■極私的! 月報・青学陸上部 第27回

 箱根駅伝3連覇、そして大学駅伝3冠を達成した青山学院大学陸上部。

 その快挙に大きく貢献したのが、2014年3月から陸上部のサポートをしている、スポーツモチベーション最高技術責任者、中野ジェームズ修一氏である。「青トレ」と称したトレーニングメソッドを考案。本2冊を上梓し、累計11万部のベストセラーとなり、そのメソッドは一般ランナーにも浸透した。今日の青学躍進の礎となっていることは周知の事実だ。

 3年にわたって、フィジカル強化とケアでチームを支えてきた中野だが、ここまでの手ごたえ、そして青学の今後については、どう考えているのだろうか―――。

――箱根3連覇達成に向けて、1、2年目とは違う、新たに取り組んだトレーニングはあったのでしょうか。

「1年目はまったく基盤がない中、体幹トレーニング、補強トレーニングについて理論から説明し、やり方を教え、さらにストレッチの方法、アイシングなどのケアを指導しました。2年目はそれをしっかり定着させ、3年目の今回はそれをさらに徹底させてきました。慣れてくると"なぁなぁ"になってしまいますし、原(晋)監督からも『繰り返してほしい』という要望がありました。

 あと、今回はバランスボールなどを使って、疲労を抜くことやリカバリーをかなりやってきました。長距離は100m走のようにぐっと力を入れて走るわけではなく、力を抜いてエネルギーを無駄に使わないように走るランニングエコノミーが必要なんです。バランスボールを使うと、体の力の抜き方がうまくなるんですよ。みんながそれをだいぶできるようになってきたのが、結果にも表れたと思います」

 中野の取り組みは2016年、出雲駅伝と全日本大学駅伝を続けて制したことで報われた。一昨年は出雲を獲ったが全日本までに疲労が抜け切らず、東洋大に敗れた。その反省を生かして、出雲から全日本までは集中してケアに取り組み、全日本初制覇に結びついた。しかし、残念なことに全日本以降、箱根本番までに主力に故障者が出た。

――「故障者ゼロが目標」を掲げていた中野さんにとって、箱根直前に故障者が出たことは、どう捉えていますか。

「ショックでしたね。私は選手にセルフコンディショニングの意識を高く持つように言い続けてきました。トレーナー業界では今、セルフコンディショニングができている人にプロのトレーナーが携わることで一層パフォーマンスは上がりますが、それができていない人は逆にパフォーマンスを下げてしまうと言われています。

 また、疲労の感覚やケアに必要な時間は、個々で差があります。だからこそ、セルフコンディショニングが大切なのですが、1、2年生をはじめ、意識がそこまで高くなく徹底できなかった。その結果、無理をした選手に故障が出てしまった。これは私たちの責任です。これからは1年生の最初の合宿から、その意識を徹底していこうと思っています」

――箱根の登録メンバー16名の中では、吉永竜聖と鈴木塁人が直前に故障してしまい、出走が叶いませんでした。彼ら2人のケガの状況は深刻だったのでしょうか。

「吉永と塁人は疲労骨折ではありません。でも、違和感や張り、痛みを感じて走れなくなった。それはストレスがひとつの要因になっていると思います。彼らは(箱根のメンバーに)選ばれるかどうかの微妙な立場にいて、すごくナーバスになっていた。するとストレスを感じ、痛みにより敏感になってしまうんです。

 これはプロのアスリートでもありますし、1年目の神野大地(青学大OB、コニカミノルタ)にもありました。『膝が痛い』と言い出したので、マッサージの先生に触れてもらうのですが、痛みの原因がわからない。そして『痛い』と言いながら、走り終わると痛みは消えている。つまり、メンタルの問題なんです。ただ、今回、吉永と塁人は痛みを素直に伝えてくれた。一番恐かったのは痛いはずがないと勝手に思い込んだ状態で走って、試合中に痛みが出て棄権してしまうこと。そういう意味では彼らが勇気を持ってチームのために症状を伝えてくれたことはよかったと思います」

 吉永と鈴木の治療は本番2日前まで続けられたという。だが、最終的に鈴木が出走予定だった1区は梶谷瑠哉が走り、吉永の入っていた8区は下田裕太が入り、勝負を決める快走を見せた。2人の代わりに出た選手が活躍し、青学は3連覇を達成できた。

