過去にしがみつく経営者と、今を生きる経営者

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流行り物を毛嫌いする人がいるが、「経営者がそれではいけない」と筆者は語る。アンテナを張って、何でも自ら試す─。そうした経営者こそ、会社を成長させるのだ。

LINE執行役員の田端信太郎さんのPokémonGO(ポケモンGO)に関する投稿が話題になった。経営者が集まる会議でポケモンGOをしている人数を尋ねた際、2〜3割くらいしか手が挙がらず、がっかりしたという話である。

私は約6年前、ある地方の中核都市で、上場を目指す若手IT経営者が対象のセミナーに登壇した。フェイスブックの共同創業者マーク・ザッカーバーグについての映画『ソーシャル・ネットワーク』が公開されたばかりだったこともあり、「映画を見ましたか?」と聞いたところ、会場がシーンとして驚いたものだ。

「フェイスブックをやっている人は?」と聞いても、パラパラとしか手が挙がらない。会場には、100人くらいの”IT経営者"がいた。そこで言った。

「すみません、この地域からはあと5年は少なくともITの上場企業は出ません」

実際、今も出ていない。

これは、フェイスブックやポケモンGOをすることが大事という話ではない。まずは、流行しているものを自分で試し、体や五感で感じるという、身体的感覚がすごく大事だということだ。

もちろん、流行を追わない自由もある。それは素敵な人生でありさえする。

しかし、多くの人を率いる経営者ならば、時代を象徴するイベントや本、映画、小説などを自身の体験として”肉体的消化"することで、あるべき方向性を身体的感覚で選択できるようにすべきではないか。

その身体的感覚を経た後ならば、その価値観からの離脱や超越、模倣も選択肢としてアリだと思う。重要なのはマネすることではなく、自ら世界観を咀嚼し、時代の空気を身に纏うことだ。

流行りに関して条件反射的に「けしからん!」という感情が湧いてくるのは経営者以外であるならば構わない。だが、もし経営者なら、後進に道を譲った方がいい。というのは、現役の経営者なら”流行りもの"に嫌悪感を持つのはもってのほかで、それを観察の対象にせねばならない。好奇心が湧いてこないのなら、経営者としては”ライブ"ではない。

経営者としてライブでいることは、とても重要だ。それは過去の成功体験の中に生きているわけではなく、今の世の中を見つめ、将来起きることを凝視することである。拙著にも「自伝を得意げに渡す社長の会社の株は上がらない」と書いたことがあるが、要はそういうことだ。ライブな人は、過去にあまり興味がない。だから面談をすると、現在や未来について目を輝かせて話す。しかし、そうでない人は、過去の思い出話や自慢話ばかり。そのような人に大事な顧客の資金を預けるわけにはいかない。

私は今、根室にいる。なにも北方領土に近い街へ来たからといって、特別なことがわかるわけがない。とはいえ、ネットで多くのことを調べることができ、かつAI(人工知能)が進歩してきた今、人間様にできるといえば、ただひたすら現場に行き、見て感じることではないか。この地域で北方領土を納沙布岬から眺め、そよぐ風や草の匂いを嗅ぐ─。

「嗅いだところでなにかわかるのか?」と言われても、なにもわからないかもしれない。でも、地元の人と話をする。国後島出身のおじいさんと歯舞群島出身のおばあさんをもつ女性と話をする。北方領土の話をするわけでもないが、ふつうの日常会話の中からたくさんの示唆に富んだ話が聞ける。行く先々のものを飲み食いしつつ、地元の人に話を聞くことで、身体的なレベルで情報を消化できるのだ。

根室の人なら誰でも知っている「エスカロップ」「オリエンタルライス」という地元メシについても聞いた。初耳だった。そして、食べてみた。

確かに、それでよい株式銘柄が選べるわけではない。それでも、誰かがまとめた2次情報でない、生の話を聞き続けていくことが大事なのだ(余談だが、このエスカロップがとてもおいしかった。悔しかったら、根室でエスカロップを食べてみなさい!)。

ネットが普及して多くの事柄を瞬時に居間や外出先で知ることができる今だからこそ、フィールドワークが大事になっている。街を歩き、様子を見て、乗り物に乗ったり、食べ物を食べたり、地元の人の話を聞いたり─。そういったリアルな体験が非常に貴重な財産になる。

最後に、ゲーテの『ファウスト』から私の好きな一節を。

見るために生まれ
見張ることが仕事となり
世のすばらしさを知った。
だからあらゆるものに
永遠の美しさがあるのを知っている。

ぼくはすべてを好きになり
自分さえも愛せるようになった。
ものを見るよろこびを知った眼よ
おまえがこれまで見たものは
どんなものであろうと
すべては美しかったのだ!
(『ファウスト』新潮文庫より)

このような気持ちで、世の中を観察してみたいものだ。