元シンクロナイズドスイミング日本代表の青木愛さんと元スピードスケートショートトラック日本代表の勅使川原郁恵さん【写真:近藤俊哉】

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青木愛さん、勅使川原郁恵さんが語る現役生活、いかにして葛藤乗り越えたのか

 あなたは真剣に取り組んでいることを、やめたくなったことがありますか? その葛藤は、誰しもあることなのかもしれない。オリンピアンとて例外ではない。

 美女アスリートとして注目された元シンクロナイズドスイミング日本代表の青木愛さん(08年北京五輪出場)と元スピードスケートショートトラック日本代表の勅使川原郁恵さん(98年長野五輪、02年ソルトレイクシティ五輪、06年トリノ3大会連続出場)にも競技と、そして自分と真摯に向き合う日々があった。

 青木さんは小学校2年からシンクロを始めた。4年生のときにジュニアオリンピック優勝を果たし、来る日も来る日もシンクロに打ち込んでいた。

 井村雅代氏の井村シンクロクラブに通っていた高2のころ、「もうやめたい」という気持ちが膨らんだ。放課後になると周りの友人たちは楽しんでいるのに、自分には自由な時間がまったくなかった。

「遊びたい盛りに、学校が終わってすぐに大阪に行って毎日練習でした。あるとき犹筺何してんやろう瓩隼廚辰董¬誼任芭習を休んだことがあったんです。私によくそんな度胸あったなって今さらながら思うんですけど(笑)。でも1日、2日と友達と遊んでみても全然楽しくなかった。やっぱりシンクロしたいなって思いました。

 でも無断欠席したから、行きたくても行きにくい。休んで4日目ぐらいに担当コーチから電話が掛かって『明日おいでや』と言われたのに、怒られるのが嫌でズルズル引きずって2週間ぐらい休んでしまったんです」

青木さんが背中を押された言葉とは…

 そんな折、近所に住む井村シンクロクラブのある先輩の母親が青木さんのもとを訪れた。その先輩の高校時代の話をしてくれた後、先輩の母親はこう言った。

「今はしんどいかもしれない。でも続けたら絶対にいいことがあるから」

 シンクロと向き合い続け、答えは決まっていたのに踏み出せない自分がいた。背中をポーンと押してくれた気がした。

 シンクロの練習は1日10時間以上にも及ぶ。説明するまでもなく相当にハードだ。

「練習が好きじゃなかったし、それからも毎日のようにやめたいって思っていました」

 でも青木さんが2度と無断欠席することはなかった。なぜなら「シンクロがめっちゃ好きやったから」。ケガをしても屈することなく、チーム最年少の23歳で北京五輪出場を果たした。小さいころからの夢をかなえた。

 勅使川原さんはソルトレイクシティ五輪の前年に行なわれたプレ五輪で、前を滑る選手が転倒した際にスケート靴のブレードが顔に刺さり、大ケガを負った。以降、半年間ほど眼帯を付けなければならず、視覚のバランスが崩れたことでタイムは伸びなかった。

 顔のケガは両親のショックも大きく、「やめていいんだよ」と言われたという。「年下の選手にも抜かれたりして、私のなかで落ち込んだ時期ではありました」。

 3歳からスケートをはじめて、中学2年のときにショートトラック全日本選手権で総合優勝。96年には世界ジュニア選手権を制すなど、若いころから注目を集めてきた。

2人にとって競技とは…「人生の一部」「人生そのもの」

 遠心力が掛かる競技のため、一定の体重をキープしなければならない。厳しい筋力トレーニングも待っている。スケートリンク外でもやらなければならないことが実に多い。
ふと立ち止まって競技と、そして自分と向き合ってみたときに、やっぱりスケートが好きなのだと気づかされた。

 ケガを負ったことに対する恐怖心はなく、両親にも「好きだから続ける」と伝えた。ソルトレイクシティ五輪では3000メートルリレーでメダルまであと一歩の4位という成績を残し、4年後のトリノ五輪にも出場した。

 勅使川原さんは競技をやめたいと思ったことが一度もなかったという。

「苦しくて成績が残らないこともありましたけど、やめたい気持ちにはならなかったですね。両親がいつもいいタイミングで『スケート、好きか』と聞いてくれて、落ち込んだりしたときにも結局は『好き』と返していました。苦しい後には楽しいことが待っているんじゃないかってずっと思っていましたし、乗り越えた分だけ結果を出すこともできましたから」

 やめたいと思ったことが何度もあった青木さん。やめたいと思ったことが一度もなかった勅使川原さん。あなたにとってシンクロとは――。青木さんが言う。

「私の人生の一部。シンクロがなかったら多分今の自分もないし、やめたいって思っていたけど一番好きだし、シンクロで自分を輝かせることができました。これからも何らかの形でシンクロに携わっていきたいと思います」

 あなたにとってスピードスケートとは――。勅使川原さんが言う。

「人生そのもの。スケートで頑張った自分がいるから、今だってどんなことにも強い気持ちを持ってチャレンジできる。スケートが自分というものをつくってくれました」

 競技を愛し、真剣に向き合ったからこそ競技にも愛された。シンクロから、スピードスケートから彼女たちは人生そのものを学んだと言えるのかもしれない。

二宮寿朗●文 text by Toshio Ninomiya
近藤俊哉●写真 Photo by Toshiya Kondo