AIはヒトと同じように哲学することができるのか?(前編)

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人工知能(AI)が第三次ブームを迎え、さまざまな分野で私たちの生活を一変しようとしている。囲碁の世界でも人工知能が人に勝利し、完全なる自動運転の未来ももうそこまできている昨今。人工知能はどこまで進化しているのか。そして、私たちと同じように「心」を持ったり、哲学的なテーマに向き合うことはできるのか。
『いま世界の哲学者が考えていること』が大ヒット中の著者・岡本裕一朗氏が『人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語』の著者・児玉哲彦氏を迎えて「人工知能×哲学」というテーマで語り尽くすスペシャル対談(前編)です。

第二次までの「AIブーム」と
今回の「AIブーム」は何が違うのか?

岡本:今、人工知能、ディープラーニングに関して盛んに取り上げられ、さまざまなところで議論になっているのですが、今回の人工知能ブーム、すなわちディープラーニング以前と以後では、どのように違いがあるのでしょうか。もっと言えば、これまでの「人工知能ブーム」と、今回起こっているものはどこが異なるのでしょうか?

児玉:そのあたりの変遷を手短に述べると、これまでに人工知能ブームは二度あって、今回が三度目だと言われています。最初のブームは60年代くらいの話で、コンピュータが登場し、記号操作を機械ができるようになったときです。端的に言えば、計算ができるようになったということですね。その後、80年代くらいに知識情報処理、エキスパートシステムに代表される第二次ブームがやってきました。記号は記号の形ではあるのですが、知識をたくさんインプットし、情報処理をすれば、従来よりも飛躍的に賢い機械ができるのではないか。そういう取り組みが始まった時期が第二次と捉えられると思います。

岡本:そして、今回の第三次のAIブームはこれまでとは決定的に違っているわけですか?

児玉:そうですね。世界の物事を記号やシンボルで捉えるというところが、おそらく第二次までの人工知能ブームの限界だったと思います。それが第三次では、シンボルではなく、パターン情報として捉えることができるようになった。これは大きいと思います。

岡本:わかりやすいところで言えば、これまで機械で翻訳をすると、定番化された表現、定型表現はうまく翻訳されるけれど、ちょっと複雑なものになるとまったく使えないという状況があったと思います。そういった部分での変化というか、革新は大きいのでしょうか。

児玉:確かにそうだと思います。これまでの翻訳では、文章の構造、文法などをきちんと理解し、それに基づいて中間表現へと翻訳を行い、また他の言語に戻すというようなことをやっていました。それでは岡本先生がおっしゃるように、あまり実用的ではなったと言わざるを得ません。

岡本:そうですよね。

児玉:それが最近では、言語についても、単語、文法、構造など、いわゆるシンボルとして捉えるのではなく、統計的なパターンを捉えていった方が圧倒的に人間の翻訳に近いということがわかってきました。子どもの言語学習を例に挙げるとわかりやすいのですが、子どもって文法とか、文章の構造をシンボルとして学んでいるわけではありませんよね。やはり、ある単語や表現について「誰が、どういうタイミングで、どういう文脈で使ったのか」というパターンを集積して、習得していきます。岡本先生が例に出された翻訳というのは「シンボルではなくパターン方法として捉える」という部分をうまく説明できているのかもしれません。

岡本:「パターン情報として捉えて処理をする」という考え方自体が新しいということですか?

児玉:必ずしもそうなくて、その考え方自体は80年代からあったのですが、当時のデータベースの情報量や計算量では、意味のある情報処理ができませんでした。その後、インターネット産業が興り、GoogleやFacebookなどもそうですが、大きなデータと計算能力を持った環境が整ってきて、初めて意味のあるプロセッシングができるようになった。その延長にディープラーニングがあるということでしょうね。

岡本:なるほど。それはわかりやすいですね。

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