映画「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」で第31回日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞し、TVドラマおよび映画「深夜食堂」シリーズを手がけたことでも知られるのが松岡錠司監督です。松岡監督は、発表から7年の時を経て2016年12月6日に発売されたPlayStation 4用最新作「人喰いの大鷲トリコ」のカウントダウンCMを手がけており、映画とは異なるCM制作や松岡監督のルーツについて根掘り葉掘り聞いてきました。

人喰いの大鷲トリコ | プレイステーション オフィシャルサイト

http://www.jp.playstation.com/scej/title/trico/

松岡監督が手がけた「人喰いの大鷲トリコ」のカウントダウンCMは全部で5本。第1弾は以下のムービーから確認できます。

「人喰いの大鷲トリコ」カウントダウン あと5日。ある会社員の場合篇 - YouTube

GIGAZINE(以下、G):

今回は「人喰いの大鷲トリコ」のカウントダウンCMの監督を務めたということですが、CMは制作手法が映画と全く異なると思います。今回のCM制作において、松岡監督が何をしたのかいうのを具体的に教えていただけますか?

松岡:

今回に限らずCMにおける僕の仕事は演出です。ストーリーや登場人物のセリフが大まかに書かれた企画コンテというのを提示されて、それをどういう風に料理していくかを考えるのが演出の最初です。提示された企画コンテをベースにしながら、どのような絵にしてどんな会話をするのか、より具体的な描写にしていきます。例えば、今回の「人喰いの大鷲トリコ」だと、発売を7年間待ちわびた登場人物作りをどうするかとかですね。これを絵と文字で落とし込んだものは「演出コンテ」と呼ばれていて、企画コンテから1つ進化した段階になります。そこからチームと煮詰めていって、撮影現場用コンテを作る。それが準備段階。依頼されたものを僕が受け取ってどういう世界観で描けば良いかということを任せられるわけですね。



G:

松岡監督は映画やTVドラマだけでなくCMも多く手がけているのですか?

松岡:

実は、この間自分のCMの作品集を調べてみたんですよ。そうしたら100本以上作っていたことがわかりました。1990年代からCMのディレクターを経験してきたので、もうベテランかもしれないですね(笑) 1時間30分とか2時間という枠の中で詳細な描写を積み重ねて、最終的にどんな読後感を見た人に与えるかというのが映画監督の仕事なんですが、CMは15秒とか30秒しかありません。15秒や30秒という極端に短い時間の中で描かなければならないという広告表現は、最初はよくわからなかった。例えば1カットの中で何を描写するのか、「そんなことできるのか」と思いました。

G:

今聞いていても難しそうだと感じます。

松岡:

映画だと脚本があって尺も長いので、徐々にドラマを築いていけるわけですが、尺が短いCMでも映画と共通する部分はあると、経験を積んで気づいたんです。映画でもCMでも、撮影現場で「人物のこの瞬間の映像が必要だろう」と予測できるわけで、その瞬間というのは1秒もあれば十分なんです。でも、「その瞬間をすぐにやってください」と言っても、「その瞬間」が曖昧なので、演技者はできません。だからキャラクターの設定が重要になってきます。例えば、ある設定の中で登場するキャラクターが、サラリーマンかもしれないしゲームショップの店長かもしれない。ではどのような人物なのか。それを考える。そういう役柄を探る上で大体年収がどれぐらいかというのは重要ですね。

G:

年収が重要?

松岡:

経済と暮らしぶりを想定すると、人間がうっすらと浮かんでくる。「このサラリーマンの稼ぎは、東京都の平均年収の600万円以上だろうけど、1000万円はいっていない」「この夫婦の家は賃貸なのか、分譲なのか」「年収がこれくらいだからローンは30年〜35年で組んでいるだろう」などと、考察するうちに、暮らしに満足しているのか、夫婦関係は良好なのかと、次の考えが生まれてくる。造形する人物の外枠を埋めていくわけです。

G:

ふむふむ。

松岡:

演技者にそういったキャラクター設定を事細かに説明することはありませんが、人物の背景はこしらえてあるわけだから、その設定の中で動いてもらいます。そうすることで、生きている人間像というか、生活感を含めた奥行きがでてくるわけです。実際の撮影ではOKカットに使いませんが、演技者には僕が必要だと思う瞬間の前後も演技をしてもらいます。



G:

なるほど。

松岡:

どんな会話でもいいんですよ。「お茶飲む?」「おかえりー、ご飯食べた?」「うん、食べてきたよ」という感じで演技を始めてもらい、そのままの流れで僕が欲しい瞬間へとつなげていく。そうした方が自然な雰囲気と会話が流れるんです。もちろんあらかじめ僕のやりたいこと、例えばセリフとかは決めていますが、が起きることもあります。「セリフを忘れて言えなかったときのつんのめった表情、使える!」と思うこともあるんですよね。

「人喰いの大鷲トリコ」カウントダウン あと2日。ある夫婦の場合篇 - YouTube

G:

アクシデント的に起こったことを最終的に「これにしよう」と採用することも全然あり得るということですか?

