MAX機撤去。年末年始のパチンコは損するばかり

写真拡大

 新年が明けたが、通常はクリスマス以降、年末年始に掛けてパチンコ店に行ってはいけない。なぜなら、パチンコ店にとって、1年で最も儲かる10日間であり、裏を返せばお客さんが一番負けやすい10日間ということでもある。例年であれば、パチンコ店はホクホクなのだが、しかし今年の年末はいつもと少し違う。その訳は――

 読売、毎日、朝日の各紙が「パチンコ台大量回収へ」と報じたのが、ちょうど1年前のクリスマス。それから1年、全国のパチンコ店から「MAX機」と呼ばれる遊技機が遂に全台撤去されることとなった。

「MAX機」とは、大当たり確立1/399のパチンコ機で、現状では最も射幸性の高い遊技機。当たりにくい代わりに、当たれば一攫千金も夢ではない。ハードユーザーが好んで打ち、お店も売上げの高いMAX機を優先的に購入するため、パチンコメーカー各社は、有料版権を惜しみなくつぎ込み、こぞってこの「MAX機」を製造販売した。それが一斉に撤去されるのである。全国70数万台。パチンコ業界はこの1年、その対応に追われた。

◆「MAX機」はなぜ撤去されるのか?

 そもそも、なぜ撤去されることになったのか。事の発端は、パチンコメーカー各社が、検定(パチンコ機の性能が法律で定められた範囲のものかをチェックする試験)時の遊技くぎの配列(傾きや角度)と、パチンコ店への納品時の遊技くぎの配列に一部相違のあるものが紛れている可能性があると言ったこと。本来ならば「一部」を探し出し、該当するパチンコ機のみを撤去すれば良いのだが、なぜか「全国70万台、全台撤去」という流れになった。不思議な話である。

 ちなみに「パチンコ」と「くぎ」は、切っても切れない問題である。

 パチンコを知っている人であれば、誰もが知っている。しかしこの点については法的にも色々と問題があると思われるので本稿ではその詳細は割愛する。ポイントは、上述した「不思議な話」を分かりやすく読み解くこと。結果から言えば、「すべてはカジノのため」となる。

 先の臨時国会で「IR推進法案」が混乱のなか可決された。可決に至るプロセスのなかで、何度も反対派の口から飛び出したのは「パチンコ」の4文字である。「パチンコがあるのにカジノは必要なのか?」、「パチンコによるギャンブル依存者対策を先に進めるべき」などの「パチンコ批判」が会議場にこだました。反対派に対する、表向きの対応はカジノ推進派の議員たちであるが、ことパチンコに関する問題となれば、管轄官庁である警察庁の官僚の対応である。今回の衆参内閣委員会でも実際に答弁している。

 パチンコは、ギャンブルではなく娯楽である。パチンコ関係者や擁護派はこのことを強調する。しかし誰よりも「パチンコ娯楽論」を執拗に唱えているのは、当の警察庁である。三点方式の問題や射幸性の向上、依存症など様々な問題を抱えるパチンコ業界ではあるが、日本が公的ギャンブルしか認めていない現状で、民間の「賭博(ギャンブル)」は、あってはならないことなのである。

◆警察は「パチンコは娯楽である」と言い続けたい

 カジノが国会で議論される限り、パチンコはその引き合いに出され続ける。「パチンコはギャンブルである」と攻め立てられる。

 端的に言えば、警察官僚は、その国会の場において、「パチンコは娯楽である」と言い続けたいのだ。長年に渡り警察官僚が作り続けてきた「建て前」を守り続けたいのだ。そのためには、一つでも多く、パチンコにおける「ギャンブル的な要素」を排除もしくは矮小化したいのである。

 今回の「MAX機」の撤去は、そのような文脈の中での出来事。しかし「MAX機」が撤去されたからといって、「パチンコギャンブル論」が消える訳ではない。実際のところ、客の換金行為を完全に無くすか、仮にそれが「合法」であったとしても、1日の最大の勝ち金、負け金が1万円〜2万円程度に収まらない限り、「パチンコはギャンブルである」という括りから解き放たれそうではないが。

 来年は「IR設置法案」可決に向けた、賛成派と反対派の攻防が激化する。

 その煽りを受けるのは、警察でもパチンコ店でも、メーカーでもない。お客さんである。

 パチンコをやる、やらないは個人の自由であるが、やる人がパチンコを「娯楽」の範疇で留めるのか、「ギャンブル」の領域に踏み込むのかは個人の責任である。

<文・安達 夕>