神戸移籍が報じられたルーカス・ポドルスキ【写真:Getty Images】

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 J1のヴィッセル神戸が、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキの獲得を狙っていると各メディアが報じたことで大きな話題を呼んでいる。Jリーグには、過去にドイツ代表歴を持った選手が7人プレーしており、中にはW杯優勝を経験した選手もいる。今回は、Jクラブでプレーした元ドイツ代表を紹介しよう。果たしてポドルスキは“8人目”となるだろうか。

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ウーベ・ラーン

[所属したJクラブ]
1993年 浦和レッズ(7試合1得点)

[ドイツ代表の実績]
14試合5得点
1986年W杯メキシコ大会 0試合出場、準優勝

 ウーベ・ラーンはボルシアMG、ケルン、ヘルタ・ベルリン、フランクフルトなどでプレーした。1986/87シーズンには24ゴールを挙げてブンデスリーガの得点王、1987年にはドイツ年間最優秀選手にも選出された。ドイツ代表では1986年のメキシコ大会のメンバーとして選出されたものの、本大会で出場機会を得ることはできなかった。

 1993年に浦和レッズへと加入したが、ブンデスリーガ得点王は期待された働きを見せることができずに最終的にはリベロでプレー。外国人枠などの問題もあり出場は7試合に留まって退団した。

オッツェ

[所属したJクラブ]
1993年〜1994年 ジェフユナイテッド市原(55試合37得点)

[ドイツ代表の実績]
2試合0得点

 ドイツのブレーメンやケルンで活躍したフランク・オルデネビッツ、通称“オッツェ”は1993年にJリーグが開幕したばかりのジェフユナイテッド千葉(当時ジェフユナイテッド市原)に加入しリーグ戦15試合出場で7得点を記録した。

 1994年には40試合に出場して30得点を決め、Jリーグ2代目得点王として歴史に名を刻んでいる。1996年には当時JFLのブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)でもプレーしている。

ピエール・リトバルスキー

[所属したJクラブ]
1993年〜1994年 ジェフユナイテッド市原(63試合10得点)

[ドイツ代表の実績]
71試合16得点
1982年W杯スペイン大会 7試合出場、準優勝
1986年W杯メキシコ大会 5試合出場、準優勝
1990年W杯イタリア大会 6試合出場、優勝
1984年EUROフランス大会 2試合出場
1988年EURO西ドイツ大会 4試合出場

 来日前は主にケルンで活躍し、ブンデスリーガ4年連続二桁得点を挙げ、PKの盟主として知られたピエール・リトバルスキーは1993年にジェフユナイテッド市原(当時)へと加入。2シーズンプレーし、日本のファンにテクニックを見せてくれた。1994年に引退したが、その後ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)で現役復帰をした。

 指導者転身後も日本との関係は深く、1999年に横浜FC初代監督に就任。2007年にはアビスパ福岡でも指揮を執った。日本以外ではイラン、スイス、オーストラリアで監督を務め、2005年にはシドニーFCを率いてオセアニアチャンピオンとなり、クラブワールドカップに出場。この時は三浦知良をゲストプレーヤーとして加入させている。

 現在は2010年から約1年間アシスタントコーチを務めていたヴォルフスブルクでチーフスカウトの職に就いており、チームの強化を行っている。

ミヒャエル・ルンメニゲ

[所属したJクラブ]
1993年〜1995年 浦和レッズ(42試合13得点)

[ドイツ代表の実績]
2試合0得点

 現バイエルン会長のカール=ハインツ・ルンメニゲ氏を兄に持ち、兄弟揃ってサッカー選手として活躍。父・マルコもまた元選手で、サッカー一家で育つ。

 1993年にJリーグが開幕年に浦和に加入してリーグ戦6試合出場で1得点を決めた。加入2年目には27試合出場で11得点を記録。1995年に浦和で現役キャリアを終えた。

 浦和移籍前にはバイエルンやドルトムントでもプレーし、バイエルン時代にはブンデスリーガ3連覇を達成している。

ウーベ・バイン

[所属したJクラブ]
1994年〜1996年 浦和レッズ(68試合25得点)

[ドイツ代表の実績]
17試合3得点
1990年W杯イタリア大会 4試合出場

 ドイツのケルンやハンブルガーSVなどで活躍したウーヴェ・バイン氏は1993年にJリーグが開幕した翌年、浦和レッズに加入してリーグ戦10試合出場で2得点を決めた。加入2年目には主力に定着し、“ミスターレッズ”こと福田正博との絶妙なコンビで38試合出場18得点を記録している。

 代表キャリアでは1990年W杯に出場した経験があり、通算17試合出場で3得点を決めていた。1996年まで浦和でプレーした後、母国リーグのクラブで半年間過ごし現役引退。

 その後、古巣キッカーズ・オッフェンバッハで指揮官を務めたり、サッカースクール創設などの活動を行っていた。

ギド・ブッフバルト

[所属したJクラブ]
1994年〜1997年 浦和レッズ(127試合11得点)

[ドイツ代表の実績]
76試合4得点
1990年W杯イタリア大会 7試合出場、優勝
1994年W杯アメリカ大会 3試合出場
1984年EUROフランス大会 2試合出場
1988年EURO西ドイツ大会 2試合出場
1992年EUROスウェーデン大会 4試合出場

 クラブではシュトゥットガルトでブンデスリーガを制覇し、ドイツ代表で1990年のワールドカップでも優勝と輝かしい成績を残したギド・ブッフバルトは代表引退後の1994年に浦和レッズへと加入した。

 ブッフバルトの加入もあり、1993、1994と2シーズンに渡って最下位に終わった浦和は徐々に力を付けていき、1995年には年間3位の成績を残した。1997年に引退することになったブッフバルトであったが、引退式で白馬に乗って場内を周ったシーンは有名だ。

 2004年には監督として再び浦和に戻ってきたブッフバルトは就任1年目からチームをチャンピオンシップに導き(横浜F・マリノスに敗戦)、2年目には天皇杯を獲得。2006年にはワシントンの活躍もあり、初のリーグ優勝を達成。天皇杯の連覇を置き土産に監督を退任した。

 現在は古巣シュトゥットガルトの名誉職に就いており、アーセナルから期限付き移籍で加入した浅野拓磨についても、ヤン・シュインデルマイザーSDが「ブッフバルト氏も彼に早くから注目していた」と発言するなど日本との関係を保ち続けている。

カカウ

[所属したJクラブ]
2014年〜2015年 セレッソ大阪(24試合7得点)

[ドイツ代表の実績]
23試合6得点
2010年W杯南アフリカ大会 4試合出場

 ニュルンベルクやシュトゥットガルトでプレーしたブラジル生まれのカカウは2014年夏にセレッソ大阪に加入しリーグ戦12試合出場で5得点を記録。元ウルグアイ代表のディエゴ・フォルランらとプレーした2015シーズンも12試合出場で2得点決めたが、同年6月に契約満了日を前倒しして退団している。

 古巣シュトゥットガルトに戻ってリザーブチームでプレーした後、2016年10月に現役を引退。同年11月にはドイツサッカー連盟の役員に抜擢され、人種統合に関する部門で活動を行っている。

 シュトゥットガルトでは2006/07シーズンにブンデスリーガで優勝を経験。ドイツ代表としては2010年W杯で4試合に出場し3位入りに貢献していた。

text by 編集部