松岡:

あり得ますが、僕の場合は、あらかじめ思い描いていたものを後で変更するということはあまりしませんね。

G:

それはどうしてですか?

松岡:

失敗したテイクをつないで見てみると、自分が考えてもないことだから最初はとても新鮮で面白く思えるんですよ。でも、50回、100回と繰り返して見たときに、それをまだ新鮮に思えるかという問題があります。何回も見ていると、だんだんとつまらなくなることがあるので、失敗したテイクをつなげるときは用心した方がいいです。映画であれCMであれ、100回、200回、あるいはそれ以上見られるかもしれないので、何回見られても耐えうるものであるかどうかを想定しなければいけません。

G:

なるほど。確かにCMは何度も見ることになりますからね。今回の「人喰いの大鷲トリコ」はウェブCMになるのですが、CM制作にあたって「人喰いの大鷲トリコ」をプレイしたり映像を見たりしたのでしょうか?

松岡:

プレイはしていませんが、映像は見ました。

G:

そのときはどのような感想を抱かれましたか?

松岡:

発表から発売まで7年かかったということに関しては「7年という時間の長さは結構じれったい時間だよね。そこをうまく表現できればいいな」と思いましたが、ゲーム本編に関しては僕が詳細を知る必要がないと思いましたね。どちらかというと、この際知らない方がよいかなという感じです。つまり、大きなプレゼントがみんなの元にやってくるわけです。そのプレゼントがどんなものなのかを僕が知らなくても、何かを待ちわびることがどういうことなのかはわかります。じれったくも待ちわびた期待感と一抹の哀愁、発売されてしまったら今まで積み上げていた感情が解消されるけど、それはそれで何か寂しいという感覚、ここに集中すればよいと思いました。

企画コンテや撮影準備のときに「人喰いの大鷲トリコ」がモニターで流れているのですが、それを半目で見ているくらいでしたね。ものすごく美しい映像やトリコの精巧な描写は見たらわかるのですが、影響されない方がよいと思ってあまり見ないようにしようと意識していました。

G:

今回のCMは全部で5本あって、テーマが「トリコの発売を待っているユーザーの気持ち」です。PlayStationブログでは、「待ち続けた人の心情を丁寧に描写する作業に腐心した」とおっしゃっていましたが、「丁寧に描写する作業」というのを具体的に教えてください。

「人喰いの大鷲トリコ」カウントダウン あと4日。あるゲーム店の場合篇 - YouTube

松岡:

CMに登場するゲームショップの店長にしろ、たまたまゲームショップの前に立ち止まったサラリーマンにしろ、全ての登場人物に共通しているのは「淡い期待感を持ちながら7年間を今まで耐えてきた」ということです。この人たちは「人喰いの大鷲トリコ」をものすごく愛していて7年間も待ち続けられたのに、その喜びを表面に出すことに対して恥じらいを持っています。「『人喰いの大鷲トリコ』のことをいろいろ話したいのに語っていない。だけど気持ちはものすごく高まっているんだぞ」ということが判明する一瞬の「表情」や「間」をすくい取ること。今回は「言葉」だけではなくて、一瞬沈黙しているときの「表情」が重要だと思って、そこは注意していました。

G:

1本目から5本目まで全部見させていただいて、私も待っていた立場の人間だったこともあってCMを見た後にジーンとしたのですが、あれは感動させてやろうという狙いがあるのでしょうか。

松岡:

確かに計算している部分はあるけれど、僕は「ここで落涙しろよ」とか「ここで感動させよう」とか、そういうことをあまり考えない方なんです。むしろ遠慮気味に描いています。映画で言うと、監督である僕以上に感情移入してくれる人がいますよね。つまり観客ですね。思わせぶりな描写をしなくても、何かを受け取る観客は存在すると僕は思っています。「感動させてやろう」という意識を作り手が過剰に持たない方がよいと思います。

見ている人が感動したり泣いたりしているのは、その人がくみ取った結果ですから。「感動」という部分に関しては見ている人に対して無意識に訴えかけたいですね。

G:

ありがとうございます。ここからは松岡監督自身のルーツに関して質問させてください。松岡監督は小学校のとき、漫画家になりたかったとお聞きしたのですが、それはなぜでしょうか。何か影響を受けた作品があったのですか。

松岡:

影響を受けた作品があったというよりは、ただ単に絵がうまかったからです。小学校のときはコンテストに入選したり、美術の先生が「この子は絵描きの道も考えられる」と僕の親に勧めたりしてくれたのですが、あるときに絵を描いていて「これはダメだな」と悟った瞬間がありました。

G:

なぜダメだなと感じたのですか?

松岡:

風景を描いていて、「自分は嘘をついているな、この絵は大人を喜ばそうとしている」と直感的に思ったんです。最初はとにかく描きたいという欲求に従うまま、純真な気持ちで描きたいものを描いていたのですが、それが他人からどういう評価をもらえるかということを気にし始めたんですよね。評価を意識しながら絵を描き続けるのは、ものすごく嫌でした。

G:

なるほど。

松岡:

「ダメだな」と思い始めたのが確か小学6年生か中学1年生でした。当時の僕の興味はマンガと映画の2つあったのですが、僕が絶対に勝てないと思っていたお金持ちでハンサムでスポーツ万能という同級生が、「将来は映画監督になる」と言い出したんですよ。これに僕が勝手に対抗心を燃やして自分も映画監督になろうと思ったんです。



G:

そのときが映画監督を意識した最初の瞬間ですか?

松岡:

そうですね。僕はあらゆることで彼に勝てないけど、映画監督になることに関してはスタート地点が同じじゃないですか。だから映画監督なら勝てると思ったんです。まあ、彼は僕のことをライバルと思っていなかったでしょうけどね(笑)

G:

その後、高校に入学したときに8ミリカメラを親に買ってもらったと聞きました。そのときから映像を撮りたいという意欲があったのでしょうか。

松岡:

8ミリカメラを買ってもらったのは高校1年生のときで、映像を撮りたいという意欲はもちろんありましたよ。僕は高校1年生のときから年に1本、、下手な作品を撮ってましたからね。ストーリーを自分で書いて友達に出演してもらって撮影する、というのを春休みや夏休みにやっていました。

G:

当時撮影した作品を誰かに見せたりしていましたか?

松岡:

家族に見せたり、文化祭の時に上映会を行ったりしていました。高校生卒業の前に撮影した作品を「ぴあフィルムフェスティバル」に出品したら入選したこともあります。

G:

高校卒業後は日本大学の芸術学部映画学科に入学されたということですが、高校卒業後すぐに映画関係の仕事に就いたり助監督として修行したりということは考えていなかったのでしょうか?

松岡:

そうですね。高校の映画研究会に入っているわけでもなく、普通の観客が見るぐらいの映画しか見ていなかったですから。親が高校も大学も行っていないので、僕には大学ぐらい行っておいて欲しいというのもありました。「映画監督を目指している」と言うだけはタダなので、その理想だけ親に述べて上京しました。

G:

大学卒業後は20代の頃に映画監督の夢を一度諦めて、建設作業員だとかパン屋さんなどでアルバイトをされていたそうですね。

松岡:

映画監督を一度諦めた後は、建設作業員として都庁の引っ越しをやったり、首都高速の清掃人をしたりしました。夜中にランプをつけて走っている黄色い自動車ですね。

G:

アルバイト時代は、映画監督になることを完全に諦めていたのでしょうか?

松岡:

少し甘いなと思うのですが、書いたシナリオが認められれば映画を撮れるということにしがみついていたんです。けれども、肉体労働から帰ってきて夜中にシナリオを書くのはとうてい無理だということに気づきました。当たり前ですが、肉体労働ってすごく疲れるんですよ。家に帰ってもご飯を食べたら寝るだけで、睡眠時間を削ってまで思いついたことを文字にして仕上げるのはとても無理でした。次第に「ただ飯を食うために働いているだけじゃないか」と感じ始めて、「このままでよいのか?」と悩み始めるようになり、親が心配していたこともあって故郷(愛知県一宮市)に戻ったんです。



実家に戻ってからはパン屋とかでアルバイトをしていましたね。こういう状況の中でとうとう親から「就職してくれ」と言われて、ある会社に面接しに行ったんですよ。その会社に雇われそうだなという時期に東京から「映画を1本撮ってみないか?」という話を電話でいただいて。「劇場でみんなが見る普通の映画を1本だけ撮りたい、ダメだったら本当に帰って仕事するから、もう一度だけ東京に行かせてくれ」と親を説得して、また上京したんです。

G:

そのときはすんなりOKは出たのでしょうか。

松岡:

親は少し渋っていましたが、「そんなに言うなら、じゃあ……」ということで、とりあえず1年とか期限を切って様子を見ながらやるという条件で上京しました。

G:

それがデビュー作となる「バタアシ金魚」(1990年)ですね。

松岡:

そうです。

G:

突如「監督をしてみないか?」と話がきたというのが驚きです。

松岡:

それは「ぴあフィルムフェスティバル」で入選した僕の作品を見てくれたプロデューサーがいて、そこから話がきたんですよ。また、当時はバブル経済のまっただ中ということもあって、20代の若い人でもデビューさせてみようという機運があったというのも大きいですね。

G:

いきなり監督デビューというのは、他の業界ではなかなか考えられないことです。

松岡:

若い人が突然監督に抜擢されるというのは、僕がデビューしたときよりも今の方が多くなってますよ。

G:

そうなんですか。

松岡:

今、いきなり監督に選ばれるというのは珍しくないのですが、僕のときは「ぽっと出が」と言われる雰囲気がありました。「修行も何もしていないのになぜ撮れるんだ」ということは言われましたね。今はもう徒弟制度というか、映画監督に師匠がいません。かつてはみんな師匠がいて、そこから受け継がれるという流れがありました。当時は映画監督の多くが映画会社の正社員でしたが、今はフリーランスが当たり前ですよね。

G:

「バタアシ金魚」でデビューした後、「次回はこんなものが撮りたい」という気持ちはありましたか?

松岡:

全然なかったですよ。すごく恐ろしい世界に足を踏み入れたんだなという気持ちの方が大きかったです(笑) 「次に失敗したらもう干されるんだ、この先5年10年どうやって暮らしていくのか」を考えただけでも恐ろしかったです。

G:

今映画監督を目指している学生に、映画監督になるには学生時代に何をすべきかというアドバイスをお願いします。

松岡:

さまざまな種類の映像を見ることです。映画でもCMでも何でもよいのでとにかく映像を常に見ること。また、映像というものが実は言語であるということが段々とわかってくるので、映像を言語として捉える感覚も大事です。それにあわせて長い小説を読む、文字を読むことかな。さらっと読める自己啓発本じゃダメですよ。



思い切ってドストエフスキーの本を読むとかね。流し読みや速読はダメです。ページを刻むように、なめるようにめくりながら読むことです。また、僕が若い脚本家によく言うことは、読むだけではなく文字にして書いてみることです。思い付いたことを全てメモする。メモするのは、日記かもしれないし、突然ひらめいたことや映画の感想など何でもいいんです。とにかくそのときの自分の心の内を書いてください。数年前に書いたノートを見返すと、「そうそう、これをテーマにしたいと思っていたんだよ」とか、「これは良いことを書いているな」とか刺激を受けることがあって、そういう「思考のやり取り」というのが必要だと思います。

映画監督を目指す上で、もう1つ大事なのは出会いを大切にすることです。どういう風に他者と関わるかということが、表現に携わる人間にとってとても大切です。ある人物と出会ったから仕事をもらえたというだけでなく、刺激を受けるわけだから。そして、人間関係をより深めるためにも言語感覚を養なっておかないといけません。例えば、Twitterは投稿の文字数が制限されていて、ユーザーは制限があるから効果的な言葉を使って発信しますよね。でも、情報交換やコメントには適していても、人間の考えを表すのに140文字は十分ではありません。人間の考えを140文字で表現するというのは、複雑なものを単純化してしまうことと同じです。その形態だけに慣れてしまうことはオススメできません。

複雑な思考を単純化すると、例えば映画や小説でも「なるほどね」「泣ける泣ける」と感じるだけになってしまう。複雑なものは複雑なものとして存在していて、そういうものに触れたときは自分の中で言葉を見いだせなくても、簡単に消化せずに、無視もせずに、頭の片隅に置いておくこと。謎は謎として。次第に理解する可能性は大いにあるはずです。そのためには人との語り合いや対話、長い文章を読むこと、そういった積み重ねによって感性が磨かれていくんだと思います。

G:

本日は貴重な話をありがとうございました。