■伊調馨インタビュー@前編

「アテネはイケイケの怖いもの知らず。初めてでしたから、"オリンピックってどんなのかな"とずっとワクワク、ドキドキでした。試合が終わった後、(姉の伊調)千春と浜ちゃん(浜口京子)とでエーゲ海に行って。水着なんか用意してなかったから、みんなシングレット(レスリングのユニフォーム)で泳いだんですけど、楽しかったなぁ。

 北京は千春とふたりで"姉妹金メダル"という目標を掲げ、苦しいこともつらいことも、ふたりでがんばった。結果は千春が銀メダルでしたけど、『妹と一緒に輝かしいレスリングの道を歩んできたことを誇りに思う。だから、私にはこのメダルが金色に輝いて見えます』と言ってくれたから、まぁよかったかなと。万里の長城も歩けたし。

 ロンドンは一番、自分が思っていたとおりに戦えました。何の気負いもなく。本番直前に足首のじん帯を損傷したけど、『ケガしているからって、なんだ!』と強気でしたね。自己採点は70点でしたが、勝った瞬間、喜びが爆発しました。試合後、浜ちゃんとあちこちショッピングに行ったりしたのもいい思い出です」

 北京オリンピック後、伊調は引退発言をして長期休養。その後、カナダへと留学したが、3連覇を達成したロンドンオリンピック後はあっさりと「現役続行」を宣言した。「今、レスリングがどんどん好きになってきています。やり残したこともいっぱい。アテネからロンドンまで8年間、あっという間だったから、リオも意外とすぐに来るんじゃないかな」と語り、オリンピックイヤーが終わる前に本格的に練習を再開。翌年から試合に出場し、リオデジャネイロオリンピックまで突っ走った。

 だが、女子初・日本初・レスリング初となるオリンピック4連覇の偉業を達成したリオ大会は、「思い出すとイライラする」と伊調は言う。

「特に決勝戦。あんな無様(ぶざま)な試合、二度としたくない。技もダメ、展開もダメですけど、何よりもまず、アタックが少ない。普段と違う身体でした。こわばっていたというか、硬かったというか......。

 1月のヤリギン国際大会で負けて、6月のポーランドオープンでは優勝はしたけど、動きはよくなかった。それが一番の原因でしょうけど、やっぱり4連覇というのがありました。絶対に勝たなくてはいけないと、試合が近づくとますますプレッシャーが強くなってきて。初めて、戦うことが怖いと思いました。

 だから、金メダルを獲れて、4連覇できたから嬉しいというよりも、ホッとしたというのが正直な気持ち。みんなが喜んでくれたことがなによりでした。1月に負けたとき、自分以上に悔しがってくれる人や、ビックリするほど涙してくれる人が大勢いたので、金でよかったなぁと。

 その気持ちは、試合が終わってから今までずっと変わりません。帰りの機内でも、落ち着いていろいろ考えると、みんなの笑っていた顔が浮かんできたし。帰国して祝勝会などで応援してくれた方たちに会うと、さらに喜びが沸いてきました。

 でも、自分自身の問題としては、悔しさのほうが圧倒的に大きいです。決勝戦はなんで勝てたんでしょうね。自分の力なんて、ほとんど出せていないし。(登坂・とうさか)絵莉や(土性・どしょう)沙羅が最後に逆転できたのは、やっぱり練習量の違いでしょうけど、自分はそもそも完全な負け試合でしょ。

 それでも、最後の最後に自分が仕掛けたから、相手がカウンターで入ってきてくれた。あきらめて仕掛けなかったから、あの相手のミスはなかったでしょうから、あえて勝因を挙げるとすれば、そこぐらいですかね。

 最後のシーン、私がバックに回って2点獲りましたけど、ロシア(ワレリア・ジョロボワ)は審判の動きが見えていなかった。微妙で、もしかしたら得点されていないという考えだったと思うんです。それで、相手は踏ん張った。倒せたら確実に2点ですからね。

 私はというと、なんとなく審判が手を上げている素振りが見えていたから、2点入って3−2の逆転だと思ったけど......。ずっとダメダメだったから、最後ぐらいはしっかり倒したかった。相手の腕を極(き)めていたので、倒せて当然なんですけど、それすらできなかった。それで自分に『イラッ!』。試合が終わって審判に手を上げてもらっているときは、そんな気持ちでした」

 大会前、「3連覇のときとは比べものにならないプレッシャーに襲われるのではないか。32歳という年齢がどう影響するのか。亡くなった母に金メダルを見せたいと気負(きお)わないか」と心配していた姉は、「カオリン(馨)には4連覇よりも、リオデジャネイロオリンピックを思い切り楽しんでほしい」と願っていた。しかし、伊調自身としては「リオは一番おもしろくない大会」となってしまった。

「治安の問題があったから選手村と会場の往復だけで、まったく出歩けなかったし。よかったのは、レベルの高い男子の試合を観戦できたことぐらい。目の前で樋口黎選手(ひぐち・れい/男子フリースタイル57キロ級)の銀メダルも観られました。

 でも、やっぱり最低。やり直したいです。決勝戦はもちろん、1回戦のチュニジアのマルワ・アマリ選手(11−0テクニカルフォール勝ち)とも、2回戦のトルコのエリフ・ジャレ・エシリルマク選手(3−1判定勝ち)とも、準決勝のアゼルバイジャンのユリア・ラトケビッチ選手(10−0テクニカルフォール勝ち)とも。4人全員と、もう一度戦いたい。もしかすると、どこかで負けるかもしれないですけど......いや、絶対にもっといい試合をします」

 1月29日、ロシアで開催されたヤリギン国際大会で、まさかの0−10テクニカルフォール負け。負傷による棄権をのぞけば、実に13年ぶりの敗戦で始まったオリンピックイヤーだった。自ら「集大成」と位置づけて挑んだリオでオリンピック4連覇という金字塔を打ち立て、国民栄誉賞を獲得した2016年を、伊調は自ら「とっても成長できた年」と評した。

「負けることも経験した。そのとき、自分は本当に多くの人に支えられているんだなと改めて感じて、人とのつながりに感謝しました。

 でも、淋しさもありますね。この1年というか、2015年の世界選手権で自分がオリンピック出場権を獲得できたころから。オリンピックの前はいつもそうですけど、その予選を兼ねた世界選手権で、勝者と敗者が分けられる。一緒にオリンピックを目指してがんばってきたけど、負けて夢が絶たれて(オリンピックに)行けない人を見ると、過酷な世界だなと思い知らされます。

 私はアテネ、北京まで一緒に戦ってきた正田絢子さんというライバルがいたから、強くなることができたんです。正田さんはオリンピックに行きたかったけど、行けなかった。でも、今でも仲良くしてもらっているのは、ともに夢に向かって戦ってきたから。私はそういう人たちの想い、負けたときに自分以上に悔しがってくれた方たちの想いを背負ってリオで戦った。そして今、レスリング以外でも多くの人と接することができて......。だから、今年は成長したかな」

(後編に続く)


【profile】
伊調馨(いちょう・かおり)
1984年6月13日生まれ、青森県八戸市出身。中京女子大学(現・至学館大学)卒。ALSOK所属。2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロで金メダルを獲得し、女子史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10回優勝。2016年10月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。共著に『一日一日、強くなる〜伊調馨の「壁を乗り越える」言葉』(講談社+α新書)

宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya