皇居と二重橋(「Thinkstock」より)

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 政府は1月10日、天皇陛下が在位30年を節目として譲位を希望されていることを受け、平成31(2019)年1月1日に皇太子殿下の天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入ったと報じられた。

 国民生活への影響を最小限とするには元日の譲位が望ましいとの判断による。譲位に伴う関連法案は、有識者会議の報告と衆参両院の論議を踏まえ、5月上旬にも国会に提出される見通しだ。天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議は、皇室制度や歴史、憲法などの専門家からのヒアリングを踏まえて、1月23日にも論点整理を公表する。

 譲位の日程について、宮内庁は懸念を示しているが、もうひとつの国民的な関心は、新元号だ。「平成」の次の元号が何になるのか。

 今回は、『日本人が知らない「天皇と生前退位」』(双葉社)の著書を持つ、カリスマ歴史講師の八柏龍紀氏に、これまでの元号の特徴を聞いた。

「まず知っておきたいのが、五穀豊穣と天変地異の鎮撫をはかり、被災者や犠牲者に祈りを捧げるといったことが日本古来の天皇の務めだったということです。また、元号はそもそも、地震や飢饉などの天変地異など、いわゆる政変も含めて“ケガレ”を祓うということをきっかけに改元されたものでした。現在のように一世一代になったのは、慶応4(1868)年の明治改元の詔によってなのです」

 天変地異に見舞われたもっとも大変な元号は「貞観」(859〜877年)だ。なんと、富士山噴火と大地震に見舞われた。

「清和天皇在位(858〜76年)前後のことなのですが、864(貞観6)年には富士山噴火(貞観大噴火)が起きています。868(貞観10)年には播磨国で地震(播磨国地震)。869(貞観11)年には東日本で貞観地震が発生し、2011年の東日本大震災級の津波が襲い、東北太平洋岸に大災害をもたらしています」

 疫病が流行した貞観5(863)年に朝廷は、ケガレを祓うために京都の神泉苑で、政争の犠牲となった人びととの怨霊の祟りを鎮めて、御霊に転化させるとする「御霊会」を行っている。これが現在の祇園祭の起源といわれており、それほどこの時代の天変地異は激しいものだった。

「また中世では、応仁・文明の乱後の1498(明応7)年に明応地震が起きています。最近よく耳にする南海トラフが作用する地震は、膨大なエネルギーを発散させると考えられています。この明応地震の際、浜名湖が海とへだてられたといわれています」

 中世になると、地震より飢饉が深刻だった。「長禄」(1457〜1460年)、「寛正」(1460〜1466年)の飢饉は酸鼻を窮めたという。

「畿内での暴風雨や洪水・旱魃と相まって、特に1459年から62年まではひどいものだったようです。この時期の天皇は後花園天皇で、将軍は足利義政でした。餓死者が京の町に溢れている事態にもかかわらず、義政は将軍御所の作庭に没頭し、有効な手を打たなかったと不評を買っています」

 わずか2年間の「文正」(1466〜67年)をはさんで、応仁元(1467)年には応仁・文明の乱が発生する殺伐とした時期に入る。

●平和が続いた元号

 一方、江戸以前に一番長く続いた元号といえば、「応永」(1394〜1427年)の34年間だ。

「この時代の天皇は後小松天皇と称光天皇で、室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。『応永の平和』といわれる、大きな戦乱や大地震もない時代でした」

 次に長く続いたのが、桓武天皇時代の「延暦」(782〜806年)の23年、南朝の正平(1346〜1370年)も23年。続いて戦国時代、後奈良天皇時代の「天文」(1532〜1555年)の22年、醍醐天皇時代の延喜(901〜923年)の21年だ。

 次の元号は、有識者や政府関係者による「元号に関する懇談会」が開催され、そこで決められることになりそうだ。「平成」は陽明学者の安岡正篤が考案したといわれている。今上陛下の生前退位が取りざたされて以来、「安久」になるのではないかなど、具体的な言葉も含めてさまざまな情報が飛び交っている。果たして、どのような元号になるのだろうか。
(文=小石川シンイチ)