アメリカのトランプ次期大統領の当選後初めての記者会見が行なわれたが、口汚いだけで中身はほとんどなかった。経済については、生産拠点の海外移転に「重い国境税」をかけると主張し、「中国や日本やメキシコに対する貿易赤字で多額の損失が出ている」と日本を名指しした。

 よくも悪くも、彼は平均的なアメリカ人だ。日本人の知っている知的なアメリカ人は東海岸の一部にいるだけで、中西部の白人はトランプのように太った田舎者である。普通のアメリカ人が普通の大統領を選ぶのは民主制として当然だが、世界経済への影響は大きい。

分断されたアメリカがトランプ大統領を生んだ

 これまでトランプは一貫してメキシコ人を敵視し、「国境に壁を築く」という計画を今回も表明した。これは突飛な笑い話と思われがちだが、アメリカ社会の最大の問題をシンボリックに表現している。

 アメリカの最大の問題は、国内が分断されていることだ。白人はキリスト教と英米文化を中心とするアメリカの伝統になじんでいるが、非白人は世界中から異質の文化を持ち込んでくる。かつてはその最大の要因は黒人で、1960年代の公民権運動以来、彼らを同化させてきた理念がポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)だった。

 公民権運動は黒人差別をなくして「機会均等」を実現する運動だったが、黒人の置かれている劣悪な条件を是正するには、彼らを逆に優遇することが必要だという「結果の平等」の考え方が出てきた。それが大学の定員を人種ごとに割り当てるなどのアファーマティブ・アクション(積極的是正措置)だ。

 日本語に訳せないことで明らかなように、これらはアメリカの特殊な問題だが、90年代から流れが変わってきた。どこの国でもエリートは「多文化の共生」などのきれいごとを言うが、大衆は反対する。それが冷戦期の資本主義と社会主義の対立が終わったあと、エリートと大衆の対立を招いてポピュリズムを生んだのだ。

 特に重要なのは黒人ではなく、メキシコ人などのヒスパニック(スペイン語系)が増えてきたことだ。黒人はアメリカに同化しており、英語を話してキリスト教を信じているので、アメリカ的な価値を共有しているが、メキシコ人にはスペイン語しか話さない移民が多い。彼らは人口の15%を占め、そのうち不法移民が1000万人以上いる。

 これは他国にはどうでもいい問題だが、アメリカ人にとっては身近で深刻な問題であり、特に白人には不満が強い。そのタブーに挑戦したのがトランプだった。

ポピュリズムで世界は「オレサマ化」する

 国民がその代表を選ぶのが民主制だから、アメリカ人の低い知的水準を代表する大統領が選ばれるのは当然だが、今まではそれを官僚やメディアなどワシントンのエリートが阻止してきた。ところがインターネットでエリートが「中抜き」された結果、一種の「直接民主制」としてトランプが出てきた。

 しかしトランプ大統領が暴言を実行するのは、容易ではない。合衆国憲法では大統領には予算編成権も法案提出権もなく、宣戦布告もできない。それは憲法が、民主制によってトランプのようなポピュリストが出てくることを想定してつくられたからだ。建国の父の先見の明は、200年以上たって効果を発揮したのだ。

「三権分立」というのも神話で、実際には連邦議会が強い権限をもち、与党の決定を大統領が執行するので、彼が与党を代表しているときは強いが、与野党がねじれると何も決まらない。オバマ大統領のようにずっと少数与党だと何もできないが、それは彼が無能だったからではなく、制度的な欠陥なのだ。

 この点でトランプは、与党の共和党が上下両院で多数派になったので、オバマより「強いリーダー」になる可能性がある。しかし彼の立場は、共和党内では非主流の右派なので、彼が選挙で打ち出したような民族差別を共和党が法案化することは考えられない。

 アメリカ人のパスポート保有率は30%で、7割は世界を知らない田舎者だ。他国といえばよその州のことだから、アメリカ合衆国全体の利益は考えるが、その外の世界情勢には関心がない。

 このような孤立主義はアメリカの伝統で、第1次大戦後にアメリカが世界のリーダーになったとき、ウィルソン大統領は国際連盟を創設したが、議会は承認しなかった。アメリカのエリートの「リベラルな国際主義」と議会に代表を送る大衆の対立は、100年前から始まっていたのだ。

 エリートは「世界全体の公益」を考えるというが、そんな抽象的な理念があるのは彼らの脳内だけだ。大衆は具体的な国益だけを考えるので、彼らが合理的に行動したら、世界が分断されるのは当然だ。世界が分断されて「オレサマ化」する傾向は、今後も続くだろう。

トランプを「外圧」として利用しよう

「日本との貿易で損失が出ている」と言うトランプは、いまだに1980年代の貿易摩擦のようなイメージをもっているようだ。トヨタのメキシコ工場にも介入し、ツイッターで「トヨタに35%の関税をかける」と公言したが、そんな権限は大統領にはない。

 そもそもトヨタのメキシコ工場はカナダから移転するので、アメリカの雇用とは無関係だ。個別の介入で「雇用創出」はできない。雇用はGDPの従属変数だから、雇用を増やすには成長するしかないのだ。

 トランプは、大統領就任の初日にTPP(環太平洋経済連携協定)から脱退すると表明したが、これは大統領には拒否権があるから可能だ。しかし「国境税」をかけるのは議会であり、大統領にはできない。NAFTA(北米自由貿易協定)から脱退することは不可能だ。

 根本的な間違いは、貿易赤字は損失ではないということだ。経常収支の赤字は資本収支の黒字(海外に対する借金)と同じだが、世の中に借金をしていない企業はない。民間企業は借金が多すぎると破産するが、基軸通貨国のアメリカは破産しない。むしろ世界の投資がアメリカに集まっていることが、その活力を維持しているのだ。

 トランプの政策は、1980年代のレーガン政権をまねている形跡がある。レーガン大統領も経済は何も知らなかった。「日本叩き」でアメリカの製造業を保護しようとして、日米構造協議などで圧力をかけたが、ほとんど成果がなかった。貿易摩擦で得をしたのは日本だった。

 構造協議で大店法は廃止され、金融自由化が進み、非関税障壁が見直された。アメリカの日本叩きは見当違いだったが、日本人は外圧がないと動かないので、刺激があった方がいい。日本を変える外圧として、トランプ大統領を利用してはどうだろうか。

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筆者:池田 信夫