「美しさだけでは不十分」 メラニア夫人がファッションアイコンになれない理由

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ドナルド・トランプ新米大統領の就任式の朝、完璧な着こなしで姿を現した元モデルのメラニア夫人には美しさだけでなく、欲しいだけのオートクチュールを買いそろえる財力もある。だが、公の場に登場する以前はファッション業界と全く無縁だったミシェル・オバマ前大統領夫人ほど、象徴的な存在になることはないと見られている。それは、なぜだろうか?

答えは簡単だ。顔立ちの美しさや国際的な活躍だけでは、象徴的存在、アイコンにはなれないからだ。この日のメラニアは、確かに驚くほど美しかった。米国のファション業界に君臨するラルフ・ローレンがデザインした淡いブルーのスーツに合わせ、全身を同色で統一したファッションは、気品と優雅さを表していた。

そして、このメラニアのドレスは、彼女のために働くトップクラスのデザイナーがいるのかという議論に終止符を打ったといえる。ラルフ・ローレンのほか、祝賀舞踏会で着るドレスを手掛けるのではとうわさされたカール・ラガーフェルドは、いずれもファッション業界の大御所だ。

トランプ新政権を支持しないデザイナーのマーク・ジェイコブスやトム・フォードなどは、メラニアのためには働かないと明言してきたが、そうした議論は当初から、空騒ぎにすぎなかった。トランプ夫妻には、メラニアが大統領夫人にふさわしいと考える服で向こう4年間、ホワイトハウスのクローゼットを埋め尽くすだけの資金があるのだ。

微妙な選択

就任式の日のメラニアのドレスは、「アイコン」としてのステータスの確立を予想させるものではない。それは、56年前の同じ日に大統領夫人として、オレグ・カッシーニがデザインしたドレスをまとったジャクリーン・ケネディを(恐らく意図的に)思い出させるものだったからだ。

大統領夫人としての”第一声”でメラニアは、ミシェルが登場するまでほぼ間違いなく、ファションにおいて最大の影響力を持っていた元大統領夫人をまねる決断を下した。それは、安全な選択といえる一方で、同時に疑問の余地を残す決定でもあった。

ファッション史上において、就任式の日のジャクリーンのドレスが重要な鍵を握ったということに異論を唱える人はいないだろう。その点では、「安全な決断」だ。だが、メラニアはすでに、歴代の大統領夫人と自らの違いをどのように打ち出していくかという点において(2016年の共和党全国党大会で行った演説での盗用疑惑など)、すでに問題を抱えているのだ。

「価値観」を体現したミシェル

一方、ミシェルは2009年の夫の大統領就任式に、キューバ系米国人のデザイナー、イザベル トレドのドレスとコートを選んだ。公人として、身に付ける服によって自らが重要と考える問題を訴えていくという方針を、初めて明確にしたのがこの日の装いだった。夫の在任期間中ミシェルは一貫して、新進の、異なる文化を背景に持つデザイナーの服を積極的に身に着けた。そのことが宣伝となり、利益となるようなデザイナーたちを選んできたのだ。

ミシェルにとって、装いは単に見栄えの良さに関するものではなかった。グローバリズム、インターセクショナリティ(さまざまな形態の差別は関連し合い、交差していることを示す「同時交差性」)など、自分にとって身近な問題に対する考え方を表す手段だった。

正装で出席する行事にはオートクチュールも取り入れたが、日常的にはJクルーやターゲットなど、量販店で販売されている服も着た。それによって米国民は、ミシェルが基本的には2人の子を持つ普通の母親なのだということを再認識してきたのだ。

ドレスが表す「回帰」

ミシェルはファッションの時代精神を体現してきた。メラニアがそれと同じことをできるとは想像し難い。メラニアはオスカー女優のように美しいが、私たちを鼓舞しない。

就任式当日の服装は、古典的なスタイル、形式への回帰を表していた。未来ではなく、過去を表現していたのだ。ファッションアイコンとは、大きな話題や流行を生むものだ。ファッション評論家のバネッサ・フリードマンは米紙ニューヨーク・タイムズの記事で、(アイコンは)「ファッションの方向性を大きく動かし、影響を与えるものだ」と書いている。