■極私的! 月報・青学陸上部 第25回

青山学院大学陸上部が箱根駅伝3連覇、大学駅伝3冠を達成した。

 1区・梶谷瑠哉(2年)が流れを作り、3区"秋山隊長"(4年)が快走し、8区・下田裕太(3年)がタムカズ(田村和希)のブレーキをフォローする激走があり......と偉業達成にはいくつかのポイントがあった。その中で目立たずとも、しっかりとアンカーに首位で襷(たすき)を渡す役割を果たしたのが、9区の池田生成(4年)だった。

 163cmの小さな体を目いっぱい使って走り、追いすがる東洋大、早稲田大との差をさらに広げ、自分の役割を全うした。

「最初から突っ込んで走ってしまい、5km地点で結構へバってしまって......自分らしいと言えばそうなんですけど後悔しました(笑)。でも、結果的に区間2位(69分55秒)を取れましたし、首位で安藤(悠哉)に襷を渡せてよかったです。優勝するチームにいられて、本当にみんなに感謝しかないです」

 そういって満面の笑みを浮かべた池田は、これまで主要駅伝での出走経験がなかった。

 昨年までは神野大地、久保田和真ら強力な上級生に太刀打ちできなかった。同じ学年でもエースの一色恭志、2年時に10区を走った主将の安藤悠哉、2年連続区間賞と爆発的な走りを見せる秋山雄飛、スピードが持ち味の茂木亮太らと比較して、"これだ"という強みがなかった。実績では3年の時、関東インカレのハーフマラソンで優勝経験があるが、常に駅伝メンバー入りする存在ではなかったのだ。

 しかし、4年生になった今シーズンは"違い"を見せた。関東インカレでのハーフマラソンを連覇し、長い距離を走れる強さを改めて証明した。夏季合宿では選抜合宿に選ばれ、その中で主力中心のAグループを先頭で引っ張って走る役割を果たすなど、存在感を示していった。

「今シーズン前半は関東インカレをメインに夏季合宿でしっかり走り込むための練習ができていましたし、夏季合宿後は箱根を走るために逆算して、この月にこのくらいの距離を走るとか、ここにピークを持っていこうとか、目標を立てて、その流れをしっかりと作れていました」

 池田の狙い通り、出雲駅伝の登録メンバー入りを果たし、次の全日本大学駅伝、そして箱根駅伝とうまくつなげられる流れができていた。

 ところが10月1日、出雲駅伝前の世田谷記録会(5000m)は、15分08秒というタイムで39位に沈み、出雲を走れなかった。つづく10月末の日体大記録会(5000m)でも田村和希ら主力組が13分40秒台を出す中、池田は14分37秒とかなり遅れをとった。

 夏季合宿で集団をリードした積極的な走りが影をひそめ、明るい表情も消えた。原晋監督からも「生成がなぁ」と落胆の声が漏れた。

 ある日、4年生の学年ミーティングが寮で行なわれた。その時、キャプテンの安藤から池田に厳しい言葉が投げられた。

「今までのままだとチームに邪魔だよ。夏に話をしていた意気込みはどこにいった。このまま終わっていいのかよ」

 普段は温厚で、隠れ面白キャラの安藤が放った厳しい言葉に、その場の空気が緊張し、池田は押し黙ったまま何も言えずにいた。安藤には、池田は決して不調ではなく、調子が上がらない状況に甘えて、ふて腐れているように見えた。「チームの足を引っ張らないようにがんばります」と逃げているような姿勢も気に入らなかった。

「生成は関東インカレのハーフマラソンで優勝し、夏季合宿も自分はケガ明けで本調子でない分、先頭に立って引っ張ってくれた。今年は箱根を走るんだっていう強い気持ちが見えていたんです。でも、10月はまったく走れていなかった。自分は生成が走ってくれないと箱根は勝てないし、チームが盛り上がらないと思ったんです。それで、あえて厳しいことを言いました」

 しかし、その時の池田は安藤の言葉を素直に受け入れる余裕がなかった。むしろ、「別に腐ってないし」と、反発さえ覚えていた。

 池田の状態はなかなか好転しなかった。11月、世田谷ハーフマラソンを控えた週のポイント練習でもまったく調子が上がらなかった。箱根駅伝のメンバーを決める選考レースは、世田谷ハーフマラソンと10000mの学連記録会のふたつしかない。ここで結果を出さなければ箱根を走ることができず、池田の4年間の競技人生が終わることになる。

「選考のチャンスは少ない。やれることをしっかりやれ」

 原監督に檄を飛ばされた。その時、学年ミーティングで安藤に言われたことを思い出したという。故障もしていないし、箱根を目指してここまでやってきたのだ。

"ここで終わるわけにはいかない"

 その翌日から池田は、安藤曰く「スイッチが入ったように変わった」という。世田谷ハーフマラソン(11月13日)では、63分53秒で6位になった。学連記録会(11月23日)の10000mでは29分10秒でシーズンベストを出した。その結果、池田は箱根駅伝16名の登録メンバーに入った。

「10月と11月の前半はヒドかった。夏季合宿で走り過ぎて、調子が上がり切らなくて逆にどんどん落ちていったんです。CPK(クレアチンフォスフォキナーゼ、心臓ほか筋肉の中にある酵素)が高くなって、貧血にもなった。ホント、世田谷ハーフまではボロボロの状態でしたが、そこで結果が出てから変わりましたね。12月の富津合宿も昨年はここで調子を落としてしまったんですけど、今回は逆に調子を上げられた。監督に選ばれたら、『ある程度は走れるな』っていうのをアピールすることができたんです」

 池田は、数名の故障者が出る中、淡々と調子を整えていった。2区の一色、6区の小野田勇次は早くから決定していたが、9区の池田も12月半ばにはほぼ確定していたという。

 1月3日、9区、初の箱根駅伝を池田は走った。それは、4年間の集大成であり、競技人生最後の走りだった。

「ホント夏季合宿からこの箱根まで山あり谷ありでしたが、安藤には感謝しています。あの時、安藤が厳しい言葉を言ってくれたから僕はがんばれたし、今があると思うんです。何も言われていなかったら、きっと箱根のメンバー外になってかなりフテッていたかもしれないですね(笑)」

 安藤は、池田以外にも調子が上がらず、チームに暗い雰囲気を漂わせていた秋山雄飛に対しても「今のお前には誰もついてこないぞ」と厳しい言葉を投げ、奮い立たせた。チームを少しでもよくするためにキャプテンとしてチームメートにあえて厳しい言葉を投げる役割を自らに課し、実行したのだ。

 その姿を池田も見ていた。

「安藤は誰もやりたくないといったキャプテンを引き受けて、チームと4年生を引っ張って、男らしさを見せてくれました。その安藤を支える他の4年生もすごかった。

 一色、秋山、茂木はもちろん、箱根を走れなかった内田(翼)が1年間山登りを目指してがんばってきたり、小野塚(隆珠)が12月の学内TTを引っ張ってくれたり、4年生それぞれが持ち味を出してくれた。それが箱根3連覇に結びついたと思います。僕自身はそんなに強い選手じゃないし、高校時代は駅伝の優勝チームで走れるような選手じゃなかった。安藤をはじめ、みんなのおかげで最後に箱根を走れて、すごく感謝しています」

 奇しくも今回の青学大の作戦名は「サンキュー大作戦」。池田は笑顔で、4年生へのサンキューの言葉を紡いだ。

佐藤 俊●文・写真 text by Sato Shun