四川省に建てられた毛沢東の巨像。2008年撮影(China Photos/Getty Images)

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 中国教育部はこのほど、小中高校教材に記される抗日戦争(日中戦争)期間を従来解釈してきた「8年」から「14年」に改める通知を出したのをきっかけに、中国国内では、当時の中国共産党の対日姿勢に注目が集まっている。

 中国共産党政権は長い間、歴史をねつ造し「中国全民族を率いて抗戦した『中流砥柱』(苦しく辛い状況でも毅然として動かない人や集団)」と自称してきた。しかし、これまで歴史学者による研究では、中国共産党は1931年の「九一八事変(満州事変)」以降、日本軍やその情報機関と共謀し、国民党が率いる国軍に対抗していたことがわかった。

 中国共産党指導者の毛沢東や周恩来はかつて日本の侵略に感謝し、日本側からの巨額な戦争賠償を放棄したことを通して、日中戦争中、中国共産党が日本軍と共謀し、国民党の抗戦を妨害した実態を改めて浮き彫りにした。

公開文献からみる毛沢東の「日本に感謝」発言

2015年9月、北京の天安門広場でお行われた軍事パレードで、並ぶ軍人たちの背後に見える毛沢東肖像画(WANG ZHAO/AFP/Getty Images)

 一. 1956年、元陸軍中将の遠藤三郎氏との会談では、毛沢東は「あなたたち(日本皇軍)はわれわれの教師だ。われわれはあなたたちに感謝しなければならない。あなたたちがこの戦争で、中国国民を教育してくれ、撒かれた沙のような中国国民を団結させることができた。だから、われわれはあなたたちに感謝しなければならない」と話した。

 (出典:王俊彦『大外交家周恩来』(上)、経済日報出版社出版、1998年、P210)

 二.1960年6月21日、日本文学代表団と左派文学家の野間宏氏などと会見したとき、毛沢東は「一部の(日本人)友人は『日本が中国を侵略したから、よくない』と話した。私は『侵略は当然よくないが、しかしこの悪い一面だけを見ないでほしい。別の面から見ると、日本は中国に大きな助けをしたのだ。もし日本が中国の大半を占領しなかったら、中国国民は目を覚ますことができなかっただろう。この点からいうと、われわれは日本皇軍に感謝しなければならない」と述べた。

 (出典:中華人民共和国外交部・中国共産党中央文献研究室編『毛沢東外交文選』、中国共産党中央文献出版社・世界知識出版社、1995年改版、P438)

 三. 1961年1月24日、毛沢東は日本社会党所属国会議員の黒田寿男氏と会見した。毛は1956年に日本の日中輸出入組合理事長の南郷三郎氏との会談に触れて、「日本の南郷三郎氏は私と顔を合わせた途端、『日本が中国を侵略したので、お詫びを申し上げなければならない』と話したが、しかし私は彼に、『われわれはそうは思わない。日本の軍閥が過去において中国の大半の土地を占領した。このため、中国国民は教育を受けることができた。そうでなければ、……われわれは今まだ山の中にいて、北京で京劇を見ることさえできなかった。……だから日本の資本壟断と軍閥はわれわれに好いことをした。感謝が必要であれば、むしろわれわれが日本軍閥に感謝しなければならない』と答えたのだ」と話した。

 (出典:中国共産党中央文献研究室編『毛沢東文集第8巻』、「日本人民斗争的影响是很深远的(日本語:日本人民闘争の影響は非常に深遠である)」人民出版社、1999年)

 四.1964年7月9日、毛沢東は第2回アジア経済討論会に参加したアジア、アフリカ、オセアニアの各国の訪中代表団と会見し、再び南郷三郎氏を言及した。

 毛は「日本資本家の南郷三郎氏は私と話したことがあって、彼は『申し訳ない、日本は中国を侵略した』と話した。私は『いいえ、もし日本帝国主義が大規模な侵略を起こし、中国の大半を占領しなかったら、中国国民は団結して帝国主義に反抗することはできなかったし、中国共産党も勝利を得ることができなかった』と答えた。

