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主催者の名前が「家電協会(Consumer Electronics Association - CEA)」から「民生技術協会(Consumer Technology Association - CTA)」へと変わって2回目となるCES。CESそのものは1967年にスタートしているので50周年を迎え、今年(2017年)も例年通り、米ラスベガスで華々しく開催され、そして盛況のうちに幕を閉じた。

いわゆる展示商談会のムードが強いはずのCESだが、ここのところは、新製品の展示というよりも、形のまだないコンセプトの提案という色が強く感じられる。すでに、CTAもCESという呼称を、家電ショーとしてのConsumer Electronics Showの略称としていない。

たとえば、モバイルプロセッサ大手のQualcommは、今年のCESをSnapdragon 835デビューの場に設定し、実際、基調講演でもモバイルプロセッサがもたらす未来を大々的に紹介していた。でも、エンドユーザーが、この最新プロセッサを搭載したデバイスを入手できるのは2017年の春以降で、まだ先の話だ。

○Qualcommは「未来を作る会社」

ここで考えてみた。Qualcommというのは、いったいなんの会社なのだろうかと。同社が持つプロセッサSnapdragonは、スマートフォンで使われているモバイルプロセッサだが、実際にはARMアーキテクチャのプロセッサであり、パートナーにその製造を委ねる。

昨年暮れには同社とMicrosoftとの協業が発表され、フル機能のWindows 10がSnapdragonで稼働するようになるとアナウンスがあった。このことがPCシーンに与える影響は計り知れないだろう。

Qualcomm CEOのSteve Mollenkopf氏は、その基調講演で、第5世代モバイルネットワークのもたらす世界について言及し、今までに見たこともない世界を作ると宣言した。世界は5Gを待っているとし、5Gは未来に連れて行ってくれるともいう。未来は5Gテクノロジーの上に構築されるというのだ。

だが、Qualcommは通信キャリアでもなければ、コンピューターメーカーでもない。スマホも作っていないし、PCも作っていない。医者でもなければドローンのメーカーでもない。もちろんクルマのメーカーでもない。

Intelと似ているところもあるが、QualcommはIntelのようにプロセッサを自ら製造しているわけでもない。だとすれば、Qualcommはいったい何の会社なのか。

彼らのチャレンジはプロセッサを使ったソリューションを提供することだ。つまり「未来を作る会社」だといってもいいだろう。そして、そのことが今のCESを象徴している。CESは「未来を展示するトレードショー」になったからだ。

○花開く音声連携サービス

そんな中で、随所でずいぶん具体的に未来を提案できていたのが音声連携サービスだ。音声サービスというと、iOSのSiriや、GoogleのOK Google、MicrosoftのCortanaなどが思いつくが、今年のCESではAmazonのALEXAが目立っていた。残念ながら日本ではALEXAサービスはまだ立ち上がっていないし、対応デバイスもないが、米国市場では飛ぶ鳥を落とす勢いだった。これは、AmazonのAWSがいかに大きな影響力を持っているかを如実に示す証拠でもある。そもそも、パブリッククラウドサービスとしては、GoogleやMicrosoftよりも、ずっと先輩だ。

米国市場に再チャレンジするファーウェイも、フラグシップのMate 9米国発売にあわせて、業界で初のスマートフォンをALEXA対応させるという。

ここで想像に難くないのは、音声連携サービスが、AIやディープラーニングと深く係わっていることだ。そして、そのテクノロジーを取り巻くプレーヤーは、カテゴリごとにたくさんいて、CESの主役に躍り出ている。NVIDIAなどはその典型だ。もはやGPUのメーカーというよりも、コンパニオン・プロセッサのメーカーだ。GPUという呼称をやめて、「APU(AI処理装置)」とか、「DPU(ディープラーニング処理装置)」とか呼んだ方がいいくらいだ。

○2017年のCESは「コンセプト」、PC復権の兆しも

今年のCESで痛感するのは、すぐそこに来ている未来なのに、まだ、それが暮らしにどのような変化をもたらすのかがはっきりと見えないということだ。きっと数年先のCESで、今年のCESが何だったのか形として提示されることになるだろう。そういう意味では、今年のCESは、Concept Electronics Showだったのではないか。それが正直な感想だ。

とはいえ、PC関連の新製品がたくさん出てきたことに、PC復権の兆しも感じられた。それはそれで興味深かった。

(山田祥平)