「今年も良い年になりますように」

 2017年の年が明け、初詣で今年1年の幸運を祈願された方もいらっしゃるだろう。御利益といった形で運に恵まれることは誰もが望むところである。

 ところが世の中には、運が良さそうな人もいれば、運が悪そうな人もいる。あなたの身の回りにも、運が良さそうな人、運が悪そうな人として思い浮かぶ人はいらっしゃるだろう。

 では、「運が良い人」と「運が悪い人」の差はどのようにして生まれるのだろうか。

人間万事塞翁が馬

 中国の書物「淮南子(えなんじ)」に「人間万事塞翁が馬」という話がある。

 中国の北の国境にある城塞の近くに占い上手な老人が住んでいた。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げて行った。近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめたが、老人は残念がる様子もなく言った。

 「このことが不幸であるとは限らない」

 しばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良馬をたくさん連れて帰ってきた。そこで近所の人たちがお祝いを言うと、老人は首を振って言った。

 「このことが災いにならないとも限らない」

 しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言った。

 「このことが不幸であるとは限らない」

 1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきた。城塞近くの若者は戦いに行き、胡人から城塞を守ることができたものの、多くの若者は戦いで命を落とした。しかし、老人の息子は足を負傷していたため、戦いに行かずに済み、無事だった。

 この故事からも分かるように、生じる出来事自体が「良いこと」「悪いこと」といった絶対的な意味を持っているわけではない。

 「良いこと」が起きた、「悪いこと」が起きたといった判断は、すべてその出来事を経験した人間の意味づけによって決まる。

 そのため、意味づけの傾向がポジティブな人は「良いこと」がたくさん起き、「運が良い」と感じる機会も多くなる。逆に、意味づけの傾向がネガティブな人は「悪いこと」がたくさん起き、「運が悪い」と感じる機会も多くなる。

宝くじで大金、その後は悲惨な人生も

 「運が良い」ということの定義を、「苦労せずに求めた結果を得られること」といった意味で捉えている方も少なくない。例えば、宝くじが当たった、苦労することなくトントン拍子に出世したといったことなど。

 しかし、宝くじの当選により大金を手にしたことがきっかけで悲惨な人生を送ったという話はよく聞く。また、苦労することなくトントン拍子に出世した結果、部下の苦労を理解できず、いつまで経っても人望が得られないということもある。

 そう考えると、宝くじが当たった、苦労することなくトントン拍子に出世したということ自体は良いことでも悪いことでもなく、その後の本人の生き方次第でその意味は変わり、それと共に、運が良かったのか、悪かったのかも変わる。

 そのため、「苦労せずに求めた結果を得られること」が必ずしも運が良いこととは限らない。

 心理学の言葉に「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)」という言葉がある。これは意識的あるいは無意識的に、自らの思い込みにあった結果を生じさせる行動をとり、実際に思い込み通りの結果が出てしまう現象を表す言葉である。

 例えば、何かをやる際に「きっと上手くいく!」と思い込んでいる場合は実際に上手くいく可能性が高くなり、「どうせ失敗する」と思い込んでいる場合は実際に失敗する可能性が高くなる。

 この自己成就的予言によって、「自分は運が良い」と思い込んでいる人は、「運が良い」と思えるような結果を生じさせる行動をとり、実際にそういった結果が生じる可能性が高くなる。

 また、人間の脳は脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)という部位で視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚からインプットされる五感情報の取捨選択を行っている。

 重要だと判断された情報は意識に残るが、重要ではないと判断された情報は五感で感じたとしてもスルーされ、意識に残ることはない。

 例えば、この記事を読みながら足が地面に触れている感覚を意識していたり、かすかに聞こえる空調の音を意識していたりすることはないだろう。この記事の画面に向けられた視覚情報は意識に上がり、それ以外の五感情報は意識に上がることなくスルーされているはずである。

関心の高い情報を優先する私たちの五感

 このように五感からのインプット情報は無意識のうちに取捨選択され、関心を持っている情報が優先的に意識に上がるようになっている。

 例えば、時計や車を買おうと考えている時は、周囲の人が身につけている時計や車の広告が自然と目につくようになる。同様に、「自分は運が良い」と思いこんでいる人は、「運が良い」と思えるような出来事が優先的に意識に上がる。

 そして、「ほら、やっぱり自分は運が良い」と、その思い込みの正しさを裏づけようとする。

 一方で、「自分は運が悪い」と思い込んでいる人は、「運が悪い」と思えるような出来事が優先的に意識に上がり、「ほら、やっぱり自分は運が悪い」と、その思い込みの正しさを裏づけようとする。

 そのため、同じ1日を過ごしたとしても、両者の意識に上がるものは大きく異なり、それぞれに思い込みの正しさを裏づけようとする。

 心理学者のリチャード・ワイズマン氏は10年にわたる運に関する研究の結果、自らを運が良いと思っている人の思考と振る舞いを明らかにし、その思考と振る舞いを真似る練習プログラムを作った。

 そして、任意の参加者に1か月間、その練習プログラムを実施してもらった。その結果、参加者の80%は「幸福感や満足感が増え、運が良くなったと感じるようになった」と回答した。

 こうしたことからも、「運が良い人」、「運が悪い人」の差が生じる原因の1つは、運に対するセルフイメージの違いにあると言える。

 そのため、運を良くするためには「自分は運が良い」というセルフイメージを持つことが効果的であると言える。とはいえ、セルフイメージを変えることは決して簡単なことではない。

 ただ、「運が悪い」と感じる出来事が起きた際に、「本当にそのことが運が悪いことだと言い切れるのか?」と自らに問い、長い人生で考えた時にこの出来事にはどんな意味があるのかを考える。

 起きる出来事のすべてには必ず意味がある。そういった考えを持つことで、運に対するセルフイメージに少なからず変化が生まれるのではないだろうか。

松下幸之助の採用基準

 私の周りにも「自分は運が良い」と言う人はいる。そういう人には共通した特徴がある。まず、明るく前向きな性格であること。そして、肩の力が入っておらず、自然体で、柔軟に物事を捉えられること。それから、人づき合いを大事にし、感謝の気持ちを持っていること。

 得てして、こういった人は人の縁に恵まれ、逆境にも強く、自らのやりたいことを着々と実現していっている。

 「あなたは運がいいですか?」

 経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏は採用面接の際にこの質問をしていた。そして、「自分は運が悪い」と答えた人はたとえ高学歴であっても、高いスキルがあっても不採用にした。

 つまり、自分のことを「運が良い」と思っている人を採用していた。その採用方針の背景には、「自分は運が良いと思える人格こそ、組織に成長をもたらす人材に求められる要素である」といった幸之助氏の考えがあったのかもしれない。

 運の良し悪しということは極めて抽象的な話であり、今回述べてきた解釈がすべてではない。もちろん神のみぞ知るところもあるだろう。

 とはいえ、100%神頼みという姿勢ではなく、「人事を尽して天命を待つ」姿勢で臨みたい。そして、人事を尽す際には、「自分は運が良い」というセルフイメージを持つことも忘れずに行っていただければ幸いである。

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筆者:藤田 耕司