バブル崩壊まで、日本は真の国際化が進まないままだった。経済力の大きさで国際社会での存在感を増してなお、日本でしか通用しないおバカなローカルルールで運営されていた。しかしバブル期を境に、こうした閉鎖性が崩壊せざるを得ないような出来事が次々と起きていく。(ノンフィクションライター 和泉虎太郎)

アメリカに目の敵にされた
大規模小売店舗法

 江戸時代の日本は、諸外国との交流を拒絶した「引きこもり国家」だった。他の国の文化や制度を知る機会がないなかで、独自の社会構造、精神性を育んでいき、それはいまに続く日本人らしさの一部となっている。

 しかし、開国と同時にグローバリゼーションの波にさらされたのではなく、バブル崩壊まで、日本は海外からの干渉を受けないままであった。

 敗戦国であるがゆえに、いわばハンデをもらって競争を勝ち抜き、高度成長を成し遂げたのだ。その過程では日本独特のルールができあがっていた。国際社会のリーダーには似つかわしくない平和ぼけ日本のおバカなローカルルールは崩壊の運命にはあったが、そのきっかけとなったのがバブルであった。

 1989年4月28日、アメリカ通商代表部(USTR、大統領直属の通商交渉機関)は、89年度の外国貿易障壁報告書(National Trade Estimate Report on Foreign Trade Barriers、NTEレポートと呼ばれる)を発表した。世界で一番偉いアメリカ様として、世界中の国の参入障壁にいちゃもんを付けるのであるが、なかでも思いっきり敵としてやり玉に上げられているのが日本である。

 背景には、アメリカの「双子の赤字」問題があった。80年代を通して、アメリカは財政赤字と経常収支赤字に直面し、その解決が国家的課題となっていた。要するに貿易でも儲けられない、国内経済は不況で税収は増えないというダブルパンチに苦しんでいた。「誰か悪者がいるんじゃないか――そうだ、赤字の原因を作っている日本がいけない!」という論理だ。

 それまでも鉄鋼、繊維、自動車など、個別に両国間で調整が図られてきたのだが、アメリカは「ひとつひとつ潰してもキリがない。どうやら国の仕組み自体が怪しい。目に見えないところでアメリカ製品を締め出しているんじゃないか」と考えた。

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