日本を代表する映画監督の一人である細田守が、2005年に東映アニメーションを離れた後、最初に監督した劇場版アニメーション『時をかける少女』。
2006年7月15日の公開初日はわずか6館のみでの上映という小規模なスタートだったが、人気は口コミで広がり、最終的には40週におよぶロングラン興行に。
アニメファンの間では気鋭の作家として知られていた細田がファン層を大きく広げ、『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』という大ヒット作を生みだしていく出発点となった。
公開10周年を迎えた2016年7月から、東京国立博物館での野外シネマや期間限定の「時をかける少女カフェ」のオープンなど、さまざまな記念企画が開催。「時をかける少女 10th Anniversary Blu-ray BOX」も発売された。
そこで10年前から作品に深く関わってきた、KADOKAWA代表取締役専務執行役員の井上伸一郎、スタジオ地図代表取締役の齋藤優一郎プロデューサー、KADOKAWAの千葉淳プロデューサーの3名に、当時の思い出や10周年記念プロジェクトについて語り合ってもらった。


「細田君が作りたい物を作らせてやってくれ」と言われた


井上 最初は自己紹介ですかね。『時をかける少女』では、「企画」という立場でクレジットされています。実際に何をしたのかと言いますと、公開のさらに2年前、当時は角川書店のアニメ・コミック事業部長だったのですが、(アニメスタジオの)マッドハウスの丸山正雄さんから、細田守監督が独立されるので一緒に映画を作りませんかというお話を頂きまして。しかも、『時をかける少女』をやりたいというお話だったので非常に嬉しくて。「じゃあ、やりましょう!」と企画を進めさせて頂きました。
齋藤 僕は当時マッドハウスの社員プロデューサーで、丸山の側でずっと仕事をしていたんです。それで、細田守監督が『時をかける少女』をアニメーション映画化する事になった時、「お前、細田君と一緒にやらないか?」と声をかけてくれたんです。僕が、常々「子どもと大人が一緒に楽しめるアニメーション映画を作りたい」と話していた事を覚えてくれていたのかもしれません。でも井上さんからの推薦があったという説があって……。
井上 僕が丸山さんに「現場のプロデューサーはぜひ齋藤さんで」とお願いしたんですけど、齋藤さんは信じてくれないんですよ(笑)。
齋藤 僕は『サマーウォーズ』公開後に結婚をしたんですが、その式で井上さんにご挨拶を頂いた時に初めて聞いた話だったので、完全にリップサービスかなと(笑)。
井上 それ以前に『X-エックス-』というテレビアニメを作った時、齋藤さんは現場のプロデューサーとして、すごく一生懸命にやって下さったんです。だから、マッドハウスさんとお仕事をするなら、齋藤さんにお願いできれば安心だなと思ったんですよ。
齋藤 『時かけ』制作当時は、井上さんにそう思って頂いているとは知らなかったわけですが、『X』の時にも作品を作る上で大切な事を沢山教えて頂いた井上さんや、細田守という溢れんばかりの新しい才能と一緒に映画を作る事ができるというのは、もう二度と無いチャンスだと思い、映画のプロデューサーという役割は初めての事だったのですが、ぜひやらせて頂きたいと返事をしました。その時、丸山からは「できる限り、細田君が作りたいものを作らせてやってくれ」とだけ言われた事を良く覚えています。
千葉 僕は、『時をかける少女』 に関わったのは作品が完成されてからなんです。当時は配給だった角川ヘラルド映画の関西支社で宣伝の責任者をしていて。『時かけ』では、西日本方面の宣伝プロデューサーとして、大阪や福岡のロードショー地区を中心に西日本エリアの宣伝を担当していました。大阪での公開は東京の1週間後だったのですが、齋藤さんとも、その時に大阪でお会いしたのが初めてでした。

