感情型シンガーソングライター・植田真梨恵にロングインタビューを敢行!

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'16年に活躍し、'17年にさらなる飛躍が期待される俳優・女優、アイドル、アーティストなど、さまざまなジャンルのNextGeneration Star(次世代スター)およびNew Generation Star(新世代スター)に話を聞く、ザテレビジョンの年末年始特別企画「NGS17」。

【写真を見る】植田真梨恵は「昔から“圧倒的に歌う人”が好きで、歌うだけで空気が変わるというか、そういう人に憧れていました」と明かす

第8回は、'16年に「夢のパレード」などシングル3作をリリースし、12月14日にはメジャー2ndフルアルバム『ロンリーナイト マジックスペル』を発表した“感情型シンガーソングライター”のNext Generation Star・植田真梨恵が登場!

デビューのきっかけ、インディーズ時代からの楽曲制作へのこだわりについて、そしてリリースラッシュとなった’16年を振り返ってもらいつつ、今後の“夢”についても語ってもらった。

――まずは自己紹介をお願いします。

植田真梨恵です。ずっと歌が好きで、歌手になりたいという夢を子供のころから追い掛けてきました。オーディションをずっと受け続け、15歳の時にようやく受かったオーディションをきっかけに大阪に拠点を移しました。その後、一人暮らしをしながら音楽を作り始め、それを歌うようになりました。

――受かったオーディションはどういった内容でしたか?

合格したのは、最終的にライブハウスにいるお客さんの前で歌うものでした。若くして歌手デビューをしていく人が多い中で、私も早く歌手になりたい、早く合格しないと!と思いながらいろいろなオーディションを受けていたのですが、当時は歌手を目指す子のためのオーディションがたくさんあったので、恵まれていたのかなと思います。

――ちなみに何を歌ったのか覚えていらっしゃいますか?

小柳ゆきさんのバラード曲を歌いました。昔から私は“圧倒的に歌う人”が好きで、歌うだけで空気が変わるというか、そういう人に憧れていました。

――当時、憧れのアーティストはいらっしゃいました?

たくさんいました! 私が生まれたのは90年なのですが、7歳くらいのころから宇多田ヒカルさんやMISIAさん、aikoさん、JUDY AND MARYのYUKIさん、椎名林檎さんなど、パワーが全面に出た人が好きだったんです。今もそうですが、女性アーティストに憧れることが多かったですね。

――15歳のときから作詞・作曲を始められたそうですが、最初はどういう感じで作られたんですか?

中学生までは、ひたすら歌手に憧れていただけで、作詞・作曲も興味はあったけど、やったことなかったんです。15歳になって大阪に出てきて、時間はたっぷりあるけど、誰も知り合いがいなかったので、やることもなくて。そんな日常の中で、歌手になるのなら歌える曲がなければ話にならないだろうという思いから、作詞・作曲を始めました。

技術的なことより、まずは歌を歌いたいという思いが先にあって、「私が歌う歌とは何なのか」と見つめ直したときに、自分で作って歌うなら、自分の思いをそのまま歌にしたものじゃないと意味がないと思ったんです。でも本当に初めてだったので、出来た曲が「これはいったいちゃんと歌になっているんだろうか」と自分では分からなかったですね(笑)。

それからもずっと作詞・作曲を続けてきているのですが、昔からヒットソングを聴くのが好きで、J-POPを聴いて育ったという感覚が強かったので、J-POPというものの上で曲を作って届けるということを目指していました。それが最近少しずつ形にできるようになってきたかなと思っています。

――'08年7月にミニアルバム『退屈なコッペリア』でインディーズからデビューされたと思いますが、その当時のことは今でも覚えていますか?

コッペリアはCD屋さんに最初に並んだ1枚なので、うれしくてマネジャーと買いに行って、私の名前とタイトルが印字されたレシートを見たときに「すご〜い!」って思いました。それは鮮明に覚えています(笑)。

――その後、1stフルアルバム『センチメンタルなリズム』もリリースされましたが、フルアルバムを出すというのはまた違う味わいがあるものですか?

