本書は、私たちの住む日本という国が、古代から膨大な時間をかけてじっくりと培われた、本当の意味で人間らしく、健康的で平和で、かつ満ち足りた理想的な社会であったということを示すものです。(「はじめに──日本が本当の豊かさを取り戻すために」より)

こう記すのは、『世界が憧れた日本人の生き方 日本を見初めた外国人36人の言葉』(天野瀬捺著、ディスカヴァー携書)の著者。禅寺に生まれ、禅の教えを体感しながら育ったという人物。しかし外国での豊富な生活経験を持つ祖父母に影響され、成人後は自らも海外に出ることを決意したのだそうです。その結果、ヨーロッパ、オセアニア、米国、カナダと、20年近くにわたって海外に住み続けてきたのだといいます。

そんななかで実感したのは、日本人にとっては常識であるような礼節や、人に迷惑をかけないマナー(約束や時間を守る)、品格、基本的な生活習慣(体にいいものを食べる)といったことにまったく関心を示さない人が、海外には少なからずいるということ。

そして異文化に長く身を置いた経験があったからこそ、日本の長所を強く、身をもって実感することができたというのです。つまり本書の軸になっているのは、そうした経験。シーボルトからアインシュタインまで、16世紀以降に日本を訪れた外国人たちの記録のなかから、現代人にも通用する「生き方のヒント」を抜き出したものです。

きょうは第5章「自然とともに生きる」から、日本に魅了された2人の外国人に注目してみたいと思います。

精神的に自然と通じ合う


自然の美しさに対する独特の感応、すなわちその自然環境とのある種の精神的合意は、日本人の精神の際立った特徴である。

パーシヴァル・ローウェル(天文学者/世界漫遊家)
1883年、アメリカより来日
(90ページより)


パーシヴァルはボストンのインテリ一家、大富豪の息子として生まれた人物。実弟はハーバード大学学長であり、彼もハーバード大學で物理学や数学を修めたものの、火星に大きな関心を持ったことから、やがて天文学者に転じたのだそうです。

日本には1883年から1893年までの間に計5回訪れており、日本の風俗の調査と、専門である天文学の研究を行うことに。来日の動機が日本と東洋への強い関心だったことはいうまでもありませんが、知り合いを尋ねるという目的もあったようです。その知り合いとは、のちに東京大学で動物学教授を務めることになるエドワード・モース。ふたりは旧知の仲だったようで、エドワードが来日した際、彼の大学での講義を聞くために、パーシヴァルは日本を訪れたということです。

1889年には、秘境の地であった能登半島の調査のために来日。その帰路、長野の時又(ときまた)へ船で到着した人々の様子を次のように表現しています。

「ここでは、親切な村人たちが、総出で船の陸上げ作業を手伝ってくれ、その中の幾人かは、われわれの前を小走りに歩いて、宿屋まで案内をしてくれた」(92ページより)

彼はこのとき、天竜川の川下りや御嶽山の登山など、日本の自然とアクティブに接したのだといいます。そして最後に来日したときには6インチの望遠鏡を携えていたほど、日本に天文台を建てようと真剣に考えていたといわれていたそうです。

日本での旅生活のなかで、パーシヴァルは日本人の気質を次のように観察しています。

「われわれが自分たちのやり方で、自分たちの視点から直観的に見る事柄を、彼らは彼らの視点から全く正反対の立場で直観的に眺めるのだ。(中略)順序を逆にするということは、表現様式から始まり、さらに深く彼らの思想の奥底にまでわたっている」(92ページより)

つまりパーシヴァルは、日本人の世界観がある面において西洋人のそれと反対であることを、コミュニケーションのなかから見てとったというわけです。

また、「個々の人間の知性の差の大きいのに慣れたわれわれにとって、日本における大衆の芸術愛更新には驚かされるものがある」という言葉に表れているとおり、大衆への文化の浸透度合いにもパーシヴァルは目を見張っていたといいます。平凡なお茶屋の娘が礼儀作法の手本であり、労働者たちが仕事の合間に将棋を指す姿を見るにつけ、日本の文化が少数の人々のためのものではなく、一般大衆の共通の財産であることを観察したいたわけです。

このように、筋金入りの実証主義者であったというパーシヴァルは、当時の日本人の姿に、自分たちと逆の世界の存在を強く感じていたということです。(90ページより)


自然の循環のなかに生きる


農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。彼らは、むしろ、成長しては滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を持っている人たちなのです。

キャサリン・サンソム(外交官夫人)
1928年、イギリスより来日
(102ページより)

イングランド・ヨークシャーの風光明媚な渓谷地帯で、大自然に囲まれながら育ったというキャサリン・サンソム。地元で有名な存在だった父親の影響を受け、自然に対する愛情や豊かな情緒を身につけたのだそうです。つまり、そんな彼女が日本の自然と人々のあり方に感銘を受けたのは、ある意味で必然だったのかもしれないと著者は推測しています。

成熟した英国婦人であったキャサリンは、つねに落ち着いた優しいまなざしで、昭和初期の東京の街と人々の暮らしを見つめ、ていねいに記録したといいます。同時に父親としての立場からも、日本の衣食住や家庭、子ども、教育について観察し、あるときは高貴な女性の視点で女性の社会的地位、百貨店、車校、伝統などについても目を配ったそうです。

とりわけ日本の自然と人々に対する観察は深く、日本人の最大の特徴を、「自然と交わり、自然を芸術的に味わう感性にある」と見定めたのだといいます。キャサリンが目撃したのは、じっと座って何時間も同じ景色を眺めるという、日本人特有の習慣。その姿を、「日本人は自然と見つめることで精神の大事な糧を得ている」と考えたという点が印象的です。

そして、自然に対するそのような姿勢こそが、「落ち着いた心」という日本人らしい精神性の基礎になっていると見たわけです。そのうえでキャサリンが導き出したのは、「日本人は自然を愛するだけでなく、私たちとは違って、今でも自然の中に生きています」という洞察。

そして、日本に来て彼女が驚いたことのひとつが、「富士山の魔法」というエピソードです。イギリスへの帰国休暇を終えカナダ経由で1月の日本に帰ってくる途上、真冬の航海がとても辛かったこともあり、長旅の疲れとともにキャサリンは陰鬱な気分に。ところが窓越しに日本の海岸線が見えてくると、彼女はどうしても富士山を見たくなってしまったというのです。

寒さを堪えて甲板に出て、それがあるはずの方向に目をこらしていたキャサリンは、層雲の上に富士山が見えたその瞬間、「心臓が止まってしまいました」という。彼女にとって富士山は、「まるで天から垂れ下がっているよう」に軽やかで美しく、まさに天国に近づくように感じたというわけである。(104ページより)

富士山の美しさに心を打たれたことで、キャサリンの気分は回復し、波止場に着いた時には陽気になっていたのだとか。しかも満面に笑みを湛えた日本の人々のおもてなしに迎えられ、気分はさらによくなったのだといいます。日本の自然と日本人の細やかな心づかいが、彼女の日本人に対する印象に好影響を与えたのでしょう。(102ページより)



昨今はテレビをつければ、日本人の素晴らしさをクローズアップした番組を目にする機会が増えました。しかし本書で紹介されている人々の言葉からは、それら以上に大きな説得力を感じることができるはずです。

「今年は、どんなことをして、どんな年にしようか?」と考えることの多い時期です。改めて自らのルーツを再確認するという意味でも、このタイミングで読んでおきたい1冊だといえるでしょう。


(印南敦史)