海外へ出る機会が多い。多忙なスケジュールの合間を縫ってその地の文化に触れることは、一服の清涼剤となって疲れを取ってくれる。感心することは、すべてが障害者に優しい施設になっていることである。

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経済団体が主催する調査団や国際会議で海外へ出る機会が多い。多忙なスケジュールの合間を縫ってその地の文化に触れることは、一服の清涼剤となって疲れを取ってくれる。

ニユーヨークではメトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、パリのルーブル美術館、オルセー美術館等々、何度行っても、いい場所である。

このような場所でいつも感心させられるのは先生に引率された小学生、中学生、高校生が、観光客に交じって実に多いことである。時として長蛇の列の時もある。外で待っている時には生徒たちはふざけたり大声で話をしたりとにぎやかなことこのうえないが、いったん入場すると別人のように私語もなく、静かに絵の前に集まって先生や説明員の説明を聴き、メモを取っている。名所、旧跡にもバスを連ねて来ている。

もう一つ感心することは、すべてが障害者に優しい施設になっていることである。車いすによる施設へのアクセスの容易さはもとより、施設自身に障害者用の特別の入り口や多くの座席が設けられており、一般の人たちより優先的に誘導し、専門の付添人がかいがいしく世話をしている。これが障害者に心の負担を感じさせないかのように、ごく自然に当たり前のことのように行われていることがすばらしい。

日本でも社会的弱者に対しての配慮が必要ということで都庁、県庁、市庁舎などでは、競い合うように障害者を配慮した立派な建物が造られているが、一歩外に出ると近隣のビル街、道路、交通機関等は残念ながら十分配慮されていない。すなわち障害者が動ける範囲が点だけで、線にも面にも広がっていないのである。

人はその行動範囲を広く持つことで心の豊かさを感ずるとすれば、障害者の行動範囲を面にまで広げる街づくりを早急に進めることが必要であろう。

■立石信雄(たていし・のぶお)
1936年大阪府生まれ。1959年同志社大学卒業後、立石電機販売に入社。1962年米国コロンビア大学大学院に留学。1965年立石電機(現オムロン)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。日本経団連・国際労働委員会委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)「The Taylor Key Award」受賞。同志社大学名誉文化博士。中国・南開大学、中山大学、復旦大学、上海交通大学各顧問教授、北京大学日本研究センター、華南大学日本研究所各顧問。中国の20以上の国家重点大学で講演している。