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(文:内藤 順)

人質の経済学
作者:ロレッタ ナポリオーニ 翻訳:村井 章子
出版社:文藝春秋
発売日:2016-12-28


 テクノロジーが進化し、世界中の人たちは密接につながりだした。人類には、太古からのナレッジだって十分に溜まっている。それでも世界情勢は安定せず、中東をめぐる問題は予断を許さない状況が続いている。

 とりわけ深刻なのが、大量の難民が雪崩をうったようにヨーロッパへ流入し、深刻な社会問題を引き起こす可能性が高いということだ。

 驚くべきことに、このヨーロッパへ流入した難民の90%が犯罪組織に頼ってやってくるという。そして密入国を斡旋する業者たちの原資が、外国人の誘拐ビジネスで稼いた身代金であったというから話は穏やかではない。

 本書『人質の経済学』は、そのデリケートさゆえにあまり報じられることのない誘拐ビジネスや人質交渉の舞台裏を起点に、グローバル化した世界経済の闇の部分を描き出した一冊だ。著者はテロ・ファイナンスを専門とする女性エコノミスト。犯罪ネットワークの全貌や歴史的な背景を知ることで、センセーショナルさだけに目を奪われていては決して見えてこない問題の本質が見えてくる。

「悪のドミノ倒し」が起きている

 それが善であれ悪であれ、世界を股にかけて大きな事を成そうと思ったら、インフラを最大限に活用することが必須となる。誘拐ビジネスのときにも、そして密入国斡旋のときにも、重要なインフラとなったのが、アフリカのギニアビサウからサハラ砂漠を縦断してヨーロッパへ流れる道であった。ここは古くからタバコ、大麻など、ありとあらゆるものを密輸するうえで成功率の高いルートとして知られていた地域でもある。

 この地域にダークサイドのイノベーションが起こったのは2003年のこと。サハラ周辺で密輸していた武装グループが、ヨーロッパ人32名を誘拐した。この時ヨーロッパ各国の政府が支払った莫大な身代金の一部を元手に「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」が設立されてしまう。

 この出来事をきっかけに、多くの犯罪組織や武装集団が競うように誘拐ビジネスへ手を出していくことになる。

 さらにこれを助長したのが、主要国政府の秘密主義であった。身代金を払ったことを認めず、適切な介入も行わなかったことによって、多くの誘拐組織が事業を拡大していく。

 特筆すべきは、10年前に200万ドル程度であった人質解放の取引相場が、今では1000万ドル以上にも跳ね上がっていることだ。様々なプレーヤーが増えていることを考えれば、相場が下がっても不思議ではない。なのに上がる一方となっているのは、何が原因なのか? その背景には欧米人の人質予備軍が無限に存在すると考えられていたことがあり、さらにメディアがセンセーショナルに報道したことがより一層のインフレを加速させた。

 だが誘拐による資金調達にも、限界はあった。誘拐ビジネスが盛んになればなるほど人が寄り付かなくなってしまい、人質の供給も止まってしまったのである。そこで犯罪組織が新たに狙いを定めたのが、密入国斡旋ビジネスであった。

 生身の人間を扱う商人たちにとって、人質から破綻国家から逃げようとする難民へとターゲットを変えることは容易いことであっただろう。そして密入国斡旋ビジネスは、シリア内戦をきっかけとして、中東へも飛び火していくことになる。

 この一連の流れは、まさに「悪のドミノ倒し」のようなものである。麻薬ビジネスの横行で治安が悪化する→国家が破綻状態になる→誘拐事件が起きやすくなり、犯罪組織が肥大化する→経済難民がヨーロッパに押し寄せようとする→移民や難民の密入国斡旋が跋扈する。予想を大きく上回るレベルで、犯罪同士が様々なシナジーを引き起こしている様子が伺えるのだ。

 さらにこの問題のルーツを辿っていくと、9.11を契機にアメリカが2001年に制定した愛国者法に到達すると著者は言う。ドル取引の全てを米国政府へ届け出ることが義務付けられた結果として、コロンビアの麻薬カルテルとイタリアの犯罪組織が接近し、アフリカのサヘル地域にユーロ決済ルートが開拓されたことから全ては始まった。要はテロリスト対策として始めたことが、結果的にテロリストへ資金を提供するというパラドックスを生み出してしまっているのだ。

地球を駆け巡る、壮大なるブーメラン

 この動きが永遠に止まる気配を見せないのは、拍車をかける要素が多岐にわたって存在するためだ。先進国の無邪気な若者の誤った安心感、世界を救いたいという「崇高」な思い、反政府組織という幻想、支持率をあげるための人質交渉・・・。あげればキリがないほどではあるが、個々の要素だけを見ると必ずしも誤りとは言い切れないところが悩ましい。そして、被害者も加害者も失敗国家の犠牲者である点に変わりはないということ、これが無秩序の一番の恐ろしさである。

 誰もが自分のことしか考えられない時、大切なものが失われる。その影響は、世界が急速につながりだした今、自分自身にも及んでしまう可能性が高い。だから行き過ぎた愛国の災禍は、必ずやブーメランとなって返ってくることだろう。2017年の世界へ警鐘を鳴らす一冊として、強くおすすめしたい。

シリア難民 人類に突きつけられた21世紀最悪の難問
作者:パトリック・キングズレー 翻訳:藤原 朝子
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2016-11-26

人質460日――なぜ生きることを諦めなかったのか
(亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-4)
作者:アマンダ・リンドハウト 翻訳:鈴木 彩織
出版社:亜紀書房
発売日:2015-09-26

内藤 順
HONZ編集長。1975年2月4日生まれ、茨城県水戸市出身。早稲田大学理工学部数理科学科卒業。広告会社・営業職勤務。好きなジャンルは、サイエンスもの、歴史もの、変なもの。好きな本屋は、丸善(丸の内)、東京堂書店(神田)。はまるツボは対立する2つの概念のせめぎ合い、常識の問い直し、描かれる対象と視点に掛け算のあるもの。
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筆者:HONZ