DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」9回目のボヤきは「新人に敵意を抱いてしまう」です。

【今週のボヤき】

30代に入り、やっと一人で仕事が回せるくらいにはなってきて、自信もついてきました。しかし、新人が入ってくると自分の仕事を取られたり、自分よりよい結果を出して抜かれてしまったりするのではと思ってしまいます。もともと自己評価が低く、自信がありません。ここまでなんとかコツコツ仕事だけは続けてきて、自分の自信のなさも仕事をすることで忘れたり、カバーしたりする部分がありました。

なので、新人が入ってくるたびに「私の仕事やポジションをとられるのでは?」と思い急に不安になります。仕事はチームでするものというのもわかっています。足を引っ張ったりするつもりはなく、自分に教えられることは教えるのですがそれでも自分が苦労して身につけてきたことをやすやすと教えるのは嫌だなとモヤっとしてしまいます。心の持ちようを教えてください。

「自分にしかできない仕事」はあってはならない

仕事に潰されてしまう人というのは、自分のポジションにこだわり人を遠ざけて、今の自分がやっている仕事を「自分にしかできない仕事」にしてしまう人なんですよ。

それを誇りに思っている人もいるのかもしれませんが、会社という組織にとって「自分にしかできない仕事」というものはあってはならないもので、必ずバックアップとなる人材がいなければならないものなんです。病欠もできないし身内に不幸があったとき等は会社に損害を与えることになってしまいますからね。

何より自分がやっている仕事を「自分にしかできない仕事」にしてしまうと、それは当然「自分にしかわからないこと」を作ってしまうことになり、何かあったときは「誰もわかってくれない、、、」という孤独な状況を招いてしまうことになります。

人間にとって最も厄介な状況というのが「孤独」ですからね、孤独から生じるストレスで自分を潰してしまうことになってしまうんですよ。

シェアせよ、さらば与えられん

仕事で着実に上のポジションへ登っていく人というのは自分の持っている技術や知識を下の者へ惜しみなくシェアしていきます。

自分のバックアップとなる人材を育てることによって、それが下の者の信頼を得ることになり、それが上の者に評価され、下から持ち上げられ、上から引っ張り上げられ、ひとつ上のポジションに上がっていくというわけです。

自分ひとりでできる仕事なんてたかが知れている仕事です、そんなものはたいした生産性のある仕事ではありません。

しかし自分と同等の技術や知恵を持った人材を育てることができれば、その生産性は掛け算式に上がっていくもので、生産性を上げていくことが仕事であり、与えられた仕事をただこなすだけなのは単なる作業なんですよ。

追い越されるのはむしろ喜ばしいこと

自尊心が低いと自覚しているのなら尚更下の者を育ててあげるように。それによって自分が追い越されたとしても、それは決して屈辱にはなりませんよ。むしろ自分のこと以上に喜ばしいことになるはず。

自分の育てた子が自分を追い越していくなんて、育ての親にとってこんなに嬉しいことはありませんからね。