『地球に落ちて来た男』ウォルター・テヴィス 二見書房

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 デヴィッド・ボウイ主演映画の原作で、小説じたいは1963年が初刊、映画は76年の製作。邦訳は2003年に扶桑社から出たが、映画公開からだいぶ時間が経っていたこともあって、あまり評判にならなかった。ご存知のようにボウイは2016年に逝去し、その偉大な才能を追悼する声が音楽界や芸能界だけではなく広い層から聞かれた。こんかいの邦訳再刊は、そうした声に呼応してのものだろう。

 カバー袖に付された惹句には〔これを読まずして、あの作品[映画]も、そしてボウイも、語れない----〕とうたわれていて、いや、さすがにそれはちょっと言いすぎじゃないかと思うのだが、実際に読んでみると、なるほど、主人公の異星人トマス・ジェローム・ニュートン(地球ではそう名乗っている)はボウイの印象と重なりあう部分が多い。

 それは別にしても、作品自体が独特の魅力を備えている。ニュートンが地球へやってきたのは滅亡が迫る母星アンシアの同胞を救うためであり、その点は古典的なSFの構図といえる。ユニークなのは、アンシア人が憂いなく移住するため、地球に平穏をもたらさなければならないという発想だ。しかも、圧倒的な技術力にものを言わせて善導するのではなく、ニュートンもひとりの人間として煩悶しながら地球人とのつながりをさぐっていく。

彼は計画の資金を得るため、まず腕利きの弁護士ファーンズワースに接触し、小規模の整流器によるビデオ送信の基本特許や石油精製を従来より十五パーセント効率化する手段の扱いを委ねる。このファーンズワースとの契約を別にすれば、ニュートンが親密に交流する相手は有力者や要人ではない。ひとりは、地球の重力に馴れない彼がエレベータのなかで倒れたときに世話してくれた中年女性ベティ・ジョー。もうひとりは、ニュートンの発明品に技術的な興味を抱いて近づいてきた、冴えない化学工学者ネイサン・ブライズ教授。彼らは優しい善人だが、克己心や闘志が薄い。どちらかといえば弱い人間だ。ベティ・ジョーは生活保護をあてにして無目的に生き、昼間からジンを口にしている(しかし泥酔するほどは飲まない)。ブライズ教授はかつてかかわった政府の仕事で結果を出せず、教員としてもうだつがあがらない。不甲斐ない思いを抱きながら、くすぶるように生きている。

ニュートンとベティ・ジョーやブライズ教授の関係は、非常に奇妙な依存関係だ。ニュートンからすれば、全体としての地球人は美術館に放たれた猿のような存在に思える。自然でも芸術でもすばらしく美しいもの囲まれていながら、それを平気で壊してしまう。こんな地球人たちを、どうやって良い方向へと導けばよいのだろうか? しかし、そんなニュートンの無力感を受けとめてくれるのも、また弱い人間であるベティ・ジョーやブライズ教授なのだ。

またいっぽうで、大きな物語も動きだす。ニュートンは特許で稼いだ資金で、研究機関を設立し恒星間宇宙船の建造を進める。彼が地球にやってきたときに乗っていた小型宇宙船は燃料がつき、船体も人目につかぬよう解体してしまった。いまつくっているのは母星からの移住に使用できる大型のものだ。

そして、物語の背後には一触即発の国際情勢がある。ニュートンはブライズ教授と大戦争が勃発するまで、あと何年の猶予があるだろうかと議論をする。教授が五年と見積もると、ニュートンはそれでは時間が足りないと応じる。戦争が起これば、宇宙船建造どころではなくなってしまうだろう。

ニュートンの危惧には、いうまでもなく、この小説が執筆された1960年代の冷戦構造が影を落としている。しかし、それが過去のものになったわけではない。訳者の古沢嘉通さんがあとがきで〔本書の描き出す不安と絶望が「いまの日本と世界の現状」と恐ろしいぐらいに符合して、リアルすぎて冷静に読めない〕と指摘しているとおりだ。

 そうした状況よりもさらに普遍的なのは、ニュートンの「落下」だろう。『地球に落ちて来た男』という題名はSFとしては少々奇妙だが、ブライス教授の家に「イカロスの墜落」の複製画がかかっていたり、キリストの像を見たニュートンがアンシア人を連想することからも、いくぶんかの含意があると考えてよいだろう。もちろん、この作品をまったくの寓話として捉えてしまうと、それはそれで矮小化なのだが。ちなみに作中でアンシア人が遙かな過去に地球に訪れたらしいことが仄めかされるが、それ以上は読者それぞれの想像に委ねられる。

さて、ベティ・ジョーやブライズ教授にとって、ニュートンは希望をもたらしてくれる存在だ。彼らを好条件で雇用したばかりか、たんなる使用人ではなく友人として尊重もしてくれる。にもかかわらず、ニュートンは得体の知れぬ存在でもある。ベティ・ジョーは自分の寂しい気持ちをニュートンに支えてもらいながら、一定の距離以上に近づけないもどかしさを覚えている。ブライズ教授はニュートンの知識と人格に惹かれつつ、彼の出自に疑いを募らせていく。ニュートンは自分の正体を隠しているのだが、教授は科学者としての常識から彼の発明が地球上のものではないことを見抜いている。

ニュートンの身体にとって地球の重力は負担だが、地球人のなかでの暮らしも重すぎる。やがて彼はベティ・ジョーの影響で常習的に飲酒をするようになり、母星の同胞を救う計画にも逡巡が混じりはじめる。アンシア人としては剛健な自分さえこれほどのダメージをこうむっているのだ。ずっとか弱い家族や仲間が、ここで暮らしていけるとは思えない。しかし、迎えにいかなければ、そのまま滅んでしまう。

ニュートンははたして地球からふたたび宇宙へと飛びたてるだろうか? そして、地球は無垢な異星人を迎える楽園たりうるか?

(牧眞司)