薩長政権の「復古」は スローガンでしかない

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江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「薩長政権の復古の意味」について聞いた。

薩長が勝利した2要因

 では、薩摩長州に討幕戦争の勝利をもたらし、倒幕を成功させた要因は何であったのか。
 それは、テロリズムと「恭順(きょうじゅん)」という概念、この二つであろう。

 嘉永七(1854)年の日米和親条約締結以降、長州過激派を核とする尊攘激派といわれる水戸学にかぶれた暴力主義者によるテロリズム、具体的には暗殺が大きな効果を挙げたことは事実である。

 特に公家に対しては実効のある脅しとなり、これによって長州は朝廷を意のままに操り、天皇すら政治的道具として利用するという思考を身につけてしまった感がある。

 桂小五郎たちが天皇を「玉(ぎょく)」と呼び、「玉を転がす」とか、「玉(たま)を抱く」などと平然といい放っていたことが、長州人に許されざる思い上がりがあったことを端的に示している。

 しかし、テロリズムだけで倒幕が成就したかと問えば、それは否(いな)であろう。
 人類史上もっとも長い平和な時代を成立させた江戸の政治社会システムとは、衰えたりとはいえそれほどひ弱いものではなかった。

 江戸期とは、特に後期になると百姓、商人階層に至るまで教育熱が燃え盛った時代であった。

 現代平成の子どもたちは、その成果は別として学校教育だけに親が満足せず、子どもたちは塾通いや習い事に多くの時間とエネルギーを費やし、実に多忙な毎日を送っている。

 この多忙さだけは、江戸後期の子どもたちも全く同じであった。
 平和な時代であればこその、この庶民レベルの教育熱の高さが社会のベースにある。

 そして、それを足場とした学問的な頂点を形成していたのが武家階級であった。
 読書人階級といってもいいこの武家の間に、古学の系譜を引く国学やその他諸学が高いレベルに達していたという文化的土壌があってこそ「恭順」という現象が雪崩(なだれ)を打って現出したわけであり、この文化的要因が倒幕を成立させた最大の要因であろう。

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