『ワルに学ぶ黒すぎる交渉術』多田文明(著)プレジデント社刊

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■なぜ、900人がワルに平均127万円も出したのか?

高齢者宅には、様々な勧誘電話や訪問業者がやってくる。

それを追い返すのはひと苦労で、商品を買えば相手の話が終わると思い、契約してしまう人は多い。しかしながら、その場しのぎの対応では、「あの家は、しつこく勧誘すれば、商品を買ってくれる」というレッテルが貼られてしまい、新たな勧誘を招くことになる。いいカモだという情報はすぐに悪質な業者間で共有されてしまい、どんどん深みにはまっていくのだ。

ワルたちはしつこく押し売りして「契約するしかない」と思わせて、相手の根負けを狙ってくる手立てだけではなく、相手を頷かせるための様々な技をもっている。

今年10月、高齢者に高額な値段で布団などを販売していた業者が、詐欺容疑で逮捕された。彼らはまず、過去に訪問販売で布団などを購入したリストをもとに、電話をかけたり、訪問したりする。そして次のように尋ねる。

「以前に、こちらのお宅を訪問した会社から、お布団を買いましたよね」

家人が「ええ」と答えると、「実は、それはセット販売の契約になっていましてね」と嘘をつくのだ。契約書をしっかりと見ずに購入してしまったゆえに、高齢者は「そうだったかもしれない」と思い、ワルたちの話に耳を傾けてしまうことになる。

業者は、「契約書に書いてあるから、すぐに購入しなさい」と、ダイレクトには話を展開しない。相手を安心させるような言葉で、ひと手間を加えてお金を払わせようとする。

「私たちの商品を買えば、これから先の訪問販売をやめさせることができます」

これまで散々、悪質業者の勧誘に苦労してきている高齢者は、この言葉を聞いて商品購入の話など二の次になってしまう。まんまとこの言葉にはまってしまうと、「勧誘を止めたい」思いが優先してしまい、ものの値段など気にすることなく契約してしまう。

実際、この業者はこの手口で、被害者900人ほどから、11億5000万円を超える金額をだましとっていたという。1人平均127万円の被害額となる。

「これで勧誘がなくなります」は、高齢者の心に刺さった棘をとってくれる効き目のある言葉である。しかしながら、勧誘被害にさほど遭っていない人がこの言葉を聞いたとしても、さほど効果のある言葉とはならないであろう。同じ言葉でも、どういう相手に、どのようなタイミングで投げかけるかで受け止め方が違ってくる。

■適切な「話のリリースポイント」で金が転がり込む

ここでは、リリースポイントという考えが大事になってくる。

野球では、ピッチャーが威力のあるスピードボールを投げるためには、リリースポイントが大事だといわれる。リリースとは、「放す」という意味で、ピッチャーがどの瞬間で手から球を離すかで、ボールの速さやコントロールが決まってくる。このリリースポイントを間違ってしまっては、どんなに力のある投手でも、打者から空振りをとるようなすばらしい球を投げることはできない。

先の悪質業者はどうか。

勧誘に困っている状況を知ったうえで、「あなたの商品を購入した情報が漏れていて、これから先も続々、悪質業者がやってくる」と不安を煽る言葉を投げかける。そして「私たちの商品を買えば、業者の勧誘を止められます」「あなたを悪質業者から守れます」というのだ。

この「止められる」「守れます」トークを、最初の段階で言ったとしても大して心に響く言葉にはならないだろう。だが、きっちり不安を煽るステップを踏んでから言葉を投げかけるので、相手の心にズドーンと突き刺さることになる。

ビジネスにおいても同じであろう。その時の相手の状況や話をする順番など、会話におけるリリースポイントを考えながら、言葉を投げかけることが大事だ。

これまで私は勧誘現場で、業者から様々なクロージング(営業活動などにおいて顧客と契約を締結すること)を受けてきたが、業者は契約させようとするために決まって「あなたを絶対に満足させる自信があります」などと言ってくる。

彼らの決め台詞を聞きながら思うことがある。それは、私は潜入取材の意識をもっているので判を押さないが、もし自分が一般客で商品への必要性を多少でも感じていれば、サインをしてしまう可能性があるということだ。

■人間ドックの保健指導員は三球三振に仕留めた

適切な“言葉のリリースポイント”はあらゆる場面に活用できる。

以前に人間ドックを受けた後に、保健指導員から健康アドバイスを受けたことがある。

「エコー検査では、あなたは脂肪肝の状態です。しかも、GDPなどの値も高い。メタボリックシンドロームですね」

確かに、数値が以前にもまして高くなっている。

「肝臓は沈黙の臓器といわれていて、今は何の症状がなくても、このまま数値が悪化すれば、今後、大きな病気になる可能性もあります。そうならないためにも、お腹周りの脂肪を減らした方がよいですね」

実は人間ドックをうけたのがこの時が初めてで、「このまま肝臓に脂肪がつき続けると、肝硬変、肝臓がんのリスク高まる」と言われて、健康不安が一気に増幅した。

すると、それまではほとんど耳に入ってこなかった保健指導員のステレオタイプな健康管理の注意喚起の言葉が、ズバズバと心に突き刺さるようになったのだ。

「まずは、夜のおやつなど、甘いものを控えください」
「ジムに通うなどの運動を定期的にしてください」
「食後には、軽く運動すると効果的です」

動揺している私は「はい」「はい」「はい」と頷くしかなかった。もはや、三球三振の状態であった。それも見送り三振。ど真ん中の球を呆然と見送っただけだった。

私はそれ以来、ジムに通い、お菓子を食べる量を減らすようになった。おかげで今は、体重、腹回りの値は減り、肝臓値も通常範囲内になってきた。

言葉を投げるリリースポイント(タイミング)を熟慮すれば、人の心に潜り込み、心を操ることも可能となる。考えてみれば、デキるビジネスパーソンはそうした話の手順・プロセスに神経を使い、結果的にお金を呼び込むことに成功しているのだ。

(ルポライター 多田文明=文)