――安藤悠哉選手がゴールした瞬間は、どういう思いでしたか。

「一番はホッとしましたが、すぐに寂しい気持ちになりましたね。今回の4年生とは1年生の終わりの時に会って3年間、一緒にやってきた。卒業して、もうこの子たちと会えないのかと思うと寂しかったですね。

 もうひとつ寂しかったのは、"このチームには私の存在はもう必要ないのかな"って思ったことです。1、2年目は中野頼りでやっていたんですが、昨年はリオ五輪があったので、夏前から夏合宿にかけて、ほとんど青学に関わることができなかったんです。私がいないので佐藤(基之)フィジカルトレーナーをはじめ、選手たちで考えて行動しないといけなかったので結構、頭を悩ませていたんですよ。

 でも、リオ五輪から帰ってきたら、みんなすごく成長していた。箱根前は町田寮に行ってケアするんですが、トレーナーと選手がすごくコミュニケーションが取れていて、『自分がいない方がいいじゃん』と思って、廊下に出て待っていたりしました(笑)。それがうれしかったんですが、同時にちょっと寂しさを感じてしまいましたね」

――この3年間で印象残る選手はいましたか。

「みんな、それぞれ印象深いですよ。でも、あえて言えば下田と(池田)生成ですかね。下田は出雲、全日本と結果が出ない中でも、私たちを信じてトレーニングを続けてくれた。それが箱根につながりました。

 生成はストイックで意識が高かった。夏合宿の時、数名の選手のレベルが高くなっていたので、補強トレーニングのレベルを上げないといけなくなったんです。最後のミーティングの時に『トレーニングメニューをプラスするので、名前を呼んだ選手は私の部屋に来てください』って伝えたんです。すると、名前を挙げなかった生成が『なんで、僕は呼ばれなかったんですか。僕はダメなんですか』と来たんです。他にも名前を呼んでいない選手がいたのに生成だけが来た。なんで他の選手は言ってこないんだって思いましたけど、生成のそういう姿勢がすごくうれしかったです」

――ひと言でいうと、青学の強さとは何でしょうか。

「いろいろありますが、東洋大の酒井(俊幸)監督が『青学の強さはフィジカルのつくり方を個々に合わせてやっているからだ』と言っていました。よくわかってくださっているなぁと思いましたね。青学はそれぞれの分野を専門家に任せてくれています。一般社会で当たり前のことを普通にやっているだけなんですが、それが強さのひとつだと思います」

 原監督は貪欲だ。現状に満足する様子はなく、「五輪を戦えるマラソンランナーを輩出する」と宣言し、陸上界をさらに引っ張っていく姿勢を見せている。

――大きな目標を達成した今、中野さんが次に青学大で目指すものとは?

「私は、フェーズ1・2・3・4と4段階のプログラムを考えています。今は、まだフェーズ3の途中段階ですが、これは別に箱根駅伝での優勝を目標に考えているわけではありません。箱根の金メダルだけを考えれば、20kmちょっと走れるような体にすればいいのですが、私と原監督はあくまで42.195kmを走るということをトレーニングプランの軸にしています。フェーズ4までやり遂げることで、卒業した後にフルマラソンを走れるような基盤を作っているのです。実際、神野は社会人になっても頑張っているし、橋本(崚・GMOアスリーツ)は防府マラソンで優勝したように結果が出てきています。駅伝を走りつつ、世界のマラソンの舞台に立てる選手を作っていく。それが私と原監督の目標です」


 駅伝とマラソンのどちらかではなく、二兎を追う。それは、もはや無謀な目標ではなくなっている。一色恭志と下田は昨年、東京マラソンを走り、下田は日本人2位、一色は3位の結果を出した。下田はその後フォームを変えるなど、マラソンに対応できるような体づくりをしており、この2月には東京マラソンに再度挑戦予定である。一色も3月の琵琶湖マラソンに出場を予定している。

 五輪でメダルを獲るという壮大な目標を掲げるのであれば、大学の4年間はモラトリアムであってはならない。それは大学で駅伝を走るという目標の選手にとっても同じだ。だから、中野はこれからも基本の徹底と高い意識を求めていく。

佐藤 俊●文 text by Sato Shun