを浴びて帰り支度を整えると、湘南ベルマーレの十代コンビ、MF齊藤未月とDF石原広教は自転車に乗り込む。

 ゆっくりとペダルをこぎながら、国道1号線をわたってJR平塚駅へ。駐輪場に自転車をとめて、JR東海道線の上り電車を待ち、車内では終わったばかりの練習についてあれこれ語り合う。

 いまに始まった日常ではない。湘南ベルマーレジュニアでチームメイトになった小学校5年生の4月から、ジュニアユース、ユースをへてトップチームでも。間もなく9年目を迎えようとしている。

 もっとも、これはベルマーレでの日々に限った年数だ。ともに1999年の早生まれの2人が初めて出会ったのは、幼稚園の年長のとき。神奈川県藤沢市で活動するサッカー少年団、藤沢FCだった。

「それで僕のほうが先に、ベルマーレのジュニアに合格したんです。4年生の10月だったと思います」

 今シーズンからトップチームへの昇格を果たした石原が記憶をさかのぼらせれば、石原に先駆けるかたちで、昨年5月にいわゆる「飛び級」でプロ契約を結んでいる齊藤が笑顔で続いた。

「実はヒロ(石原)につられて、自分もベルマーレに入ろうと思ったんです」

 半年ほどのブランクをへて、齋藤もセレクションを突破する。再び幕を開けた切磋琢磨する関係。始まりが6歳のときだから、今年で何と14年目になる。今度は2人がそろって、ちょっぴり照れくさそうに声を弾ませた。

「幼稚園からプロまでずっと一緒、という選手は他のクラブにもまずいないと思います」

 先に頭角を現したのは石原だった。ジュニアにはゴールキーパーとして入団したが、身長が伸びなかったこともあり、フィールドプレーヤーとしてジュニアユースに再挑戦して合格。中学2年生になると、ただ一人、ひとつ上の学年のチームに引き上げられ、試合にも出場するようになった。

「中学3年生になると、ヒロは県選抜にも選ばれていた。自分もたまに上のカテゴリーのチームに呼ばれましたけど、ヒロとは違ってベンチが多かった。もちろん、県選抜にも呼ばれませんでした」

 当然ながら、負けん気に火がつく。その後に訪れた齋藤の変化は、常に近くにいた石原をも驚かせた。

「急に体が大きくなってきたんです。それまでは普通の選手だったんですけど、中学3年生の後半くらいから急に上手くなって。ミツキ(齊藤)は昔からストイックだし、陰ですごい努力をしているんだなと思いました」

先にプロ契約を勝ち取ったのは齊藤

 そろってユースへの昇格を果たした2014シーズン。秋に開催された長崎国体で、2人は神奈川県選抜に名前を連ねる。少年男子の部を制したチームで齊藤はレギュラー、石原は途中出場が多かった。

 翌2015年の6月になると、齊藤がU‐16日本代表に初めて招集された。8月には石原もU‐16日本代表入りを果たし、ともに日の丸を背負ったが、竹馬の友に「逆転された」という思いは強かった。

 そして、ユースでも最上級生になった2016年5月に、齊藤がプロ契約を勝ち取る。通っていた高校を定時制のそれに代えて、新たな道を歩み始めた盟友の背中を見つめながら、石原は必ず追いつこうと誓いを立てた。

「ミツキ本人には直接言っていないけど、かなり悔しかったですね。別に親友とかライバルという関係ではなく、ごく自然の間柄というか、そばにいるのが当たり前という感じだったので」

 齊藤は「32番」を背負い、リーグ戦、ヤマザキナビスコカップ予選リーグにそれぞれ5試合ずつ出場。ボランチやシャドーのポジションで、165センチ、61キロの小さな体を躍動させた。

「自分の特徴でもある、ボールを奪うという部分では少しずつ自信にはなってきているのかなと。あまり得意としていなかった、ボールを受けるという部分もだんだんと苦ではなくなってきた。そういうところでは経験を積めたと思いますけど、まだまだ足りないし、技術や判断力の速さはもっと磨いていかないといけない」

 目標としている選手がいる。ジュニアユースやユースの一員としてJリーガーを夢見ながら、トップチームの心臓部を担っていたボランチの永木亮太(現鹿島アントラーズ)の一挙手一投足を自然と追いかけた。

 自分の武器だと自負するボール奪取力。前へ進む力の源となる豊富なスタミナと走力。曹貴裁監督のもとで育まれてきた「湘南スタイル」のDNAが育成組織にもしっかりと浸透しているなかで、ベルマーレのアイデンティティーを誰よりも色濃く受け継いだ齊藤は今シーズンから「16番」を与えられた。

「昨シーズンの半分になった、という感じですね。背番号はあまり意識しませんけど、将来的には『6番』を背負える選手になりたい、という思いはあります。自分にとって目標の一人が(永木)亮太さんですし、昨シーズンの終盤は鹿島だけではなく、A代表にも選ばれて活躍していた。盗めるものは多いし、いつかは超えていきたい」

石原も2種登録選手として2016年9月にトップデビュー

 ファイターを自負する169センチ、63キロの石原は、3バックの左右を主戦場としきた。その視線はいつしか、3バックの右で「湘南スタイル」を体現し、キャプテンとして臨んだ昨夏のリオデジャネイロ五輪に先駆けて、ハリルジャパンでもデビューを果たしたDF遠藤航(現浦和レッズ)へと向けられた。

