美人とは、生まれながらにキラキラなラッピングされた人のこと

さて前回は映画『ネオン・デーモン』をきっかけに、「美人ですね」という誉め言葉に悶々とした私ですが、原稿を書き終えたあとにふと考えました。そもそも世の中で言う「美人」ってどんなんなのかしら? というのも、私自身、美人を感知するセンサーがやや鈍いことを自認しているからです。

もちろん、一目でわかるパーッと派手な美人、「美のレベルが高い」ではなく「美の圧力が強い」美人に関してはわかるのですが、そうではないタイプ、巷にいる「普通の美人」に対するセンサーが甘い。例えば、私が何の気なしに付き合っている友人たち――私の中では「韓流オバさん」「大酒のみ」「やくざ映画マニア」「美容オタク」など面白ジャンルで区分している人たちについて、別の付き合いの人たちに「あの人すごい美人ですよね〜」とか言われることがよくあります。

彼女たちを「韓流」「酒」「やくざ映画」「オタク」のキーワードで認識していた私は、「え?」となり改めて彼女たちの顔を見ます。そんな風に思ったことなかったけど、確かによく見れば顔立ちが整っているような、そかそかこの人、世の中的には「美人」だったんだ…私の「(普通の)美人認定」は概してそんな感じです。

つまり、私は「中身が面白ければ外見はほぼスルー」だったりするのですが、世の中には、酒を飲むと必ずクダを巻くとか、K-POPアイドルの嫁になることを真剣に考えているといったある種の残念要素を「美人だからアリ」とできる人も多く、っていうかおそらくそれが世の中の多数派です。

そしてここに、私は「美人の商品力」を見るのです。要するに「美人」は生まれながらに「美しくラッピングされたもの」で、中身をよく吟味すれば思ってたのと違うこともあるけれど、見た目きれいだし、まいっか、となるもの、商品として成り立ってしまうということです。

本当は売りたいくせに、もったいつけやがって!

こうした「美(美人)の商品力」を、私は全く否定しません。

やっぱり誰かに「差し上げる」というシチュエーションであれば、いくら美味しいお菓子だとしても、「ビニール袋に10個入り」より「キラキラなボックスに5個入り」を選ぶのは当然だし、「こんなになんてことないものがこんなに少ない量で2000円の値段をつけるんですか」と思っても、箱がほしくて買ってしまう、中身全部誰かにあげちゃって、その後、箱だけ使ってる、みたいなものは、こうして原稿を書いている半径1m以内にもいくらでもあります。

ライターは地味な仕事ですが、表に出る人はそれなりの外見だったりもするし、私だって「売り物」にできるくらいの美しさがあるならば、明日からでも名刺に「美人ライター」という肩書を名前よりもデカい文字で加え、名刺交換した相手の怪訝な表情を、「私が私の美を売り物にして何か問題が?」という強気な視線で打ち抜きたいという気持ちでいっぱいです。持ち合わせていないだけで。

ネオン・デーモンと化してしまったエル・ファニング。ちょっと怖い。

やっかいなのは、こうした「美(美人)の商品力」は、こちらが意図しなくとも発動していることです。

例えば家の前にすごく美しい花壇を作ったとして、あまりに美しいので売り物と勘違いした人が「右端の上から2段目の赤い花をください」と来たとしましょう。「ただ"キレイ"が好きなだけで、売ってるわけじゃないんです」と答えるあなたに、たいていの人は引き下がってくれるでしょうが、中には「売り物じゃなくても売ってくれ」とか「こんなにキレイにしてるんだから、そういう下心がまったくないわけじゃないでしょ?」とか言う人もいるだろうし、「最初からその気がないならアピールするな!」とか「その気のくせにもったいつけやがって」と理不尽にキレる人もいるやもしれず、対抗心燃やして隣の軒下で飾り立てててくる人、見えないところで花壇の悪評をたてる人も登場し、さらに「へえ、売り物になるんだ」と気づいた自分がその商品力に溺れてゆく、なんてこともあるかもしれません。

さて前回に引き続き今回のネタ『ネオン・デーモン』は、L.A.のファッション業界をネタに、美の商品化が行き着く先を描いた作品です。美人ばっかりの世界で横行する、枕営業とか使い捨てとか、賞味期限とか嫉妬とか、いやもう大変。そりゃあ「美人は得」は一面の真実ではありますが、ストーカー事件の被害者が可愛かったりするのを見ても、そうじゃない人には測り知れない受難もあるのかもしれません。自分が楽しむために作り、通りすがりの人がチラっと見る程度の花壇が、きっと一番幸せ。

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