アメリカでは近年、大学生のレイプや性的暴行事件が話題に上ることが増えており、調査結果からも、事件が全国規模になっていることが明らかになったのだとか。そうした状況を受け、いわゆる「デートレイプ」を阻止しようと、男女間の"合意"について議論する場が設けられ、国は対策を講じ始めたよう。まだ解決には至らないものの、人々が関心を持つことは大きな一歩になるはず。

今回は、日本でも最近たびたび耳にする「デートレイプ」について、コスモポリタン アメリカ版ライター、ハンナ・スマザーズがまとめたレポートをお届け。

「合意」とは何かを明確にするためには、"「いいわ」を意味するのは「いいわ」だけ"という認識を広めていかなければなりません。

「20数年前、レイプや性的暴行に関する考え方は、現在とは全く違っていました。最近<BBC>に掲載された記事によると、ケイティー・コスナーさんはウィリアム・アンド・メアリー大学の1年生だった1990年、一緒に出かけていた男子生徒と望まないセックスに至ったそうです。したくなかったのは事実だけれど『レイプされたとは考えなかった』のだとか。

『1990年当時、レイプというのは見ず知らずの相手から性的行為を強要されることで、好意を持っている相手やデート相手のケースは含みませんでした』と話すコスナーさん。大学の医療相談所や学生部長や父親に打ち明けても、誰も大事とは捉えなかったため、大学警察に訴えることにしたそうです。

『大学警察ではセックスのことや私の服装について細かく聞かれて、恥ずかしくてたまりませんでした。彼を自分の部屋に入れたことを、なんてバカだったんだろうと悔やんだし、夕食代を払ってもらったことも失敗だったと思いました』

それでも勝訴の見込みはないと言われ、大学の風紀委員会に掛け合うことに。すると大学初の性的不正行為に関する聴取が行われることになり、相手側は彼女が何度か『やめて』と言うのを聞いたことを認め、学校側は彼にデートレイプの責任があるという判断を下したそうです。しかしながらコスナーさんにその報告に来た学生部長は、彼との交際を続けることを勧めたのだとか。

その1年後、コスナーさんはタイム誌の1991年6月号表紙に『デートレイプ』という見出しと共に登場。『どこからがレイプ?』と題する記事に、"本当のレイプ"と"知人友人間のレイプ"の違いが取り上げられました。デートレイプは今や全国的な問題ですが、1991年の記事と現在見かける記事とを比べると、気がかりな類似点が。

下記は、ある大学1年生男女のケースを論じた記事です。

『レイプは、17歳の少年がセントラルパークでジョギングしている人を襲ったというような新聞ネタになることだ』と、友達との一晩の行為をレイプだと判断された大学1年生男子は言う。彼は、彼女と部屋にたどり着いたとき、2人とも相当に酔っていたことを認めている。ぼんやりとではあるが、彼女と寝ることに良心の呵責を感じていて『"これは友達で、酔ってなかったらこんなことはしない"というモラルが、本能を抑え込もうとしていた』らしいのだが、結局抑えきれなかったのだ。女性が『いいわ』と言ってからしばらくして『やめて』と言えば、行為の最中でも続けるのは一種の暴行になる。だがそれはレイプとは違う。もし『やめて』と言う声が聞こえていなければ…もし彼女が『やめて』と言っていなければ…行為を楽しんでいるのだとしたら…女性の『やめて』は『いいわ』を意味する場合もあるのが難しいところだ。

"合意"とは何かを明確にするためには、"『いいわ』を意味するのは『いいわ』だけ"という認識を広めていかなければなりません。デートレイプという考え方がタイム誌の表紙に取り上げられてから25年後の2016年になっても、その問題は依然として解消されていないのです。

自身の体験を公にしたコスナーさんは、デートレイプについて考えるきっかけを作り、大学生のレイプに対しての捉え方を変えました。彼女はその後、訓練を受けてレイプカウンセラーとなり、全国の高校生に、自分と同じ目に遭わないようにと体験談を聞かせて回っているそうです。彼女はこう語っています。

『あなたたちは"会話"を変えられる世代。相手を尊重し、相手の合意を確認することを何よりも大事にしてください』」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation:Yuko Oguma

COSMOPOLITAN US