■伊調馨インタビュー@後編

「東京マジック」──。そんな言葉がある。

 4年後の2020年大会が地元・東京でなければ、リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックを最後に、肉体的・精神的な問題から、あるいは第二の人生を考えて現役を引退するはずの選手の多くが、東京開催を理由に現役を続行している。

 しかし、伊調馨は、「私にそんなマジックはありません」と断言した。

「自分が生まれ育った国でオリンピックが開催されるって、すごいことですよね。どれだけ盛り上がるんだろうか、考えただけでワクワクします。だから、自分もそのオリンピックに、できたら自分がずっと続けてきたレスリングで携わりたいという思いはあります。でも、別に選手でなくてもいいんです。マットを掃除させてもらうのでも、チケットをチェックするのでも、なんでも」

 なぜならば、「今はまだ、選手に戻ること、オリンピックで5連覇することに意味・価値を見出していないから」だと伊調は説く。

「周りの人は9:1ぐらいの割合で、『東京オリンピックがんばってね!』『5連覇、期待しているから』と言ってくれますが、今は続けるか、引退するか、まったく決めてないし、決めなくていいと思っています。もっと言えば、今すぐ選手に戻るという気持ちは100%ありません。

 だって、"もったいない"じゃないですか。レスリングに行こうと思えば行けるけど、そうしたら、また朝から晩までレスリング漬け。同じことの繰り返しで、狭い、もう知っている世界。それよりもイベントなどに出させてもらって、いろんな方と話をさせてもらうほうがいい。そのほうが今まで知らなかった世界が見えてくるし、人生の幅が広がるチャンスだと思うんです」

 リオデジャネイロオリンピック後、数々の祝勝会や授賞式、イベント、取材が続き、スケジュール表はビッシリ。連休も取れず、日本シリーズ開幕戦で始球式を務めた翌日、念願のディズニーランドには行けたものの、温泉でのんびりすることは実現できていない。そんな超多忙のなかでも、女王は自らの人生の進むべき道をしっかりと見つめている。

 北京オリンピックの後、男子のコーチや選手と練習をするようになり、レスリングの奥深さを知った伊調は、「説明のできるレスリングを目指し、勝利よりも技術を追求」してきた。それゆえ、「レスリングを極めんとする孤高の求道者」「異次元の強さを追求する絶対女王」と呼ばれている。

 リオで4連覇を達成しようとも、「やり残したこと、できていないことはまだまだ山ほどある」。だが、伊調は常々、「選手でなくても、コーチになってレスリングを追求するというのも、いいかなと思っている」と語ってきた。

「選手としてやっていく意味、価値を見いだせたらやるけど......。練習がつらくなったからとか、あと4年は長過ぎて考えられないからやめる、というのではないんです。

 でも、続けるとしたら、年齢的なこともあるから、練習の質は変わってくると思う。今までのようにやっていたら、身体が壊れますから。これまで以上にサポートも必要でしょう。そうなると、難しいことだと思いますが、コーチになったらなったで、指導していくことはもっと難しいと思う。

 それにやっぱり、『5連覇してなんなの?』というのがある。こだわりはまったくありませんから。うまく比べられないけど、自分が5連覇することよりも、コーチをすることのほうが勝(まさ)っているというか、おもしろそうな気がしています。5連覇してから勉強するのもいいけど、いずれそうなるなら4年早く勉強したほうが有効かなとも」

 いつから始めるかは別として、伊調が今一番やりたいと思っているのは、「コーチングとはなにか?」を学ぶことだ。

「根本的なことを学びたいんです。いいコーチはどうつくられるか? いいコーチはどう指導するか?」

 それゆえ、伊調はコーチからかけられて印象に残った言葉や、わかりやすかった説明、ピンとくる教え方などをメモしている。目指すのは、「選手と一緒にレスリングをつくっていけるコーチ」だ。そして今、その目標に向けて情報を集めている。

「引退して、母校に戻って、ナショナルチームのコーチになって......というのは、普通じゃないですか。まずは、ちゃんと勉強したい。教えるのはトップでなくても、チビッ子でも、中学生、高校生でもいい。どの世代でもいいけど、その分、もっと勉強しないといけないですよね。

 子どもには子どもに合った教え方があるし、多感な時期には、それなりに心に響くような言葉が必要でしょうし。経験したことだけしか話せないコーチではなく、自分が経験した以上のことをうまく伝えられる指導者になりたいんです」

 海外で学ぶという選択肢もあるが、そこも伊調ならでは。スポーツ先進国だけでなく、まだまだレスリングが普及していない発展途上国も視野に入れている。

「どんなプログラムをコーチとして学ぶべきなのか? 自分を必要としてくれる海外はあるのか? そんな情報を今、集めています。留学したと言っても、人それぞれ。しっかり学んできた人もいれば、そうじゃない人も。でも、『海外へ行った』という事実は指導する際、選手に対して説得力になりますよね。

 問題は、どこへ行くか。アメリカで最先端の医科学、栄養学、調整法、減量法、トレーニング法などをきちんと学ぶというのもいいアイディアですけど、発展途上のアフリカなどに行って、私が教えるというのもおもしろいかなと。いろんな可能性があるし、今はそれができると思う」

 最後に、もう少し先の将来のビジョンを尋ねると、伊調は迷わず即答した。

「結婚もしたいですし、出産もしたい。レスリングは大好きですから、ずっと関わっていきたいので、そうしたなかで、自分にできることはなんなのか、考えていくんでしょうかね。

 結婚して、子どもを産んだら、レスリングのことだけを考えているわけにはいかないでしょ。旦那のこと、子どものことを考えていろいろ頭のなかが分散するから、レスリングのことだけに集中できないでしょうけど。

 ママになって、子どもとマットで遊ぶのもいいですし、その子に『レスリングしているママが見たい!』なんて言われたら、それが原動力になるかも......。誰の言葉も耳に入ってこないのに、自分の子に言われたら、スーッと入って、マットに立っているかもしれませんよ」

 伊調が客観的に考える、マット復帰のリミットはオリンピックの2年前。

「前年の世界選手権がオリンピック予選の1発目となりますが、そこで出場権を獲得する以上に、世界の動き、どんな選手がいるのか、選手層を確かめる必要があります。ビデオやデータだけでなく、実際に戦ってみて。そう考えると、その世界選手権に出場するためには、さらにその前年暮れの全日本選手権から出場していないと難しいですね」

 はたして、伊調馨はいつ、どう決断するのか――。

【profile】
伊調馨(いちょう・かおり)
1984年6月13日生まれ、青森県八戸市出身。中京女子大学(現・至学館大学)卒。ALSOK所属。2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロで金メダルを獲得し、女子史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10回優勝。2016年10月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。共著に『一日一日、強くなる〜伊調馨の「壁を乗り越える」言葉』(講談社+α新書)

宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya