【注目ルーキー】青森山田を経て“究極のストイック”に…法政大DF山田将之、覚悟のFC東京加入

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 青森山田高校、法政大学と山田将之のサッカー歴には強豪校の名前が並ぶ。だが、彼自身は「全くサッカーエリートではない」と語る。常に自分と向き合うことで成長し続けてきた山田は、目標のプロ入りを果たした今、さらなる高みへと歩みを進める。

インタビュー・文=平柳麻衣
写真=梅月智史、岩井規征、Jリーグフォト

 2016年夏に開催されたリオデジャネイロ・オリンピック。山田将之は、青森山田高校時代の同級生・室屋成(FC東京)をはじめ、同年代の選手たちが戦う世界大会から、あえて目をそらした。

「同年代が世界の舞台で戦っているのが悔しかったんです。自分がまだまだそのレベルに達していないのは分かっていました。でも、同年代だからこその特別な感情、嫉妬のような感情がありました」

 同年代の選手をそれだけライバルとして強く意識するようになったのは、プロの世界を現実的に見ることができるようになってから。今置かれている環境だけに焦点を当てていた自分の視野の狭さを痛感した時、山田の世界観は大きく変化した。

■自分の中にいる“もう一人の自分”

 中学、高校時代を振り返ると、当時から山田は「負けず嫌い」の強い性格で、サッカーに対して常に“ストイック”であった。

 ワセダクラブForza'02に所属していた中学2年のある日、山田は突然、チームスタッフの指示によりFWからセンターバックへ転向した。「理由を聞いたら『背が高いから』というだけ。全く納得できなかったし、最初は全然できなかったです」。それでも、「やりたくない」よりも「負けたくない」気持ちが先行した。「毎日葛藤しながらも、ヘディングの練習は誰よりもやっていた覚えがあります」

 中学時代は無名の存在だったが、偶然試合を見に来ていた青森山田のスタッフに才能を見いだされ、青森山田への入学を決めた。しかし入学直後、「自分が来るような場所ではなかった」と、高校トップレベルの高さを思い知らされることとなる。

「自分がそれまでいかに中途半端な気持ちでサッカーをしていたのかを思い知らされました。全国から有名な選手が集まってきている中で、冬には雪が降る過酷な環境ですし、技術もメンタルも追いつかず、最初は本当に苦労しました。選手権やプロを目指すことは考えられなかったですし、とにかく3年間生き抜こう、生きて帰ろうと思いました」

 まずは一番下のカテゴリーのチームに振り分けられ、自分自身と向き合うことに集中した。同学年には1年時からトップチームに入る選手もいたが、ライバルとして意識する間もないほど、自分のことで精いっぱいだった。

「当時は上下関係が厳しくて、ミスをしたらものすごく怒られました。それから、山へ走りに行くトレーニングがあったんですけど、僕は走ることがすごく苦手だったので、本当にキツかった。僕がタイムに入れなかったせいで全員がもう一回走らされることも何回もありましたし、体力的にもメンタル的にもつらかったです」

 それでも持ち前の「負けず嫌い」精神と、中学時代に磨いたヘディングの強さを武器に、2年時から徐々に頭角を現す。3年時にはトップチームの主力となり、インターハイと全国高校サッカー選手権で大会優秀選手に選出されるまでに成長を遂げた。

 苦しいことから逃げ出さず、真っ向から向き合える。山田のメンタル的な強さの要因はどこにあるのか。山田は自分自身の性格を次のように分析する。

「二重人格というか、自分の中に“もう一人の自分”がいるんです。例えば、『遊びたい』と思う自分と、『練習しなきゃ』と思う自分。二人の自分が心の中で葛藤して、「今、必要なことは何か?」と考えた時に後者のほうが勝つんです。本田圭佑(ミラン)選手も心の中で自問自答しているとメディアで言っていますけど、僕もその気持ちが少し分かるような気がします」

 山田の中に存在する“究極にストイック”な自分が、妥協を許さない。その特性は、青森山田の厳しい環境下でさらに磨かれた。全国各地から集まったレベルの高い選手たちが、雪国の過酷な環境でしのぎを削る。能力の高さや所属カテゴリーに関係なく、全部員が日々全力でサッカーに取り組んでいる。それは、常に自分より先を歩んでいた室屋も、かつて1年時からトップチームの核として君臨した柴崎岳(現鹿島アントラーズ)であっても同じだった。

「僕がレギュラーになりかけた頃に、成はプロの練習に参加したり、U−17ワールドカップに出ていました。また、スタッフから聞いた話ですが、柴崎選手は青森山田中時代から高校の試合に出ていて、高1の時から一番上のカテゴリーで10番を背負っていましたけど、そこで満足することなく、誰よりも長く練習をして、試合が終わった後はすぐにビデオを見ていたそうです。そういう選手が上に行くんだなと感じましたし、僕も『彼らだったら今、何をするだろう?』と考えながら取り組むことができました」

 青森山田で培われた、プロになるために必要な高い向上心。それは、法政大に進学後も山田を支える強みとなっていく。

「大学に入ると自由が増えるから、周りに流されてしまうと聞いていたんですけど、僕には高校で植え付けられたものがあったので、まったく流されることはなかったです。やっぱりサッカーが好きだから。あとは親への感謝の気持ちです。高校から寮生活をさせてもらったので恩返しをしたい。そのためには、遊んでいる暇はないと思っています」