 「実際に、日本帝国主義はわれわれの良い教師だ。第一に、彼らは蒋介石(国民党の力)を弱めた。第二に、われわれは共産党が支配する根拠地と軍隊を発展させることができた。抗戦(日中戦争)前、われわれの軍隊は一時30万人規模に発展したが、われわれ自身の誤りで、2万人余りまで減ってしまった。しかし、8年間の抗戦期間中、われわれの軍隊は120万人まで発展できた。ご覧ください、日本はわれわれに大きな助けをしてくれたのではないか?この助けは、日本共産党がしたのではなく、日本軍国主義がしてくれたのだ。なぜなら、侵略したのは日本共産党ではなく、日本の資本壟断と軍国主義がわれわれを侵略したのだ」と発言した。

 (出典:中華人民共和国外交部・中国共産党中央文献研究室編『毛沢東外交文選』、「从历史来看亚非拉人民斗争的前途(日本語:歴史から見るアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民闘争の将来)」中国共産党中央文献出版社・世界知識出版社、1994年版)

河北省に侵攻する当時の日本軍。1939年撮影(OFF/AFP/Getty Images)
 

 五.1964年7月10日、毛沢東は日本社民党の佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光など各氏と再び会見し、またも日本の侵略に感謝すると口にした。(文中の3カ所に日本への感謝に言及したため、a、b、cに分ける)

 a:毛沢東は「私は以前日本の友人にこう話したことがある。彼たちは『申し訳ない、日本皇軍は中国を侵略した』と言ったが、私は『いいえ、あなたたち皇軍が中国の大半を侵略しなければ、中国国民は団結してあなたたちに抵抗することはできなかったし、中国共産党も政権を奪うことができなかった。……』と答えた」

 b:佐々木氏は「過去、日本軍国主義が中国を侵略し、中国国民に大きな損害をもたらした。われわれは非常に申し訳なく思っている」と話した。それに対して、毛は「申し訳ないことはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。中国国民が政権を奪うことができた。あなたたち皇軍がいなければ、われわれは政権を奪えなかった」と言った。

 c: 毛は「……蒋介石は私に戦いを教えてくれた最初の人だ。……当初軍隊もなかったわれわれは、30万人の軍隊に発展できた。しかし、私の誤りで、蒋介石のせいではないが、南部の根拠地を失ってしまった。だから、2万5千里の長征をせざるを得なかった。ここにいるのは私以外に、廖承志同志も(長征に参加した)いる。その後、どのぐらいの兵士が残ったのか? 30万人規模から2万5千人に減ってしまった。われわれはなぜ日本皇軍に感謝しなければならないのかって? これは、日本皇軍が来て、われわれは日本皇軍と戦うため、蒋介石と協力するようになったからだ。2万5千人の軍隊は、その(抗戦)8年間で、120万人規模に発展できて、1億人の人口がある根拠地を持つことができた。だから、感謝する必要がある」と言った。

 (出典:『毛沢東思想万歳』原文復刻、出版社不明、1969年(716ページ版)、P532-545)(注:『毛沢東思想万歳』が出版当時は中国は文化大革命の真っただ中で、同書にはいくつかのバージョンがあるが、この716ページ版だけに、以上の談話内容が記載された。文化大革命中、党内各派閥の情報公開基準が異なっていたためだと推測する)

 六.1970年12月18日、毛沢東は米国人ジャーナリストのエドガー・スノー(Edgar Snow)氏との談話で、「……あの日本人たちはとてもよかった。中国革命には日本人の助けがないとダメだった。この話を一人の日本人に話したことがある。その人は資本家で、名前は南郷三郎という。彼はいつも『申し訳ない、あなたたち(中国)を侵略した』と話したけれど、私は『いいえ、あなたたちは大きな助けをしてくれた。日本の軍国主義と日本の天皇、あなたたちが中国の大半を占領したから、中国全国民は立ち上がってあなたたちと戦うことができた。われわれも100万人の軍隊を持ち、1億人がいる地域を占領することができた。これは全部あなたたちの助けでできたことではないか?』と答えた」