細田監督が「今までの脚本は全部捨てます!」と


井上 制作中や公開当時の出来事には、インパクトのある思い出は多いですが、やっぱり最初に丸山さんからお話を頂いた時の印象が強烈ですね。「あ、細田さんと一緒に仕事ができるんだ」と思って、とても嬉しかった。注目されている方でしたし、『時をかける少女』という題材を選んで下さった事もとても嬉しかったんですよね。ただ、その後、シナリオ作りのところでかなり時間がかかって……。
齋藤 かなり稿を重ねましたね。
井上 最初は月曜日を延々やり直すような構成の中、いわゆる日常の謎的な内容のお話だったんです。これは、ちょっと作品のスケールが小さいかなと思っていたら、細田さんもそう感じていたらしく。ある日突然、「今までの脚本は全部捨てます!」と(笑)。そこから今の作品の方向性になっていったんですけど、すごく思い切りが良い人だなと思いました。
齋藤 何が変わったのかというと、井上さんが仰ったスケールに繋がる事だと思うのですが、主人公が変わったんです。それまで進めていた脚本の主人公も、原作とは違うキャラクター像ではありましたが、いまの真琴みたいにバイタリティの塊のようなキャラクターだったかと言うと、そうでは無かった。
井上 そうでしたね。


齋藤 なぜ、そのように変わったかについては、細田監督も話していますが、「今、この現代で『時をかける少女』を作るにあたって、未来とは何か?」という事をより深く考えていった結果だと思います。街で高校生の男の子や女の子の姿を見るたびに思うのですが、筒井先生が原作を書かれた1965年と今の未来とでは、当然、考え方が全然違うはずなんです。当時は冷戦という危機があり、21世紀には、戦争や飢餓を始め、イデオロギーの対立や経済格差なども克服して、科学技術によって素晴らしい未来が訪れると信じてきたけれど、実際には今も克服できずにいる問題や、新しい問題が次々と出てきている。そんな21世紀において未来とは何かを考えた時、人間そのものが未来なんだ、若者や子どもたちこそが、未来そのものなんだと考えたんです。もちろん、脚本を一からやり直します、と細田さんが言った時にはビックリしましたけどね(笑)。
井上&千葉 あはは。
齋藤 2005年の正月に集中的に脚本を進めようと、ある旅館で、細田監督と奥寺佐渡子さん、そして角川の渡邊プロデューサーと合宿をする事になったんです。でも、そんな根本的な企画変更があったからこそ、みずみずしくも力強い映画になったんだと思います。その歴史の瞬間を目の当たりにした時の事は、今でもよく覚えていますね。
千葉 僕はそういった制作時のあれこれはまったく知らないのですが。公開の2週間くらい前、最初に本編を観た時は圧倒されましたね。その前に予告編を観て、正直どんな作品になるのか本編を観ないとわからないなと思いながらも、自分なりに宣伝プランを立ててはいたんです。でも試写を観たら、自分がその10年くらいの間に観た他のアニメ映画とはモノが違うと思うくらいの衝撃があって。試写室を出た瞬間から、「この映画は絶対にいける! 何とかしなくては!」とすごく強く思った事を覚えています。というのも、スタートの上映館数が6館と非常に少なかったので。その中でも最大限できる事をやろうと、自分の中で覚悟を決めてやった感じでしたね。
井上 上映館数に関しては、営業担当ともいろいろと話しました。もっと拡大して始める事もできたのですが、私としては細田さんの名前を「ヒットした映画の監督」として最初に印象づけたいと思ったんです。作品の内容が良い事は分かっていたので、「(公開規模を)広げたけど当たらなかった」ではなく、最初はこぢんまりとした規模でもまずは確実に「当たった」という印象を、お客さんにも業界の人にも残したかったんですよ。それが正解だったかどうかはいろいろな評価があるとは思いますが、結果的に東京のテアトル新宿という映画館ではロングランが続いて聖地のような存在になり、作品も本来の意味でのカルト映画のような形になった。それは大きな成果かなと思っています。テアトル新宿で上映する事になったのも、急な話だったんですよね。営業担当から「7月15日にテアトル新宿が空いたけど、そこで初日行けますか?」と連絡が来て。「齋藤さん、いけるよね?」って(笑)。
齋藤 「はい。頑張ります」と。
井上 そういう感じで決まりました(笑)。
齋藤 夏の映画だったので、公開日も夏と思っていました。今では「細田ブルー」なんて言われる事もある夏の青空が印象的ですよね。『時をかける少女』以降も細田作品といえば夏というイメージがあると思いますが、そのイメージを作ったのは、この『時をかける少女』です。ただ、制作スケジュール的には今では考えられないというか。初日の約2週間前に完成して披露試写とか、本当にギリギリのスケジュール感でしたね(苦笑)。
井上 けっこうハラハラしたのは覚えてますね(笑)。

