人生で起こること、すべて良きこと[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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ある男性が、海外出張のとき、自動車を運転していて、一瞬の不注意から、瀕死の重傷を負う事故に遭った。

そして、運び込まれた現地の病院での大手術によって、その男性は、九死に一生を得たが、残念ながら、左足を切断する結果になってしまった。

意識が回復し、左足を失ったことを知ったその男性は、一瞬のミスによって迎えた人生の明暗に、ひとり、病院のベッドの上で嘆き悲しんでいた。

しかし、そこに日本から駆けつけてきた、その男性の妻は、病室に入るなり、夫を抱きしめ、何と言ったか。
 
あなた、良かったわね!
命は助かった! 右足は残ったじゃない!

この実話は、我々に、大切なことを教えてくれる。

我々の人生の、本当の「分かれ道」は、どこにあるか。

それは、どのような出来事が起こったかに、あるのではない。

起こってしまった出来事を、どう解釈するか。

その解釈にこそ、ある。

いま、書店に並ぶ本や雑誌を見れば、「成功」という文字や、「勝利」という文字が躍っている。「いかにして成功者になるか」や「いかにして勝利者になるか」というメッセージが溢れている。

しかし、人生の真実を、ありのままに見つめるならば、「成功」の陰には、必ず「失敗」があり、「勝利」の陰には、必ず「敗北」がある。

されば、我々の人生において、失敗や敗北、挫折や喪失、そして、事故や病気は、決して避けることはできない。

では、人間の「真の強さ」とは何か。

それは、決して「必ず成功する力」や「必ず勝利する力」のことではない。

人間の真の強さとは、冒頭の話の妻の姿にある。

すなわち、人生において、いかなる出来事があろうとも、その「解釈」を過たない力。否定的な出来事が起ころうとも、それを肯定的に解釈する「魂の力」。その「解釈力」と呼ぶべき力であろう。

では、いかにすれば、我々は、その「解釈力」を身につけることができるのか。

一つの覚悟を定めることである。

「人生で起こること、すべて深い意味がある」

その覚悟を定め、その意味を考えるという営みを続けるとき、我々は、自然に、人生で与えられた否定的な出来事の中にも、肯定的な意味を見出す力を身につけていく。「解釈力」と呼ぶべき真の強さを身につけていく。

では、どうすれば、その「解釈力」を、ゆるぎなきものにできるのか。

そのためには、一つの信を定めることである。

「自分の人生は、大いなる何かに、導かれている。この否定的に見える出来事も、大いなる何かが、自分を育てようとして与えたものに他ならない」

その信を定め、「この出来事は、自分に、何を学べと教えているのか」「この出来事は、自分に、いかなる成長を求めているのか」を考えることである。

もとより、そうした「大いなる何か」が存在するか否かは、科学では証明できない、永遠の問い。

しかし、過去を振り返るならば、優れた仕事を成し遂げてきた経営者やリーダーは、たとえ言葉にせずとも、心中深く、そのことを信じていた。

されば、その信を定めて歩み、人生における苦労や困難が、大いなる何かが自分を成長させるために与えたものと感じられるようになったとき、我々の心には、いつか、次の思いが浮かんでくる。

「人生で起こること、すべて良きこと」