12月21日の夜、中森明菜(51)の7年ぶりディナーショーが開催された。会場のボルテージが上がってきたショーの佳境で明菜が歌い始めたのは、大ヒット曲『十戒』。イナバウアーばりにのけぞる振り付けも見事にこなしてみせた。この日はオリジナル曲だけでなく、アン・ルイス『ああ無情』や、山本リンダ『どうにも止まらない』などカバー曲も熱唱。その歌声に、ショー前半は心配していたアイドル評論家の中森明夫さん(57)も「声が出てきました。素晴らしいですね」と安堵の声をもらした。曲の合間には、こんなトークも。

「いま歌ったのは、『ひらり−SAKURA−』という今年の春先に出した曲でした。春先に桜なんて縁起よくって、ナイスタイミング。これを歌えば久々にヒットするかなって。そんな私の思い込み。なんでこんなに愚かなんだろう……(笑)。でも、心を込めて歌えばきっとみなさまの心に届くと信じて、これからも歌い続けていきます!」

明菜の茶目っ気たっぷりの表情に、同じテーブルの女性客2人が「やだ、かわいい(笑)」と思わず吹き出した。納得いく歌が披露できていたからだろう。この日、トークも“明菜ワールド”が止まらなかった。

「メークは最初から自分でやっているんです。でも、1公演終わるごとになぜかメイクがどんどん濃くなってきちゃって……。『あれ、私のメーク、こんなに厚かったかしら』って(苦笑)。だからホラ、そこで双眼鏡をのぞいている人。そんなにアップにしちゃダメだって。ダメよ、ダメダメ!」

会場は爆笑の渦だ。そして、ショーも大詰め。いったんステージを離れた明菜は、真っ赤なドレスに着替えて再登場した。『ミアモーレ』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE』など、全盛期のヒットメドレーを歌いまくる明菜。途中で赤いドレスを脱ぎ捨てると、“くびれ”を大胆に見せるセクシーな“ボディコン”衣装に変身。51歳とは思えない美ボディを披露し、ファンを魅了した。最後まで歌い切って約80分のディナーショーを完走したのだった。

「ファンの声援に励まされて、ショーが進むにつれ、どんどん声も出てきましたね」とショーの余韻も覚めやらぬなか、中森さんは興奮した面持ちで語り出した。

「亡くなる1年前に美空ひばりさんが開いた1回限りの東京ドーム公演、あれを見に行ってるんですが、今日の明菜のステージはそれ以来の感動でした。本当に素晴らしかった!」

復活に半信半疑だったという中森さんだが、自分で見て“完全復活”を確信したという。

「目の輝き、声のハリ。もう心配ないですね。コンサートに比べて曲数も少ないディナーショーで復帰したのは、すごくよかったと思います。というのも、大ホールじゃなく、明菜がお客さんひとりひとりと近い距離で時間を共有できた。お酒を飲みながら内輪で楽しめるという形がよかったですよ。本人の負担も少なかったでしょうしね」

中森さんは明菜を見て、「彼女こそ“昭和の最後の歌姫”」という思いを強くしたという。

「40代〜50代の大人たちが本気で声を張り上げ、涙を流す。アイドルのライブでこんな光景は、僕も初めての経験です。とくに後半のヒットメドレーでは、80年代に明菜の曲と共に青春を過ごしたファンが、走馬灯のように思い出が蘇ったのか、ありえない盛り上がりでした。振り返れば、流行歌という言葉がいちばん似合うのが、明菜のヒット曲でした。昭和から平成へ、まさにSMAPが結成されたころに輝いていた歌姫が明菜。いま天皇陛下が生前退位のご意向を示され、平成の時代も終わりかけているいま、あの昭和の終わりのころの熱気を懐かしく思い出している世代がいるんです。そうした“時代”を背負った“別格のアイドル”が、明菜だと思います」

そしてこの日の明菜に、あの“不世出の大歌手”の姿がかぶってしかたなかったそう。

「いま、明菜は51歳。ふと気づいたんですが、美空ひばりさんは最後の東京ドーム公演を50歳でやり遂げ、52歳で亡くなりました。そして明菜も今年、52歳になる。もう、あの日のひばりさんより昨夜の明菜のほうが年上なんですね。ドーム公演でのひばりさんは鬼気迫る姿でした。たぶん自分でももう“最後”だと思いながらステージに立っていたと思うんです。でも明菜に残された歌姫人生はまだまだ長い。ひばりさんがやりたくてもなしえなかった50代、60代の“歌姫伝説”を続けていける。彼女なら、絶対にやれるはずです」

不死鳥のように蘇った中森明菜。歌姫伝説“第二章”がいよいよ始まった――。