幼い頃はやりたい放題だったというハムザ容疑者(出典:http://nypost.com)

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米国務省は今月5日、国際テロ組織「アルカイダ」の指導者であった故ウサマ・ビンラディンの息子、ハムザ・ビンラディン容疑者を国際テロリストに指定した。2015年8月にはアルカイダ最高指導者のアイマン・アル・ザワヒリ容疑者がハムザ容疑者を正式な組織の一員と認める声明を出しており、ハムザ容疑者もワシントンやパリ、イスラエル・テルアビブでのテロ攻撃を呼び掛けていた。昨年7月には聖戦(ジハード)の継続とアメリカへの復讐を誓う音声メッセージを公表したハムザ容疑者だが、その彼と幼少期を一緒に過ごしたという男性が『nypost.com』で興味深い話を明かしている。

カナダ・トロント郊外で育ち、1990年代にアフガニスタンに移り住んだアブドラマン・カダーさん(34)は、1996年の14歳の時にアルカイダ幹部だった父と一緒にウサマ・ビンラディンの邸宅に住むようになった。2001年9月の米同時多発テロ事件後に邸宅を抜け出し、2002年1月にカブールで捕らえたアブドラマンさんは、アメリカ側から情報提供を求められグアンタナモ収容所に送られた。そこでアメリカの工作員として働いた後、2003年にカナダに帰国。父親は同年、戦闘で死亡している。

アブドラマンさんはアフガニスタン東部のジャラーラーバードで過ごした当時を振り返り、以下のように語った。

「ジャラーラーバードではビンラディンの子供たちと一緒に3年間を過ごしたんだ。ハムザとは馬に乗ったりバレーボールをして遊んだよ。テロリストのプリンスだったハムザはやりたい放題で、禁じられているアメリカ製品にも手を出した。邸宅を出てはコカ・コーラ、時にはたばこを手に入れて持ち帰ってきたよ。」

「ビンラディンの息子の行動をとやかく言う者は誰もいなかった。だからハムザはどんなものでも手に入れることができたんだ。タバスコソースも好きだったよ。そして特に彼が喜んでいたのは氷だね。贅沢は敵と言われていたからね。ハムザはそのころ9歳くらいだったと思うよ。」

「ジャラーラーバードには60人くらいが住んでいた。生活に困ることはなかった。ビンラディンは出身地がどこであろうとタリバンの厳粛なルールに従うよう厳しく指導していたよ。彼には妻も子供もたくさんいたけれど、一番のお気に入りは殺害された時にも傍にいたハムザの母親だったと思う。だからハムザは特に可愛がっていたんだ。」

「アフガニスタンで行われたテロリストになるための訓練は私の性に合わなかった。私の父は敬虔なイスラム教徒でビンラディンに気に入られ、私に3度も自爆テロを進めたけれど罪のない人を殺すことなんて考えられなかった。でもジャラーラーバードでは誰もが必死で銃の扱い方や爆弾の作り方を覚えていたんだ。」

幹部の高齢化が進むアルカイダにとって、カリスマ性があるウサマ・ビンラディン容疑者の血を引くハムザ容疑者は、組織維持や若手のリクルートのために重要な存在であるのは間違いない。最強のテロリストのもとで甘やかされて育ち、父の死後はアメリカへの復讐を誓い、ついには国際テロリストに指定されたハムザ容疑者は、推定27〜28歳だ。負の連鎖ともいうべき殺し合いによって生まれるものは憎しみしかない。

出典:http://nypost.com
(TechinsightJapan編集部 A.C.)