僕がチョコレートの国際コンクールに挑む理由/小山 進

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僕は京都で生まれ育ち、19歳で専門学校を卒業した後、神戸の洋菓子店「スイス菓子ハイジ」に就職しました。最初はカフェのフロアスタッフからのスタートでした。

2000年に独立して、「パティシエエス・コヤマ」をオープン。現在は兵庫・三田市にブーランジェリー、ショコラ専門店、カフェなど7店舗を展開しています。2011年からはチョコレートの本場であるパリの品評会に出品するようになりました。

今でこそ、パリ以外にもニューヨークやロンドンなど世界各地のコンクールに出品していますが、最初に「SALON DU CHOCOLAT Paris(以下、サロン・デュ・ショコラ)」に出展し、「C.C.C.(Club des Croqueurs de Chocolat/フランスの権威あるチョコレート愛好家協会)」に出品したときは、恥をかくつもりでの挑戦でした。

賞をいただく自信など全くなく、それでも行こうと思ったのは、東日本大震災があったからです。その当時、日本の食の安全は崩壊したと言われていて、「何とかしたい!」という気持ちがとても強かったです。

震災はあったけれど、日本人が世界に誇れる歴史文化や能力は変わらないはず・・・。チョコレートの本場フランスで、僕の作品が何か1つでも通用したら、日本のみんなに勇気を与えられるのではないかと考えたんです。結果、C.C.Cでは最高位のタブレット5枚を獲得することができ、サロン・デュ・ショコラでも、外国人としては最も栄養ある「外国人最優秀ショコラティエ」を受賞することができました。

京都で生まれの僕は、パリ生まれのパティシエとは味覚が異なります。昆布やカツオ等の出汁を活かす薄味文化で育ち、素材の繊細な旨味を感じることのできる舌がある。また、ヨーロッパの人たちの知らない「和」の素材を使うので、チョコレートとの新鮮なマリアージュを生み出すことができます。


2016年10月に行われたのC.C.Cに出品した4つの新作

国際コンクールの審査は、これまで開催国である欧米の人々の感覚が基準になりがちでしたが、少しずつ変わってきました。僕を含め、様々な国の審査員が増えたことによって、審査基準もグローバルな公平性を保とうとする流れになりつつあります。

例えば「○○のような酸味」と評しても、その「○○」という食材自体を知らないと味の想像もつきません。つまり、いわゆるコンクールでは”審査員の味覚”がどれだけ優れているかが実は非常に重要なんです。

だから最近は、賞を獲りたいという気持ちよりも、「こんな味があるんだ」「こんなものを合わせようとするのか」と、審査員に新たなマリアージュを体験してもらいたくて出品しています。彼らの経験や知識、味覚が増えれば、その分コンクールの質が上がる。チョコレート業界や日本に貢献する一つの方法だと考えています。

その上で大事にしているのは、自分でやるべきことをきっちりやってコンクールに臨むことです。

1年かけて貯めたアイデアを作品に落とし込んでいく中で、「自分が今何に興味を持っているのか」がはっきりし、その作品たちを通じて自分が世の中に伝えたいことが、自ずと見えてきます。それがテーマとなり、方向性が定まり、あとはそこから湧き出るイメージをつなげることで、審査員たちに向けたストーリー性のある企画書ができていきます。

僕は時間をかけて考えて、試行錯誤して、完成形までもっていくプロセスが好きなんです。一方他国では、企画を立てて新作を作るような人は少なく、店頭に並んでいるチョコレートから出品作を選ぶ人が大半です。

今の時代は、お客さん自身、自分が何を欲しいか分からない、迷っていることが多々あります。特に日本人のお客様は、求めるクオリティが非常に高く、厳しい。だから、その想像の上を行くような作品を提案し、「私が欲しかったものはコレだ」と言わせてあげるのがプロ仕事です。僕らクリエイターは、ものすごく勉強して、楽しく表現しなければならない。

つまり、創り手にとっては、”日常”がコンクールです。僕の場合は、美味しいのは当然で、「あの人のチョコレートを食べると元気になるよね」と言っていただきたいと思っています。

歳を重ねて、「2〜3年前の作品の方が良かった」と言われるのが嫌なので、今年は新作を65種類も作ってしまいました(笑)。次回は、新作で実現したかったマリアージュと、創作の裏話をお話しします。