■上の世界を目指すため、致命的な課題を克服

 法政大で過ごした4年間の中で、山田はディフェンダーとしての転機を迎えた。山田が最も得意とするポジションは4バックでの右センターバックだが、大学2、3年時は右サイドバック、大学4年時には3バックでの右センターバックを経験。特に、新たな挑戦だったサイドバックは、山田に大きな変化をもたらした。

「サイドバックをやった時は探り探りでしたけど、成に『どうしたらいい?』とアドバイスをもらったり、プロの選手のプレーを見て、できないなりに足掻こうと思いました。徐々にドリブルや一対一の攻防に自信がつきましたし、ゴール前に上がっても落ち着いてプレーできるようになって、今ではサイドバックで培ったものが『自分の特徴』と言えるようになったので、結果的には本当によかったと思います。4年時にやった3バックでは、サイドバックでの経験を生かしながら、元々持っていたセンターバックとしての強さを出せましたし、選手としての幅が大きく広がりました」

 プレースタイルに変化を伴いながらコンスタントに出場を重ねた山田は、全日本大学選抜に選出されるなど順調にステップアップしていった。だが、上の世界を目指すためには、致命的な課題があった。

「新しい環境で自分を出すことが苦手だったんです」

 選抜やプロの練習参加など、短い時間でアピールをしなければならない場では、なかなか自分の特徴を出し切ることができなかった。ユニバーシアード日本代表の選考合宿では、「周りは知らない選手ばかりで緊張しながらやっていて、メンタルの弱さが出た」ことで自分の良さを全く出せず、神川明彦監督から指摘を受けた。

「神川監督は僕に『可能性を感じている』と、ポジティブな言葉で怒鳴ってくれました。結局、けがをしてしまってユニバーシアード代表には入れず、周りから見たらダメだったかもしれない。でも、その経験のおかげでその後の練習への取り組み方が変わりました」

 翌年に参加した、あるJクラブのキャンプでも「有名な選手ばかりで、緊張でガチガチになってしまった」と、またしても悪い癖が出てしまった。だが、この失敗を糧に、山田はようやく自分の殻を破ることに成功する。その成果を発揮できたのが、FC東京のキャンプだった。

「せっかく呼んでいただいたチャンスで、何もしないで終わるのはもうやめようと思った」

 キャンプ中に出場した練習試合でのプレーが評価され、2016シーズンのJFA・Jリーグ特別指定選手登録、そして2017シーズンからの加入内定へとつながった。

「練習試合では、もう吹っ切れて自分の特徴を全面に出せました。ゴールキックに対しての跳ね返しは、逆サイドでも競りに行ってアピールしましたし、セットプレーから惜しいシュートを放ったり、フィードや一対一の守備でも良さを出せたと思います。自分としては満足のいく試合でした」

■覚悟のFC東京加入。自分の可能性を信じて

 FC東京から獲得オファーをもらった時、山田はすぐに加入を決意することができなかった。オファーをもらったことは素直にうれしかった。しかし、常に自分の足元をしっかりと見つめて歩んできたからこそ、慎重な選択をしたい気持ちがあった。

「FC東京には日本代表のセンターバックが二人もいるので、下手をしたら自分がつぶれてしまうのではないかと不安を感じたんです」

 悩んだ末、山田はFC東京を選んだ。それは、プロ入りの先に見据える目標を、より現実的なものとするためだ。自分に秘められた可能性を信じて、勇気ある大きな決断を下した。

「代表選手がいるチームに評価してもらえるのは、もしかしたらこれが最後かもしれない。彼らに追いついて、追い越さないと自分が日本代表になることはできない。そう考えた時、このチームしかないと思いました」

 山田はFC東京のDF森重真人を「日本一のセンターバック」と尊敬する。憧れの気持ちが強いあまり、実は練習生や特別指定選手としてFC東京に帯同した際、なかなか話しかけることができなかったという。その森重と、今後はポジションを争うライバルとなる。FC東京への加入は、それだけの覚悟を持った決断だ。

「森重選手は、競り合いの強さなどディフェンスに必要な要素を備えた上で、足元のテクニックなど自分にないものを持っています。僕が試合に出るためには、練習から死に物狂いで頑張らないといけない。より高いレベルでプレーするためには、今の自分のすべてを見直す必要があると思っています。一日も無駄にできないですし、より一日一日を全力で過ごしたいです」

 山田は2016シーズンのうちにFC東京U−23の一員として明治安田生命J3リーグ7試合に出場している。先んじてプロのレベルを肌で感じたことで、良いイメージを持って新シーズンのスタートを切ることができるはずだ。だが、その7試合ではまだ成し遂げられなかったことがある。

「実はまだFC東京で一度も勝っていないんです。周りからも『勝てないね』とふざけて言われているので、チームを勝たせられる存在にならないといけないと思っています。これからトップチームに食い込むためには、簡単に失点したり、簡単にシュートを打たせていてはいけないですし、一人でも守れる力をつけなければいけない。勝利に貢献できたら、サポーターと一緒に『シャー』もやってみたいですね」

「FC東京で『欠かせない』と言われる存在になりたい」。そう決意表明した山田は、プロ入り後もコツコツと努力を重ね、さらなる高みに向かって歩みを進めていくだろう。自分の力を過信することなく、弱みや課題にもしっかりと向き合い、乗り越えていく。何よりの武器である、“ブレない強さ”を胸に秘めて。