やりたい事が増えていった10周年プロジェクト


齋藤 実は『時をかける少女』10周年企画について考え始めたのは、2015年の11月くらいだったと思います。『バケモノの子』の上映もまだ続いている時期ではありましたが、井上さんと興行の総括をしながら、興行とはまた違った表現で、引き続き、細田監督の作品を楽しんでもらうために、もしくはまだ作品を観た事がない方々へ知って頂くためにはどんな新しいチャレンジがあるんだろうという話をしていたんです。そうしたら井上さんが「そういえば、そろそろ『時かけ』が公開から10年ですね」と仰ったんです。「あ、そういえば!」と思いました。その後は、『バケモノの子』のテレビ放送や東京国際映画祭での細田監督特集などと一緒に、僕がこんな事が出来たらきっと面白いんじゃないかと思った事を企画書とスケジュールをバーッと書いてみて、そこから千葉さんやスタジオ地図の伊藤くんをはじめ、沢山の方々と一緒に積み上げさせて頂きました。
千葉 齋藤プロデューサーとは10年前に知り合ってから、度々会ってはいたのですが、ガッチリと一緒に仕事をしたのは、それ以来、2015年の『バケモノの子』の時が初めてで。『バケモノの子』でKADOKAWAの細田監督作品のプロデューサーになった事もあり、『時かけ』10周年で一緒にいろいろと仕掛けていく事になったんです。
井上 私が3年前から「東京国際映画祭」の副実行委員長をやらせて頂いていて、2016年には細田さんの特集上映をぜひやりたいと言ってたんですよ。その流れの中、10周年も重なっていったんですよね。
千葉 そうです、そうです。
齋藤 (ぶ厚いファイルを見せながら)これが『時かけ』について、今年やらせて頂いた新しいチャレンジの数々なんですが、本当にたくさんの事をさせて頂きました。
井上 「時をかける少女カフェ」ができたのは良かったですよね。結局、アニメに限らず映画って観ただけでは終わらなくて。その世界をどうやって味わうかは観客側に委ねられているところもあると思うんですよ。だから、具体的に食べ物や飲み物を通して、作品をもう1回味わってもらえるのは良いイベントだなと思いました。しかも、メニューの完成度が高くて、作品のテーマがすごく上手くメニューになっていて嬉しかったですね。


千葉 「時をかけるカフェ」は、7月の渋谷から、名古屋、大阪と巡回してきて、2月1日からは福岡でもオープンするのですが。今までの3会場は、どこも非常に若いお客さんが多いんですよね。渋谷はパルコさんという場所柄もあったのかもしれませんが、10代の高校生くらいから20代の女性が多かったんです。でも、その中に会社帰りの男性客もいたりして、年齢の幅は非常に広い印象を受けました。渋谷パルコさんのコンセプトカフェは、基本的に女性客やカップルが多いそうなんですけど、「時かけカフェ」は客層が独特だと仰っていましたね。


齋藤 そこはやはり、『時をかける少女』という作品が持つ歴史と力がそうさせるんだと思います。筒井先生の原作から(1967年刊行で)50年。何度も、何度も、時を経て作り続けられている作品の魅力がそこにある。そして、細田監督が描いた未来とその拡がりが、お客様の幅の広さにも繋がっていったのかもしれません。
(丸本大輔)


後編に続く


≪時をかける少女カフェ@福岡≫
開催期間:2017年2月1日(水)〜2017年2月28日(水)
営業時間:10:00〜20:30(フードL.O.20:00)
※2月28日(水)は18:00まで。(フードL.O.17:00)
会場:THE GUEST cafe&diner(福岡パルコ 本館・5F)
住所:福岡市中央区天神2丁目11-1
公式HP:http://the-guest.com/tokikake_fukuoka/

≪『時をかける少女』リバイバル上映(福岡)≫
上映期間:2017年2月18日(土)〜2月24日(金) ※1週間限定上映
上映館:ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13
住所:福岡県福岡市博多区住吉1丁目2-22 キャナルシティ博多内
劇場公式HP:http://www.unitedcinemas.jp/canalcity/index.html
※チケット発売、上映時間などに関する詳しい情報は劇場HP、または直接劇場へお問い合わせください。