 (出典:姜義華編『毛沢東巻』、「与著名美国记者、《西行漫记》作者埃紱加斯诺的谈话(日本語:著名米国人ジャーナリスト、『中国の赤い星』作者エドガー・スノーとの談話」、香港商務印書館、1994年12月初刊)

田中角栄氏にも「感謝」を伝える

1972年、当時の田中角栄首相は訪中して毛沢東と会談(AFP.Getty Images)
 

 1972年9月27日、日本の田中角栄首相と会見した毛沢東は再び日本の侵略に感謝した。この内容が最も露骨だとされるが、しかし中国政府はまだ当時の会談詳細内容を公開していない。情報筋によると、文化大革命中、党内幹部しか閲覧できない『参考消息』『大参考』との新聞で、毛が日本皇軍に感謝していたと報じられた。

 現在、中国国内インターネット上で流れている情報によると、1972年9月27日に中国政治の枢軸である北京の中南海で、毛は田中角栄氏と会談した。田中氏が侵略を謝罪すると、毛は「申し訳ないことはない。あなたたちは功を立ててくれた。なぜって? あなたたちが侵略戦争を起こさなかったら、われわれ共産党は強大になれなかった。われわれも政権を奪うことができた。蒋介石を打ち破ることもできなかった」と言い、「われわれは、あなたたちにどう感謝すればよいのだろうか? あなたたちの戦争賠償はいらない!」と話した。

 一部の英語サイトでも、当時毛沢東と田中氏とのやり取りを伝えている。例えば、オーストラリア人学者のジェレミー・バーメー(Geremie R. Barmé)氏が執筆した「Mirros of History, On a Sino-Japanese Moment and Some Antecedents」中では、毛沢東が「……われわれは日本に感謝しなければならない。日本が中国を侵略しなければ、われわれには国共合作を取得できず、最後政権取得まで発展もできなかった。……われわれには、あなたたちの助けがあったこそ、今日北京であなたたちと会見することができた」などと話した。

 (出典:Geremie R. Barmé(2008)「Mirros of History, On a Sino-Japanese Moment and Some Antecedents」、
<http://www.danwei.org/nationalism/mirrors_of_history.php >)

 また、毛沢東付きの専任医師である李志綏氏が執筆した『毛沢東の私生活』では、「毛沢東はよく日本について話していた。彼は『我々は日本に感謝しなければならい。日本が中国を侵略しなければ、われわれは国共合作を得ることができなかったし、最後政権を取得するまでの発展もできなかった』と話した。多くの日本人がわれわれに会うと、詫びて謝罪するが、毛は『われわれはあなたたちの助けで、今日北京であなたたちと会うことができた』と言った」と記されている。

 田中角栄氏とのやり取りについて、「日本内閣総理大臣の田中角栄氏と外務大臣の大平正芳氏は9月25日から30日に中国を訪問し、(両国の)共同声明が発表され、大使レベルの外交関係を結んだ」「毛は(米国の)ニクソン(大統領)と同様に田中首相を礼遇してもてなしした。毛は、ニクソン氏と比べて、田中氏との会談がより打ち解けたものだと考えた。田中氏が日本が大戦中の中国侵略行為について謝罪した際、毛は『日本の侵略がなければ、共産党の勝利はなかったし、今日の会談もなおさらなかっただろう』と話した」と記されている。

 (出典:李志綏『毛泽东私人医生回忆录(日本語:毛沢東の私生活)』、台湾時報出版社、1994、P543-544)

(文・謝天奇、翻訳・張哲)