うれしかったです! でも、ミニアルバムを3枚出した後で、実はこれで全てをやめてしまおうかなと思っていた時期だったので、今あるもの全てをこの1枚に詰め込む気持ちというか、全てを封じ込める思いで作った1枚だったんです。

そういう意味ではインディーズ時代のベスト盤ともいえるような1枚になりました。出せてうれしかった半面、気持ち的にはギリギリでした。“傷だらけの1枚”といった感じのアルバムですね。

――私も大好きなアルバムですが、素人ながらいろいろな感情が詰まったアルバムだなと思いました。

ありがとうございます。現代を生きる10代のシンガーソングライターの人もそうだと思うんですけど、10代〜20代って本当に心が揺れ動く時期なので、その頃に作った1枚というのは、人生の中でも宝物になるんじゃないかなと思っています。それは私だけに限らずいえることですよね。

――それからまた少し時間がたち、いよいよメジャーデビューを迎えられました。アーティストの方にとってインディーズからメジャーへ移るのは心境的にだいぶ違いますか?

そうですね。大阪に出てきてすぐの時や、もっと遡ってそれ以前に目指していた夢というのがメジャーデビューでした。華々しい歌を歌う世界にいる、というのが“メジャー”のイメージだったので、ついにメジャーデビューという扉が見えたとき「なるほどこれか…」と思いました。

でも、今の会社で一歩一歩マネジャーと一緒にやってきた中で、次のステップとして出てきた扉だったので、これしかない!という気持ちで楽曲を制作していきました。ようやく自分の中で曲作りというのが明確にできるようになったかもしれない、というタイミングでしたから。

――そしてまた飛びますが、'16年は「スペクタクル」からシングル3作、アルバム1作、ライブもたくさんありました。ざっくりお聞きしますが、どんな年でしたか?

ひたすら音楽の上で転がった1年です。たくさん考えたり、練ったりする時間は取れなかったので、心の動くままに、抱えていることをそのままにやってきました。どちらかといえばインディーズ時代にやってきたことが意図せずよみがえったような年でしたね。

シングルもアルバムもDVDもリリースがあって、ライブもたくさんあったので本当にうれしかったです。ひたすら止まらず、動き続けた1年でした。

――夏の「PALPABLE! BUBBLE! LIVE!」は一夜限りの決め打ちでしたか?

言いにくくてごめんなさい(笑)。あれは赤坂BLITZでライブがしたかったというのと、去年の「UTAUTAU」というツアーは、その名の通り「歌を歌う」というシンプルなバンド編成で無駄をそぎ落とし、歌を真ん中に置くというコンセプトでやったライブだったんですけど、それとは別に、もっといろんなことが起きるような夜にしたいと思って開催しました。

――いきなり箱から出られていましたが(笑)、演出は植田さんが考えられたんですよね? 

そうなんです(笑)。舞台監督さんが入ると聞いていて、話し合いのためにアイデアを出したんですけど、案を出せば出すほど私の頭の中にあるものを具現化しようという方に動いてくださって、結局舞台監督さんではなく、私があれこれリクエストする形になりました。

バンドの皆さんにガスマスクを着けてもらって、ここまで歩いて、ここでこういう感じで動いてくださいとみっちり監督しました(笑)。1月に発売されるライブDVDにその様子も収録されますが、私が箱から這って出てくる、まるで悪夢のような一夜にしたいなと思って考えた演出です。

――『ロンリーナイト マジックスペル』は「夢」がテーマということですが、なぜ夢をテーマにしようと思われたんですか?

そこですよね。「夢のパレード」も、その前からずっと書き続けていた曲も今回アルバムに入っているんですけど、どれもこれも夢というワードがたくさん入っていて。コンセプトを決めていたわけでもなく、何も考えずに曲を作っていたので、あらためてなぜ夢だったのかは私にも本当のところは分からないんです(笑)。

たぶん子供のころからずっと大切にしているワードが夢だったので、それが頭にずっとあって、無意識で曲を書いた時にたくさん入ってきてしまったのかなと。

――ちなみに植田さんはよく夢を見ますか?

見ますよ。最近つらかったのは、喉から…長いままのカマボコが出てくる夢です(笑)。めっちゃ痛くて、苦しくて、すごくつっかえていたものが出た感じでした。たぶん、鼻炎なので寝ているときに息苦しかっただけだと思うんですけど(笑)。

――逆にいい夢は覚えていますか?

