津和野にある西周の旧居

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江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「西周(にしあまね)の正体」について聞いた。

摩訶不思議な
西周とは?

 大政奉還という、形式的には徳川幕府の幕引きを図るという重大事を諸大名に諮(はか)るというこの重要な局面で、当日か前日であったか私はまだ確証を得ていないが、慶喜は西周(にしあまね)を呼び出し、イギリスの議会制度についてその仕組みを問い、解説を受けているのだ。彼の頭には、アメリカの大統領制とイギリスの議会制度が既に目指すべき一つの政体として存在したことは、多くの研究者によって指摘されている。

 平成二十七(2015)年に対談させていただいた、徳川慶喜研究家としても知られる大庭邦彦(おおにわくにひこ)氏もその一人である。

 慶喜にイギリスの議会制度について進講した西周とは、福澤諭吉や津田真道(つだまみちら)と並ぶ、幕末から明治にかけての我が国を代表する知識人の一人であった。
 石見(いわみ)津和野藩出身で、京ではテロの嵐が吹き荒れていた文久二(1862)年に幕命を受けてオランダへ留学している。

 津田真道も榎本武揚(えのもとたけあき)も、この時の留学生仲間である。
 西という人物をひと言で何者と表現することは、かなり難しい。
 福澤と同じように「啓蒙思想家」と称されることがもっとも多いと思われるが、彼は法学者でもあり、哲学者でもあり、経済学者といってもよく、万国公法に精通した外務官僚でもあった。
 そもそも、「哲学」や「知識」「概念」という訳語を創ったのは西であり、その他「芸術」「心理学」「意識」「命題」、更には「帰納」と「演繹(えんえき)」なども同様で、今日の私たちは物事を思索する上で西の創った言葉に大いに助けられているのだ。

 一方で、かの「明六社(めいろくしゃ」創設メンバーの一人として、漢字かな交じりの日本語廃止を唱えたり、後々まで帝國陸軍軍人にとって軍人精神のバイブルとなった「軍人勅諭(ちょくゆ)」を起草するなど、西という人物は特定の一つ、二つの事績で評価することのできない“難解な”人間であったといえよう。

 こういうことは、傑物などといわれる人物には間々(まま)みられることであるが、西の場合は特にそれが顕著であり、画一的な切り口で彼を分析することは危険である。

 いずれにしても、彼が高度なレベルの知識人であったことは紛れもない。ただ、私にはその思考の軸が若干ドイツに傾き過ぎているようにも思える。

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