映画『君の名は。』公式サイトより

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 近年稀に見る邦画の当たり年といわれた2016年。そのなかでも突出した話題作が『君の名は。』であることに異論を挟む余地はないだろう。現在では海外での公開も進み、今月4日から封切られた韓国では公開初日の興行収入と動員数で1位を獲得したとも報じられている。

 日本国内では、公開から4カ月以上経過しているのにも関わらず依然300館規模の上映が続いており、興行通信社調べによる16年12月31日から17年1月1日の2日間の全国映画動員ランキングでは、いまだ3位にランクインしているという驚くべき成績を叩き出している。

 細田守氏、庵野秀明氏と並んで「ポスト宮崎駿」などと呼ばれつつも、そのなかではオタク好み・玄人好みな作家という印象の新海誠監督だったが、『君の名は。』で一気にファン層を拡げることに成功した。

 そんな新海監督だが、新年早々、彼を激怒させる事件が発生した。怒らせたその相手は、『池袋ウエストゲートパーク』でおなじみの直木賞作家・石田衣良氏。

 その発端は、ウェブサイト「NEWSポストセブン」で公開された石田氏のインタビューだった。そのなかで彼は『君の名は。』が大ヒットした理由をこのように分析している。

「「君の名は。」の監督の新海誠さんも若い子の気持ちを掴むのが上手いと思いました。たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。
 付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。実体験がないからこそ作れる理想郷です。だからこそ今の若者の憧れの心を掴んだのかも知れません。」

 これを受けてなのだろう、1月5日、新海監督は石田氏の名前を明言することは避けつつも、ツイッターにこんな文章を投稿。行間から怒りを滲ませていた。

〈最近は実に様々なお言葉いただきますが、なぜ面識もない方に僕の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされなければならないのか...笑。いやもう口の端にのせていただくだけでもありがたいのですけれど!〉

 いかにもリア充作家(最近ではハロプロのアイドルにハマったりと新海監督とは違った意味でオタク化しているが)らしい石田氏のステレオタイプな批評が、本人からも、また、監督のファンからも不評を買い炎上してしまったわけだ。しかし、実は、こういった批評があることを新海監督自身も前々から認識していた。

 たとえば、「週刊プレイボーイ」(集英社)13年5月27日号ではこのように語っていた。

「風景がきれいなアニメを「新海作品みたいだ」と言ってくれる方もいれば、童貞臭がする物語とかハッピーエンドじゃない物語も「新海っぽい」と言っていただけることもありまして(笑)。そういう童貞くささとか悲劇性を求めている人からすると、昔からリア充の人には僕の作品が伝わらないだろうと思われるのかもしれませんね」

『君の名は。』以前に彼の代表作として挙げられることの多かった『秒速5センチメートル』が特に顕著だが、『ほしのこえ』でも『雲のむこう、約束の場所』でも『言の葉の庭』でも、一貫して彼のつくる物語の主軸になっていたのは、「運命の相手だと信じた恋人と引き裂かれていく過程を、(男性側のナルシシズムを多分に含んだ視点で)感傷的に描いていく」といったものだった。

 それを世間は一言で「童貞臭」とまとめたわけだが、その作家性こそが新海監督をカルト的な人気を誇るアニメ監督に育てた大きな要素の一つであることは間違いない。

 しかし、『君の名は。』という作品は、そういった従来の作家性の殻を破ろうと苦心した末に生まれた映画だった。『君の名は。』の脚本を執筆するにあたり、新海監督は川村元気プロデューサーを筆頭とした東宝のスタッフと徹底した脚本会議を行う。その際には、「これは無神経ですよ」、「気持ち悪いです」といった遠慮ない指摘を受けたとの証言も監督はインタビューで語っている。

「下手をすると無神経な展開になりかねませんので、そう思わせないための「回路」をきちんと作る。その点、脚本会議で「これは無神経ですよ」とか「気持ち悪いです」とかダイレクトに伝えてもらったことで、だいぶ助かりましたね」(ウェブサイト「ダイヤモンド・オンライン」16年9月22日付)

 そのなかでも特に、『何者』、『怒り』、『バクマン。』、『モテキ』、『悪人』、『告白』など数々のヒット作を生み出してきた川村元気氏とのやり取りは壮絶だった。大根仁監督が「悪魔」とまで呼んだプロデューサーと仕事をした苦労を監督はこのように語っている。

「会議には、たとえば川村元気という東宝のプロデューサーに入ってもらいましたが、彼は別に一行も書いてくれるわけじゃない。けど、たとえば「瀧が三葉になって目覚めるまでに20分もかかったら、ちょっと退屈しちゃうかもしれません」とか言うんです。あるいは、何カ所か設定したクライマックスのうち、「こことここの2カ所の間がちょっと離れすぎているから、ひとつにまとめたほうが泣けるんじゃないですか」みたいなことを言うわけですよ。(中略)「いや、ここに来るまでに相当、構成を考えたんだけど」みたいな(笑)。しかも、照れもあるのでしょうが、「ここで泣かせれば興収プラス5000万ですよ!」とか、冗談めかして言うわけです。それもカチンとくるんですけど(笑)」(「アニメージュ」16年10月号/徳間書店)

 この試みが実を結んだのは、記録的な興行収入、そして、『君の名は。』がこれまで新海監督のメインの観客とは言い難かった若い女性からの支持を集めているというデータを見れば明らかだ。

『君の名は。』という作品は監督にとってそのような意味合いのある映画であったのにも関わらず、それを批評する言葉として石田氏から相変わらず「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」という発言が出た。自らの作家性を「童貞臭」と自認していた彼が敢えてここで怒ったのはそれが理由なのではないだろうか?

 とはいえ一方でゲスな見方をするならば、「やっぱり学生時代に恋愛できなかったのがコンプレックスだから怒ったんじゃないの?」という思いも拭えない。では、実際はどうなのか? 前掲「週刊プレイボーイ」ではこんなことも語っていた。

「コミュニカティブ(話し好き)で何人もの女のコと付き合っていたりなんてことはなかったですが、逆に女のコとの総会話時間が10分で、その鬱積を創作活動にぶつけていたとか、そういったこともなかったんですよ。残念ながら中途半端な学生生活でした(笑)。両極のいずれかに突き抜けていれば、ネタとして面白かったんでしょうけどね」

 新海監督が学生時代を童貞のまま過ごしたのかどうかは本人にしか分からない。彼の怒りの真相は藪の中であるわけだが、前掲誌で彼は自身の映画についてこう語っていた。

「常に健やかな精神状態のリア充の方は、アニメを観なくてもいいんじゃないですか(笑)。僕の作品は救いを必要としていない人には不要なものかもしれません」

 少なくとも、石田氏が新海監督的な「救い」を必要としていないということは明らかになった。そんな一件であった。
(新田 樹)