いい夢はあまり覚えていなくて、奇妙な夢の方が多いですね。いい夢は人に言わない方がいいと聞くので、あまりいい夢の話はしたくないのもありますけど…(笑)。この間の夢は、突然私の誕生日になって、集まった女友達10人くらいから、めっちゃプレゼントをもらうっていう夢でした。

それを夢占いで見たら、すごい吉夢だったんですよ! だから、今の今までだまっていたんですけど!(笑)

――あ…すいませんでした!(笑) 

いえいえ。冗談ですよ(笑)。

――植田さんにとって、今年一番思い出に残っている出来事は何でしょうか?

「LAZWARD PIANO」のライブから始まって「スペクタクル」のリリースがあり、思い出はたくさんありますが、1つはTHE YELLOW MONKEYの復活ライブ・代々木1日目を見に行けたこと! 音楽ってこんなに大きな魔法を繰り出せるのかとも思ったし、(新アルバム収録曲の)「僕の夢」で自分の夢に対して問い掛けているところとか、不安になりかけていた部分もあったんですけど、あのライブによってもう一回音楽というものに夢を映すことができたので。あらためてミュージシャンってすてきだなあ…と思った日でしたね。

そして、アルバムの制作活動と並行して印象的だったのが映画の撮影でした。9月に1週間千葉・銚子に合宿で入ったんですが、初めて行く場所だったのに加えて街灯が少なくて早く暗くなるし、地元とは全然違う海の街だったので、すごくいろんなことがカルチャーショックでした。

そんな中で初めて演技というものをしているときに、すごく音楽というものが恋しくなりました。演技も面白かったんですけど、無性に歌いたくなったので貴重な1週間でした。

――「トモシビ」での初めての演技を振り返っていかがですか?

いや〜〜〜〜〜映像が届いたんですけど…まだ見るのが怖くて、見られていないんです(笑)。誰かに再生ボタンを押してもらわないと、自分では一生押せないと思います。本当にそれくらい未知な挑戦でしたから。

自分の中でこういうイメージかなと思って枠を広げていたはずなのに、監督さんに見てもらって「もっとこうしよう、ああしよう」とアドバイスを頂いて、実際それがどんなふうに見えるんだろうと。

映画を見るのはすごく好きなんですけど、観客としては見られない部分がとても面白かったので、刺激的な経験ができました! 難しかったですし、女優さんはすごいなって思いました。

――ここまで駆け足で植田さんのアーティスト人生を振り返ってきましたが、思い返してみて、手応え的には思い描いた自分になれていますか?

一歩足を踏み入れないと思い描けなかったですし、こんなふうになりたいという部分にさえもたどり着かなかったはずなんですよ。私の夢ってひたすら圧倒的な歌を歌うという、とても漠然としたものだったから、もちろん今も根本にはそれがあるんですけど、その圧倒的な歌を歌う歌手という意味では、少しずつ近づけているといいなって思います。

最近になってようやく「植田真梨恵とはこんな歌を歌う人」と、少しずつ明確になってきたと思うので、うそのない歌を歌う歌手としては…自分としては好きです(笑)。

――来年も1月からツアーが始まりますが、'17年の目標などはありますか?

毎回ライブツアーはどれもコンセプトが固まっているのですが、どれも全部違うんです。今回は新アルバムを持って行けるツアーということで、肝の部分を見つめ直してみたところ、やっぱり子供時代とつながるのかなと。

夢だとか、そういう部分は自分の中にあるノスタルジックな、アットホームな温かい部分だったので、そういうツアーになればいいなと思っています。皆さんの子供時代を思い出すようなライブになればいいなと思いながら、9公演行ってきます。

――将来明確な目標というか、夢はありますか?

私は信じるということがすごく苦手だったので、一歩ずつ日々を生きていく中で、少しずつ信じるということができるかなあと思いながら歌を歌ってきました。せっかく子供のころから見続けている夢なので、死ぬまで歌い続けることによってその大きな夢を遂げたいですね(笑)。

――では、最後にこの記事を読むに明るいメッセージをいただければ幸いです。

めまぐるしい日々の中で、頑張っている皆さんにあったかい1枚が届けばいいなって思いながら作ったアルバムなので、それを生で聴くためにライブに遊びに来てください。日々、お互い頑張りましょう!