80歳でのエベレスト登頂を支えた、三浦雄一郎の「攻めの健康」

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80歳224日─。エベレスト登頂の世界最高記録である。2013年5月23日の登頂から3年半。次の目標に向けてトレーニングを続ける84歳の三浦雄一郎に聞いた。

「目標が生き方を変えると実感しています」と、話すのは三浦雄一郎。84歳のプロスキーヤー、冒険家として知られる。「エベレスト挑戦にしても、マイナスからのスタートでした。大きなケガや病気に見舞われましたが、そのたびに復活してエベレストに登頂した。諦めなかったから、健康に戻れた。といっても、実践したのが、模範的な健康法だとは言えませんが」。

遡ること、20年。冒険家としての一線を退いていた三浦は暴飲暴食、運動不足という不摂生な生活を送っていた。日本全国を飛び回り、年間150回ほどの講演をこなして、夜の宴席では各地の旬の物に舌鼓を打つ。身長164cmにもかかわらず、体重約90kgの完全な肥満体。ベストの状態から20kgも体重をオーバー。さらに1997年にテレビ番組で訪れた標高5,300mのエベレストのベースキャンプではひどい高山病にかかってしまう。高峰に幾度も登頂し、スキー滑降を成功させた冒険家にも生活習慣病は、そして身体の衰えは、平等に襲ってきた。

「余命3年。このままでは、いつポックリ逝ってもおかしくない」

血圧190、糖尿病、腎臓病、狭心症という検査結果とともに、知人の医師が突き付けた言葉に三浦は開き直る。

「どうせ死ぬなら、もう一度、死ぬ気でトレーニングして、目標だったエベレストを目指してやろう」

父の存在も大きかった。雄一郎と同様にプロスキーヤーだった父の三浦敬三は、2003年にモンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降を目指していた。そしてなんと99歳で目標を成し遂げる。そんな父の姿に思った。オヤジは100歳近くになっても目標を目指しているのに、60代のオレはなにをやっているんだ、と。

エベレストに登るには"攻め”の姿勢が必要

"健康に戻る”ために三浦は1から、いや、マイナスから身体を鍛え直すことにした。

三浦が提唱する"攻める健康法”はメディアを通して広く知られている。散歩するときも、旅行するときも、重りを入れたリュックサックを背負って、両足首に重りをつける。1年目に片足に1kgずつ、翌年は3kgずつと徐々に負荷を高めた。最終的には片足に10kg、背中に30kgの計50kgの負荷をかけた。確かに誰にでもできる"模範的な健康法”ではない。

「目標があったからできたんです。規則正しい生活をする。毎日のストレッチやウォーキングを欠かさない。これは模範的な"守りの健康法”と言えます。でも、守りの健康法ではとてもじゃないけど、エベレストには登れない」

三浦は一度、管理栄養士をつけて食事療法に取り組んだことがある。だが、自分には合わないと感じてやめた。

「毎日なにを食べたか、カロリー計算をしました。しかし煩わしくてそれがストレスになって続かなかった。ぼくはいいかげんな人間だから」

三浦は笑って続ける。

「自分の身体ですから、自分で考え、想像して決めた方がいいんです。大切なのは、目標を達成するためのイマジネイションとクリエイティビティ。目標達成のイメージさえ持てれば、プロセスが見えてきますから」

見方を変えれば、守りの健康法とは、現状維持のための健康法である。一方の攻める健康法の目的は、健康ではなく、あくまでも目標到達だ。「健康」はひとつのプロセスに過ぎない。

「目標に向かう気持ちが人間の生命力を高めるんです」と三浦は語る。

攻める健康法を始めた約5年後の03年、三浦は70歳223日で世界最高齢でのエベレスト登頂に成功。以来、75歳、そして80歳と3度のエベレスト登頂を果たした。

特筆すべきは、その都度大きな課題を克服していることだ。1度目は、メタボ克服。2度目は、登頂1年前に不整脈治療の2回の手術を経てのチャレンジだった。

3度目もまたすごい。健康な若者でも諦めてしまうような困難に直面した。09年2月、スキーで転倒して、骨盤と大腿骨付け根を骨折し、全治6カ月と診断される。76歳。寝たきりになったり、車いす生活になったりしてもおかしくない。いや、普通は心が折れる。止めないまでも、予定を変えようとは考えなかったのか。

「いえ、それはなかったですね」

と、三浦はさらりと答えた。

「攻める健康法のおかげで骨密度が上がっていて、骨折の治りが早かったんです。いままでも諦めなければ健康に戻れるという体験をしていたので、やめようとは思わなかったですね」

85歳になる18年の目標は8,201mのチョ・オユーでの滑走

まだまだ困難は続く。出発4カ月前の12年11月に狭心症で3度目の手術を受ける。さらに出発直前の翌年1月にも再手術。さすがに周囲もムリだと止めたらしい。

「でもせっかく準備したんだから、やれるだけやろうと話しました。リハビリをしながら登頂を目指そう、と」

心臓のリハビリをしながら山に登る。ベースキャンプにいたるまでの16日間、昼間までの半日を登山に、夕方までの半日を散歩や休息にあてる。三浦が行った「年寄り半日仕事」は、自身の身体と健康状態を知悉しているからこそできた登山法だった。

「普通は登頂までの時間をどう縮めるか考える。でも、ぼくは逆転の発想で、時間をどう使うか考えたんです」

それこそが、三浦の言うところの「イマジネイションとクリエイティビティ」である。目標達成のためにセオリーを無視して、リハビリと休息を組み込んだ登山をしたのだ。「ぼくは目標を持てたから生き方が変わった。ケガや病気というマイナスから這い上がることができた」

次の目標は、ヒマラヤ山脈の一角にある、世界6位の高峰チョ・オユー。

「頂上まで登ってエベレストを眺めながらスキーで滑り降りたいですね」まだ84歳。いまも三浦は新たな目標へ向けた挑戦のただなかにいた。

みうら・ゆういちろう◎1932年、青森県生まれ。70年エベレスト・サウスコルにて8,000m世界最高地点スキー滑降。85年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年に70歳で、08年に75歳で、13年に80歳でエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録)。