ロンドン五輪で、日本女子バレーに28年ぶりのメダルをもたらした元全日本代表監督、眞鍋政義氏に話を聞く機会を得た。そのロンドンと昨年のリオ、2度の五輪について、さらに、自身の代表監督退任後の進路を含めたバレー界の未来について、語ってもらった。


―― ロンドン五輪で銅メダル、リオ五輪ではメダルに届かず5位でした。まず、日本代表監督時代を振り返っていただけますでしょうか。

眞鍋 この8年間はスタッフ、選手に支えてもらいました。もちろん前監督の柳本晶一さんが築いてくださったものにも助けられました。だから、全スタッフ、全選手はもちろん、私が就任する前の監督の方々にも感謝したいです。

 任期中は厳しいことを選手にいろいろ言いました。特に「日の丸をつける覚悟」。これについては、口を酸っぱくして言いました。ロンドン五輪銅メダル、リオ五輪は5位ということで、目標達成が「できた」「できなかった」というのはありますが、一番大事なことは、その目標に向かって、1日1日、必死になってやることです。その道のりが重要なんだと思います。

 しかし私はプロなので、結果を残せなかった責任を取らなければなりません。私自身も勉強させていただきましたし、みなに感謝して次のステージに進みたいと思います。すべてはプラス思考で!

―― ロンドン五輪で銅メダルを獲得されたときのことを伺います。長い間メダルから遠ざかっていた日本バレーが、偉業を達成できた理由は何だったと考えていますか。

眞鍋 素晴らしい選手に恵まれた、というのはありますね。特に、北京五輪からの選手が多く残ったことが大きかったです。北京五輪を経験した選手がロンドンでは主力となり、五輪に出場することだけではなく、その先のメダルに挑戦するという目標が現実味を帯びたからだと思います。

 一番変わったのは、2010年の世界選手権で32年ぶりに表彰台に上ったときでした。歴史を振り返ると、バレーボールは「4年周期で4つの大きい大会が回っている」というのは注目すべき事実です。五輪の次はグランドチャンピオンズカップ、その翌年が世界選手権、さらに次の年がワールドカップ、そしてまた五輪と回ります。

 調査の結果、世界選手権、ワールドカップで上位に残ったチームが五輪でメダルを獲る確率が高い。特に、五輪の前年に開催されるワールドカップでベスト4に入るチームは、かなり高い確率で翌年の五輪でメダルを獲得していました。

 日本は2010年世界選手権で3位、2011年ワールドカップで4位。それでロンドンで銅という結果でした。そして、今回のリオ五輪までの4年はその傾向どおり、世界選手権7位、ワールドカップ5位ときて、最後は5位でした、

―― では、リオ五輪は戦前からかなり分が悪い戦いになると予想されていたと。

眞鍋 当然です。世界の他のチームはみんな背が高くなる、パワーヒッターがいる。その中で、日本の現状把握をして、厳しいことはわかっていました。だから「化学反応」を期待しました。最後はそれしかないと思いました。

―― 眞鍋さんというと、いろいろな戦術を駆使されていた印象があります。

眞鍋 それは目標を達成するためです。まずはメダル獲得、その次は世界一......。

 今まで日本は(男女で)3回金メダルを獲っています。1964年東京五輪は、大松博文監督が編み出した「回転レシーブ」という技を使って。1972年ミュンヘン五輪、男子の松平康隆監督の時は「時間差攻撃」が秘密兵器となり、1976年モントリオール五輪、山田重雄監督の時は松田紀子さん、白井貴子さんの「ひかり攻撃」という速い攻撃がありました。

 こうして歴史を見ると、今まで日本が金メダルを獲得したのは、新しい戦術を開発したときですよね。何か新しいこと、戦術をしないと勝てない。だからいろんなことをしました。「MB1」とか「ハイブリッド6」とか。私が日本以外の代表監督なら、こういうことはしなかったです。普通にやって勝ちたいですよ。でも、それは仕方がないことで日本は背が低いですから。

 2008年に代表監督になった時、松平さんに呼ばれ、いろんな話をしていただきました。その中で一番心に残った言葉が「非常識を常識に」というものでした。「眞鍋があと3年半後のロンドン五輪までに、世界のバレーボール関係者から『お前の戦術は非常識だ』と言われようが、『これが常識だ』だと言われるまでやり続けることができた時、もしかしたらメダルが獲れるかもしれない」と言われました。

 やっぱり大先輩がおっしゃったことですから、素直に受け止めて、いろんなことに挑戦しました。選手もスタッフも、よくそれについてきてくれました。

―― ロンドン前にされていた戦術というのは。

眞鍋 セッターからアタッカーが打つまでの秒数を速くしたり、真ん中パイプ(前衛のクイックをおとりにしてバックアタック)を速くしたりですね。あと、(159cmしかない)竹下(佳江)がディグ(スパイクレシーブ)するから、次のトスをリベロの佐野(優子)に、まかせてスパイカーを増やし、さらにアンダートスで速く上げるようにしたんです。

―― リオ五輪の5位という結果は、どう捉えていますか。

眞鍋 いろんな要因がありますが、一番は世界との身長差ですね。今回のリオ五輪ベスト4に入った中国・セルビア・オランダ・アメリカで考えてみます。

 リベロ、セッター、レシーバーを除くと4チームで34人のアタッカーがいました。34人のアタッカーのうち、オランダの左利き6番だけが180cm。ベスト4に入ったチームのアタッカーのうち、その1人を除いた33人は全員が185cm以上。それほど身長差があります。現実、日本の一番高いアタッカーが186cmですから。

 だから今後、より一層厳しくなるとは思います。国内で活躍するのももちろん大事ですが、世界に行っていろいろな経験を積んだり、高いレベルを体感することも、チーム・ジャパンにとっては大事なことだと思います。

―― リオ五輪の前に取材した時も、先ほど話に出た「化学反応」に賭けるとおっしゃっていましたが、それは少しでも起きましたか?

