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フォードと資本提携した「大きな効果」

 マツダという会社の来し方を振り返るにあたって、米フォード・モーターとの関わりは欠かせないテーマだ。マツダとフォードとの関係は古い。フォードが株式の24.5%を取得して資本提携したのは1979年11月のことだった。

 その後、日本のバブル経済崩壊後の不況の中、マツダは経営不振に陥り、93年から95年にかけては3期連続となる大幅赤字を計上した。これを機に、93年12月にフォードとの新たな戦略的協力関係構築を発表。さらに96年6月にフォードの出資比率は33.4%に引き上げられ、フォード出身のヘンリー・ディー・ジー・ウォレス氏がマツダの社長に就任した。

 以来、ジェームズ・イー・ミラー氏(97〜99年)、マーク・フィールズ氏(99〜2002年)、ルイス・ブース氏(02〜03年)と、フォード出身社長の時代が続いた。

 第1回で記したように、バブル時代のマツダは身の丈を超えた拡大志向に走った。5つの販売チャネルで30車種以上にまでカーラインナップを広げたのは、その象徴といえるだろう。

 そんな状況下、フォード傘下で進められたのは、同社の世界戦略の中でのシナジー効果の追求だった。

 実際、大きな効果があった。例えば、「Bセグメント」と呼ばれるいわゆるコンパクトカーでは、96年にマツダが基本設計を行って投入した小型ステーションワゴン「デミオ」があるが、フォードではこれを「フィエスタ」の名で世界中に供給した。このように、セグメントごとにプラットフォームを共通化することで、大きなシナジーが生まれたのである。

 ひとクラス上のCセグメントでは、当時フォードの傘下にあったボルボのチームがプラットフォームを基本設計し、フォードでは「フォーカス」、マツダ車としては「アクセラ」の名で販売され、これも全世界で成功を収めた。また、その上のCDセグメントではマツダが開発した「アテンザ」のプラットフォームを活用し、フォードは「フュージョン」として売り出すという具合である。

 開発だけではない。例えばマツダのタイ工場ではマツダが基本設計したピックアップトラックを年間10万台生産していた。マツダ単独では10万台に達することはできなかったが、フォードと販売台数を合わせることで10万台となり、規模の経済で部品調達のコストも下がる。

 この「プラットフォームを共通にし、ブランドと姿かたちを変えて世界中で作って販売する」という手法は、確かに効果があった。フォードグループの中でしっかりとコンセンサスを取りながら、フォードのブランド戦略の中での役割を全うし、効率よく開発・生産に取り組むことで、マツダの業績は上向きになった。

 ところが、である。2008年のリーマンショックを機に、フォード自体の経営が苦しくなり、マツダの株を手放さざるをえなくなる。2008年度は13.8%、2010年度には3.5%、2011年度には2.1%と、フォードの株式保有率は漸減していった。最終的に2015年度にフォードはマツダ株を完全売却し、36年にわたる資本提携関係に終止符が打たれることになる。

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