1867年、大久保利通による クーデター計画の正体

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江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「大久保利通による知られざるクーデター計画」について聞いた。

大久保利通のクーデター計画とは

 話を本筋に戻すと、このような史実としての背景があって、徳川慶喜が朝廷の統治能力の無さを見透かし、大政奉還という手を打ったのは決して的外れではなく、現実的な打ち手であったといえるだろう。

 朝廷が、外交のみは引き続き幕府が担当することを命じた直後、慶喜は征夷大将軍の辞職を朝廷に願い出た。

 平面的に捉えれば、大政奉還に伴う、大政奉還を確固としたかたちで仕上げる行動と受け取れるが、私には「あなた方には、やはりできないでしょ」という慶喜の朝廷に対する“ダメ押し”ではないかとも受け取れる。このまま終われば、所謂「公武合体」が成立しそうな情勢となったのである。

 情勢の不利なことを悟った討幕派の岩倉具視や薩摩の大久保利通は、新たな画策をする。
 それが、クーデター計画である。
 このクーデターは、まだ十五歳の明治天皇を手中に収めて、慶応三(1867)年暮れに決行された。幼い天皇を人質として決行されたのである。

 十二月八日夜、岩倉具視が自邸に薩摩・土佐・安芸(あき)・尾張・越前五藩の代表を集め、「王政復古」の断行を宣言し、五藩の協力を求めた。

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