いまも基地が残っている以上、沖縄県民にとって戦争は決して遠い過去のことではない、と話す目取真氏。日本本土の人たち(ヤマトゥ)は、どうして他人事と受け止めているのかーー沖縄と本土の溝は深まるばかりだ Photo:ZUMA Press/AFLO

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「触るなクソ」「土人がーー」高江ヘリパッド建設に抗議する沖縄県民に対して、機動隊が言い放った言葉が、全国で波紋を呼んでいる。その様子をビデオに収めたのが芥川賞作家の目取真俊氏だ。沖縄県出身の同氏は、高江ヘリパッド建設のみならず、名護市辺野古の埋め立てや普天間基地の県内移設に反対し、長年反基地運動を続けている。件の土人発言は沖縄県民に対する“差別”だとの批判が相次いだが、当事者の目取真氏はこれをどう見るのか。沖縄の基地問題と差別の構造について聞いた。

豊かな自然が残る高江村
ヘリパッド建設に機動隊が集結

 広さ約7800ヘクタール、東京ドーム1668個分の広大な敷地をもつ沖縄県の「北部訓練場」。そのうちの約半分(4000ヘクタール)が、2016年12月22日、米軍から正式に日本側へと返還された。

 しかし、その条件として提示されたのが沖縄県東村(ひがしそん)の集落、高江への「ヘリパッド」(ヘリコプターの離着陸場)建設である。

 ヘリパッド建設に反対するため幾度となく高江に足を運んだという目取真氏は、これまで、どのような想いで抵抗を続けてきたのか。

「沖縄に基地があり続けることへの抗議の意味もありますし、高江の豊かな自然をヘリパッド建設で破壊されることに反対しようと抵抗を続けています。ヘリパッドが建設される東村高江区と国頭村安波区は、琉球列島の固有種が数多く生息する亜熱帯の森が広がる、自然豊かな集落です。それが、目の前でチェーンソーが凄まじい音を立てながら、どんどん木々を切っていく。1ヵ月前まで森だったところが赤土むき出しのヘリパッドになっていく。それを目の当たりにする精神的なダメージは大きいですよ」(目取真氏、以下同)

 目取真氏は5年以上も前から高江に足を運び、ヘリパッドの建設に抗議をしているという。そもそも、ヘリパッド建設が決定したのは、米兵による少女暴行事件(1995年)を受けて米軍基地の縮小・撤廃運動が高まった1996年のこと。2016年7月に入ってから、全国から500人以上の機動隊が上陸し、反対派との衝突が報じられたため、他県でも注目を集めることとなった。

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