「対人の強さや戦うということに関しては、自分でも通用すると思っているんですけど。他の選手と比べて足元の技術がちょっと足りないので、せめて普通のレベルになれるように。そこを向上させていかなければ、上にはいけないと思っているので。いつかは(遠藤)航さんを追い越すような、怖い選手になっていきたい」

 トップチームへの昇格内定を勝ち取った直後の昨年9月22日。徳島ヴォルティスをホームに迎えた天皇杯3回戦で、2種登録選手としてトップチームに帯同していた石原は、3バックの左で公式戦初先発を果たす。

 緊張と興奮を何度も交錯させながら、何とか無失点での勝利に貢献できた。ダメ押しとなる3点目を決めて、公式戦初ゴールをマークしたのはボランチでフル出場していた齊藤だった。

 曹監督は決してチャンスを与えたわけではない。直前までの練習を指揮しながら、勝利するために必要な戦力だと判断したからこそ、齊藤と石原を先発として抜擢した。育成年代から弱肉強食のプロの世界へ。2人が紡いできたストーリーはヴォルティス戦から 新たな章に突入し、2017シーズンに至っている。

「今シーズンの目標はどんな形であれ、すべての試合に絡んでいくこと。ヒロとは紅白戦などで敵になることが多く、バチバチすることもあったけど、お互いにこうやって上のカテゴリーに上がって来られて、プロサッカー選手として一緒の舞台に立てるのはやはり嬉しい。ポジションは違いますけど、これからもお互いに切磋琢磨していきたい」

スポンサー撤退で育成部門は廃止の危機を迎えたことも

 菊地俊介、背番号を「16」から「6」に変えた石川俊輝、柏レイソルから期限付き移籍で加入した秋野央樹らが厚い壁を築くボランチへ。そして、キャプテンの高山薫、浦和レッズからの期限付き移籍を再延長して3年目を迎えた山田直輝、今シーズンから「7番」を託されたひとつ年上の神谷優太らがひしめくシャドーへ。ポジション争い割り込んでいきたいと齊藤は腕をぶす。

 一方で最終ラインは、3年間にわたって3バックの左を務めてきた三竿雄斗が、このオフにアントラーズへ移籍。実質ゼロからのポジション争いとなった状況に、「28番」を背負うことが決まった石原は闘志を高ぶらせる。

「(プロ契約は)通過点というか、ここからがスタート。最終的には世界を目指している者として、もっともっと努力を惜しまずにやっていきたい。ユースに上がってからは常にミツキが先にいることを考えたら、やっぱり大きな存在かもしれない。特に意識はしていないけど、そのなかで自然と競争してきたというか。ミツキがいるから、いまの僕があると思うので」

 メインスポンサーだった株式会社フジタの撤退に伴い、それまでのベルマーレ平塚から責任企業をもたない市民クラブの湘南ベルマーレへと生まれ変わったのが2000シーズン。資金難に直面していたこともあり、コストがかかる中学生以下の育成・普及部門を一時的に廃止してはどうか、という意見が出されたことがある。

 経営が安定したときに再び結成すればいい――まずは目の前の苦難を乗り越えるべきだ、とする提案に真っ向から異議を唱えて、存続への流れを作ったのが、常務として経営に参画したばかりの眞壁潔代表取締役会長だった。

 後にワールドカップ・ドイツ大会代表となる茂庭照幸(現セレッソ大阪)を輩出したジュニアユースを含めて、ピラミッドの底辺を支える子どもたちを手放すことは、ベルマーレのアイデンティティーをも捨て去ることになると、眞壁氏は未来を見すえながら経営陣を説き伏せた。

小学生からベルマーレひと筋の2人が受け取ったバトン

 2002年4月には、NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブを設立して、ユース以下を移管した。経営会社の業績に左右されることなく、普及・育成部門を7市3町へ拡大したホームタウンの「聖域」にしたい。Jリーグで初めてとなるNPO法人の設立には、不退転の決意が込められていた。

 2005シーズンにはアカデミー全体の指導方針や指導体系を整備する役割を託して、セレッソでコーチを務めていた曹監督を招聘した。経営が少し上向いた2012シーズンからは、ユースだけをトップチームと同じ強化部の組織に移して連携を強化した。

 湘南ベルマーレとしても大切に守り続けてきた普及・育成部門から、古林将太(現名古屋グランパス)、菊池大介(現レッズ)、そして遠藤らが育ち、成長が認められた証として新天地へステップアップしていった。

 そして2017シーズン、小学生からベルマーレひと筋で育ってきた齊藤と石原が、緑と青の歴史と思いが凝縮されたバトンを受け取った。昨年4月にユースのコーチに就任し、今シーズンからはトップチームに加わった小湊隆延コーチは目を細める。

「年下の2年生や1年生が、彼ら2人を見ながら『ああいう選手になりたい』とリスペクトしているんですね。目標となる選手であり、なおかつお互いを引き上げ合う関係が、アカデミー全体にいい影響を与えていた。彼らがトップチームで活躍すれば、下の子どもたちにさらに刺激を与える。曹監督も大事に育てていくと思いますし、今後が本当に楽しみですよね」

 J2降格からの捲土重来を期す今シーズン。菊池や三竿、大槻周平(現ヴィッセル神戸)らが旅立ったが、その分だけ、未来へ希望を灯すホープたちの鼓動が脈打っている。齊藤と石原、同学年で市立船橋から加入したDF杉岡大暉、そして神谷の4人が、出場資格をもつ2020年の東京オリンピックの舞台で躍動する光景を、眞壁会長以下のフロントは思い描いている。

(取材・文:藤江直人)

text by 藤江直人