眞鍋 起こらなかったです。だから5位だったのでしょう。

―― 具体的には、何を期待していたのでしょうか?

眞鍋 それは会見でも言いましたが、わかりません。何かと何かが混ざり合って、化学反応が起こるじゃないですか。爆発力なのか、チームのすごいまとまりなのか、勢いなのか、それはわかりません。

 とにかくベテランも若い選手も頑張ってくれました。終わったことを悔やんでも前には進めませんので、五輪で5位という経験をしたメンバーも、最終的にメンバーに入れなかった選手も、この結果を真摯に受け止め、次のチャンスへ向けてベストを尽くしてほしいと思います。


 リオ五輪後、眞鍋は代表監督の立場から離れ、新しいステップを踏み出すことにした。姫路市を拠点としたプロの女子バレーチーム、「ヴィクトリーナ姫路」のGMに就任したのである。姫路は眞鍋の出身地でもある。姫路から五輪選手やスタッフを輩出すること。これが今の目標だという。

―― 眞鍋さんは、新日鐵を退社してセリエAに挑戦した頃から、日本代表監督も含めて、これまでプロ契約でやってこられたのですか?

眞鍋 36歳からずっとプロ契約です。いろいろ形態は違いますけどね。自分の人生を振り返ってみると、いつも思うんですが「チャレンジ」が大好きなんです。なんでかな、これは。

―― 温厚そうな眞鍋さんの、見た目のイメージとは違いますよね。

眞鍋 そうかもしれない。でも、大好きなんです。やりがいがある。

―― Vリーグの男子選手の中で、ほぼ初めてと言っていい海外リーグへの挑戦もされましたし、帰ってきてからも松下電器(現パナソニック)、旭化成でプロ契約選手として現役を続けられました。

眞鍋 新日鐵の監督兼任選手の時に、外国人選手を監督としてスカウトしようとしたら、会社から「逆に眞鍋が海外でプロとしてやればいい」と何度も勧めてもらいました。ただ、当時は終身雇用が当たり前の世界でしたから。

 そして、監督を6年間やって、そろそろ退こうと思い始めた頃、海外でプレーをするという夢が現実味を帯びてきました。年齢的にも最後の挑戦、「プロとしてプレーするなら、これが最後のチャンスだ」と、36歳でプロ契約を決心しました。

 でも、家族は新日鐵を退社し、海外でプロ契約をすることに大反対しました。当然ですよね、幼い子供が3人もいるのに、60歳まで安定が約束されている新日鐵という大企業を退社するなんて。でも、36歳の自分に世界のビッククラブからオファーが来た。最後のチャンスと家族を説得しました。そして、イタリアでプレーしたことで、バレーボールに対する意識も変わり、その後のバレー人生にも大きく影響しました。

―― ヴィクトリーナ姫路の、バレーチームと並ぶ、もうひとつの柱である「ヴィクトリーナドリームス」について、教えてください。

眞鍋 オリンピアンの、竹下佳江、佐野優子、大友愛、井上香織、彼女たちと一緒に、女性のセカンドキャリアを築いていこうというものです。このドリームスは、日本のバレー界を発展させようという目標のもとに、日本全国を回って、バレー教室をやったり、イベントを企画したりしています。森永乳業さんがスポンサーについてくださっています。

―― 活動の収入源は?

眞鍋 スポンサー様です。プロチームなので、ファンクラブ、後援会......みなさんのチームですから。

 元全日本選手のバレーボール教室はこれまでもあります。しかし、今までのバレー教室は基本的にボランティアですよね。姫路は事業として展開します。

 僕が一緒にやったロンドンのメンバーも引退して、"元"全日本選手になりました。彼女らは幼い頃から努力して、努力して全日本に選出されて、メダルを掴んだ。でも、あれだけ努力したのに引退したら経済面で不安定になり、将来に不安を感じています。そのような姿を見て、彼女たちの環境を変えてあげたいと思ったんです。

 つまり引退してからのキャリアのひとつとしてバレー教室などを開催し、経済面をサポートしたいんです。選手を引退してもみんなバレーが大好きですし、バレーに関わりたいんです。その一環として今回ドリームスを作ったんです。

 だから選手として姫路に来たら、頑張って五輪に行って、五輪に行ったあとはドリームスに入る。プロの選手として頑張って生き残れば、将来の安定が約束されているという環境を作りたいんです。この循環ならば、将来的に困らないと理解してもらい、まずはプロ選手として頑張ってほしいのです。そうなるとプロ化が絶対必要なんです。すごくいいシステムでしょう? 今までバレー界では誰も考えていないと思いますよ。

―― ヴィクトリーナ姫路を目指す子供たちに伝えたいことはありますか。

眞鍋 ヴィクトリーナ姫路は、日本代表選手やスタッフを輩出できるようなチームにしていきたいと思っています。子供たちみんなに「ヴィクトリーナ姫路でプロ選手になりたい」と思ってもらえるような夢のあるチーム作りを、これからしたいと思っています。


 眞鍋は、日本代表選手として、また全日本監督としての経験から、今後日本男女バレーが五輪などで表彰台に上るためには、プロ化が必要だと結論づけた。スーパーリーグ構想は、当初の目標からかなり軌道修正が図られることになったが、ヴィクトリーナ姫路が今後どのように活動していくのか注目していきたい。

中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari