『ビジネスエリートの新論語』司馬 遼太郎(著) 文藝春秋

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■人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し

60年余り前、産経新聞の記者だった司馬遼太郎氏は、本名・福田定一の名で1冊の著作を世に問うた。それが、没後20年、文春新書で復刊された『ビジネスエリートの新論語』である。ただし、孔子の教えだけでなく、旧題の『名言随筆サラリーマン』が示す通りゲーテや夏目漱石など古今東西の名言を引用しつつ、会社で生きるサラリーマンたちに贈った人生講話だ。

例えばゲーテなら「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない」を選んだ。一方、漱石では「運命は、神が考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ」を挙げる。長年の宮仕えで自分を抑え続けた会社員には、もはや解説の必要さえないだろう。上司の機嫌をうかがい、部下の顔色を気にする。その間、決められたノルマに追いかけられる。嫌でもそれなりの悟りに達する。

この本でサラリーマンの原型をサムライに求めたという司馬が“サラリーマンの英雄”としているのは徳川家康である。そして、あの有名な「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし」との遺訓を示す。とにかく、三河の土豪の家に生まれ、少青年期を人質として過ごし、信長、秀吉の時代も隠忍自重の日々だった。

だが、サラリーマンにも人生の宝石のような出会いがある。本に登場する2人の老記者は、後の司馬遼太郎氏の骨格を形づくるうえでも、少なからぬ影響を与えたことは間違いない。いずれも花形記者ではないし、編集局長や論説主幹といった大新聞社の出世ポストとは無縁のサラリーマンといっていい。

■同時代を生きる仲間たちへの応援歌

1人は、産経に勤める前に在籍した小さな新聞社の整理部員である。本文には「彼はいつも、印刷インキで黒く汚れた長机の片隅で、背を丸めながらひっそり朱筆をにぎっていた。記事の見出しをつけ、紙面の大組をするのが彼の仕事なのだ」とある。朝刊の締め切りが一段落すると壊れかけた椅子にあぐらをかき、焼酎を片手に語ったという。

その様子を司馬氏は「彼は、そうした会談の中で、さまざまな新聞記者術を説いた。特種(とくだね)とはいかなるものか、どう書けばすぐれた記事になるか、おおよそ、そういう類のものであったが、新聞記者道ともいうべき処世の在り方もその中に含まれていた。まるでその図は、山中で隠遁の老剣士に剣術をでも習うような観があった」と記している。

もう1人も地方版を作る目立たない記者だったが、その風貌が、戦争中に司馬が蒙古で見た商隊の隊長に似ていた。背をかがめて悠然と駱駝に乗り、痩せた顎を心もち空にむけていた。司馬氏は、長い風霜が造りあげた自然物のような顔に見惚れた。それに近い雰囲気を感じさせる老記者は「人間、おのれのペースを悟ることが肝心や」とつぶやき、その姿勢を生涯貫いた。

どうやら、執筆時30歳を超えたばかりの司馬遼太郎氏は、サラリーマンという存在に哀愁と愛情の両方を覚えていたらしい。新聞記者として警察や府庁、大学などを担当しながら、人間を観察するうちに自身の内部に醸成されたのだろう。だから、そこから紡ぎ出された文章は、同時代を生きる仲間たちへの応援歌になっている。

(ジャーナリスト 岡村繁雄=文)